
臼田宣弘
1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。
1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。
30回にわたって連載してまいりました本コラムも、今回で最後になります。第4回は「『無限』―太陽の下(もと)の循環―」という題と副題でしたが、インクルージオの対称箇所である今回は、それに「永遠の神を知る」を入れさせていただきました。
前回は、災難の中でも人災について書かせていただきました。今回は、天災とそれへの対処のことが伝えられています。「国(聖書協会共同訳では「地」)にどのような災いが起こるか、分かったものではない」(11章2節後半)とコヘレトは言います。
災難には一般に「人災と天災」があるわけでして、コヘレトがそこまで考えていたかどうかは分かりませんが、読者としてはこの2つを分別して読み取っていくと分かりやすいのではないかと思います。
ここではまず、愚かさの存在が示されています。前回は、町を救った賢人の事例から、「尽くしきった知恵を、わずかな愚かさが駄目にしてしまうこともある」ということをお伝えしましたが、そこで示された「愚かさ」を、ここで説明していると思えます。
今日の聖書学では、イスラエルはコヘレトの時代、プトレマイオス王朝に支配されていたとされています。プトレマイオス王朝は、アレクサンダー大王の死後、彼が征服した地域が分裂してできた国の一つです。そのことは、旧約聖書のダニエル書に記されています。
スポーツの世界では、時に強い選手やチームが試合に勝てないことがあります。あるいはまったく逆に、無名の選手やチームが勝ち上がっていくこともあるわけです。強い選手やチームが、必ずしもいつも勝てるわけではないのです。
著者のゲルト・タイセンは、1943年生まれの現代の新約聖書学を代表するドイツ出身の世界的な神学者です。私がタイセンの著作を初めて読んだのは、神学校の最終学年で、読んだのは前年に日本語訳が出版された『パウロ神学の心理学的側面』でした。
本コラムの第15回でお示ししましたが、ミドラシュ(ユダヤ教の聖書解釈の一つ)によれば、コヘレト書は3つに区分けがなされます。この区分けに基づくならば、今回から第3部に入ります。
ここは、今までに何度かお伝えしている修辞法の一つ、インクルージオ(囲い込み)で書かれているものとして読みたいと思います。コヘレトがインクルージオを意図していたとは言い切れませんが、その構造で読むと、少なくとも理解がしやすくなると思います。
このコラムも22回になりました。私自身もいろいろ学ばせていただいていますが、同時に無力感に陥ることもあります。ここ数年、コヘレトについてかなりの学びをして知識を得たつもりでしたが、それは取るに足らないものであると感じることがあるからです。
ここでは「王の言葉を守れ」(2節)と言われています。「神の言葉を守れ」であれば信仰者として素直に受け入れられると思いますが、人間である王の言葉を守れというのは、受け入れがたいのではないかと思うのです。
コヘレトにとって、「知恵」とは何であったのでしょうか。彼にとってそれはどういう存在であり、どのような位置付けがなされていたのでしょうか。正直申し上げますと、私はまだこのことをしっかりと整理できていません。
現在の私には、コヘレトとオルフェウス教の関係を皆様にお伝えする力はありません。しかし、コヘレトはオルフェウス教のようなギリシア思想に対して、防波堤を張っていたのではないか、とも思えるのです。
今回は「財産を伴う知恵は幸せ(トーブ)である」と、10節までとは違い比較級ではない形で、しかしやはり「良いこと」「幸福」「満足」などと訳される「トーブ」から書き出されています。
前回は、7章1~10節にあります7つの比較級のトーブ(טוֹב)のうち、前半の4つについてお伝えしました(トーブは「良いこと」「幸福」「満足」「まさる」などに翻訳されます)。今回は後半の3つについてお伝えします。
前回お伝えしましたように、ミドラシュの解釈によれば、7章1節~9章6節がコヘレト書の第2部であり、今回からその第2部が始まります。第1部の冒頭である1章の本文の書き出しと比べると、随分改まった感じがします。
西村俊昭著『「コーヘレトの言葉」注解』によりますと、「ミドラシュの版に、7章は『第2部』の表題を持つ。9・6の後に『第2部は終わり』の註がある。9・7の前に『第3部』の表題が挿入されている」(357ページ)とあります。
明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。新年といえば、私は新年に歌う讃美歌の368番(讃美歌21)が大好きです。特にその4節が好きです。
私は今まで、「コヘレトが『太陽の下の空しさ』の外側に見ていることは3つあります」と書いてきました。コヘレト書の中でその根拠と考えているのは、9章7~9節です。そこには次のようにあります。
教会暦では、12月2日からアドベントに入りました。信仰上とても大切な季節であることは言うまでもありませんが、街にイルミネーションがともされるなど、気持ちの上でもワクワクする季節に、今年もまたなったのだなあと思わされます。