著者のゲルト・タイセンは、1943年生まれの現代の新約聖書学を代表するドイツ出身の世界的な神学者です。私がタイセンの著作を初めて読んだのは、神学校の最終学年であった1991年で、読んだのは前年に日本語訳が出版された『パウロ神学の心理学的側面』でした。大変啓発されたことを覚えています。神学校を卒業して牧会の現場に出ましたが、タイセンの著作は、それ以前に邦訳出版されていたもの、その後邦訳出版されたものを合わせて読み続けてきました。『イエス運動の社会学』『原始キリスト教の社会学』『原始キリスト教の心理学』『新約聖書―歴史・文学・宗教』『イエス運動』『イエスとパウロ』を読み、それぞれに新しい視点を与えられてきました。
昨年、タイセンによる小説『パウロの弁護人』の日本語訳が出版されました。これは、旧新約聖書を基にして書かれたフィクションです。舞台設定は紀元61年のローマ、主人公はエラスムスという弁護士です。彼は、ローマのユダヤ教会堂指導者のナタンから、パウロという人物の弁護を依頼されます。パウロは、エルサレム神殿の内庭に、外庭との隔ての壁を越えさせて、異教徒(ギリシャ人)を連れ込んだ件で罪に問われ裁判になり、上訴したためローマに来て拘禁されていたのです。これは、使徒言行録21章27節以下の記述を基にしていることです。
話は、エラスムスとナタン、そしてナタンの妻サロメ、2人の娘ハンナ、エラスムスの幼なじみであり、しかし彼の家僕(奴隷)であるテルティウスの間で交わされる会話を中心に進行していきます。話題はもっぱらパウロについてであり、やがてそれはパウロの書いた手紙の内容にも及んでいきます。
一方で、6章においてはある事件が報告されます。それは、ローマの警察長官セクンドゥス・ペダニウスが、家僕の一人に殺害されてしまうという事件です。これは史的事実であるようです。当時の法律では、このような場合、家の奴隷すべてが処刑されることになっていました。セクンドゥス・ペダニウスには400人の家僕がいたため、彼らすべてが処刑されるのです。
他方エラスムスは、拘禁されているパウロと対面します。パウロは拘禁されているものの、面会は自由にできました。パウロは、セクンドゥス・ペダニウスの殺害と、彼の400人の家僕が処刑されることを知っていました。彼は「私がこれまで説いてきたことは、文字は殺し霊は生かすということです。そもそも自由人と奴隷を区別する法律は間違いだ」と主張し、400人の処刑に抵抗を示します。
7章において、ハンナがある集会に行ったことをエラスムスに報告します。その集会はキリスト信奉者のものであり、集会の指導者は、フィレモンという主人の奴隷であったオネシモという人物でした。ハンナは、オネシモがフィレモンから解放されたいきさつを語ります。その解放には、「フィレモンと彼の家にある教会へ」という手紙が作用しているといいます。
8章では、セクンドゥス・ペダニウスの家僕400人が処刑される日の出来事が伝えられています。エラスムスはこの日、ハンナとテルティウスと共に、オネシモが指導するキリスト信奉者の集会に出掛けます。そこで、褐色の肌をした30歳前の青年指導者オネシモを目にします。オネシモは説教を始めます。
もはやユダヤ人かそうでないか、自由人か奴隷か、男か女かの区別はありません。わたし自身がその証人です。なぜなら、わたしは奴隷だからです。わたしの主人はローマにいるフィレモンでした。彼はわたしを自由身分の扱いにして、キリストに仕える者としてくれたのです。したがってわたしは今現になお奴隷ですが、あなたがたはそのわたしをこの集まりの指導者に選んだのです。
こうしたことがこの世界のどこで可能でしょうか? 世界の他のどこで、最下層の人間が主導権を揮(ふる)うということがあるでしょうか? しかしそれがこのわたしたちの集まりでは可能なのです。そのわけは、わたしたちがそろってキリストを模範として目の前に持っているからです。彼は最高に高いところにいました。そして神とひとしい者でした。そのキリストがありうべき最も下賎(げせん)な役割、世界中で一番低い奴隷の役割、それも十字架で処刑される奴隷の役割を自分の身に引き受けられたのです。
キリストは今まさにこの時に十字架で処刑される奴隷たち全員の側についておられます。そのイエスは死後、神と同じ身分を授けられました。だからわたしたちは彼を通して学ぼうではありませんか。高いものは低められ、低いものは高められるのです。神の前では、上にある、下にあるは、もはやないのです。
しかしこの世の中の進み方はそれとは違います。今日この日に、四百人の奴隷たちが処刑されます。そのうちの一人が主人を殺したというのがその理由です。(273~274ページ)
お分かりでしょうか。新約聖書のフィレモンへの手紙の中で、パウロが「獄中で生んだ私の子」と書いている奴隷オネシモの6〜8年後の姿を、キリスト信奉者の集会、つまり教会の指導者オネシモとして、タイセンは描いているのです。私はタイセンのこの描き方について、細部は別としてではありますが賛同します。フィレモンへの手紙は、後の代から見るならば、初代教会の指導者オネシモの宣教者としてのスタートの証しとなる手紙なのです。
一方、この小説では、パウロもオネシモも、その後のローマの大火を理由にした、皇帝ネロによるキリスト教徒の大量処刑で殺害されてしまいます。フィクションとはいえ、私はここには賛同できません。オネシモは宣教活動を続け、秀でた教会指導者となっているはずである、というのが私の見解です。そのように細部ではふに落ちないところはあるものの、タイセンの初代教会についてのこの小説の描き方には、うなずかされるものがあります。
なおタイセンは、本書の中で旧約聖書のコヘレトの言葉(伝道者の書)からの引用を多用しています。この書のコラムを書いている私にとっては、そこは非常に興味深かったです。また私は、新約聖書の「パウローフィレモンーオネシモ」というラインに強い関心を持っており、この『パウロの弁護人』には、また新たな示唆を与えられました。
■ ゲルト・タイセン著、大貫隆訳『パウロの弁護人』(教文館、2018年4月)
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