この作品は、ウィリアム・ワイラー監督、チャールトン・ヘストン主演の映画によって一躍、世界中に知られるようになったが、ルー・ウォーレスの原作小説には映画とまた違った味わいがあり、ここに紹介できるのは喜びである。
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ルー・ウォーレスの生涯
彼は1827年、米国のインディアナ州ブルックビルに生まれた。父は国会議員。少年の頃は勉強が嫌いで落第生だった。しかし、彼は歴史小説や冒険小説を夢中になって読み、それが後に不朽の名作を生む礎となった。14歳の時、裁判所の事務員となって自活する。
ある時、父の書斎でメキシコ征服史を見つけ、それが刺激となって『美しき神』という小説を書き始めた。そのうち、メキシコ戦争が起こると、インディアナ州の義勇軍として参加した。帰国後、弁護士試験をパスして地方検事となり、その後州議会議員になる。結婚後は安定した生活の中で『美しき神』の執筆を続けたが、やがて南北戦争が起こると北軍として戦いに参加。陸軍少佐に昇進した。しかし、些細な過ちからユリシーズ・グラント将軍の不興を買い、その後退役。45歳で借金を抱え、生活に窮するようになった。
こうした不遇の時代に、彼は再び『美しき神』を執筆し、これを完成し出版した。そんな時知り合った神学者の感化でキリスト教を学び始めた。その後外交官となり、中近東に出向した機会に集めた資料を基に書き上げたのが『ベン・ハー』だった。晩年はインディアナ州クロフォーズビルに引退。1905年、77歳の生涯を閉じた。
あらすじと見どころ
ユダヤはローマ帝国の統治下にあり、総督グレータスに対し、ユダヤ人の反感が高まっていた。そんなある日、ユダヤの財閥ハー家の息子ベン・ハーは、グレータスの軍隊が屋敷の前を通りかかった際、屋根から身を乗り出し、その瞬間、緩んでいた瓦が滑って落下し、馬上のグレータスを直撃してしまう。彼は反逆罪に問われ、終身奴隷としてガレー船をこぐために連行される。この時ベン・ハーは、ローマ兵の中に幼なじみの友メッサラの顔を見つけ、無実を証明してくれと哀願するが、メッサラは彼を見捨てて行ってしまう。
連行されて行く途中、ナザレ村を通過した折に大工のヨセフとその家族と出会う。この時、ヨセフの息子であるイエスという若者は、弱って歩く力もないベン・ハーに水を飲ませてくれたのだった。
見ると彼と同年くらいの少年が立っているのだった。肩にたれた栗色の髪が、影をおとしている顔の中で、二つの空色に澄んだ瞳が愛と聖(きよ)い光と強い意志をたたえて、優しく力づけるように彼を見つめているのだ。(中略)彼はすなおに水差しに唇をあてた。二人の間には一言も言葉はかわされなかった。ベン・ハーが水を飲み終わると、若者は彼の肩にかけていた手を、砂塵(さじん)にまみれた頭の上に置いて、神の祝福を祈った。(第2章、60ページ)
ガレー船が次の軍港に着くと、クインタス・アリウス将軍が乗り込む。彼はガレー船をこぐ奴隷に目をやったとき、見事なオールさばきをする若者に目を止め、それがハー家の長男と知って驚く。その時、ガレー船は海賊船の襲撃を受けて炎上し、沈没する。海上を漂うベン・ハーは、アリウス将軍が溺れかけているのを見てこれを救う。アリウスは彼を自分の養子にすることを宣言し、ローマに連れ帰る。5年の月日がたった。アリウスの養子となったベン・ハーは、文武両道の修業を終え立派に成長した。彼は離ればなれになった母と妹テルザの消息を求めて旅をする。
アンテオケに着いたとき、そこで豪商シモニデスと彼の美しい娘エステルと知り合う。シモニデスはかつてローマ人から受けた暴行のために不具の身であった。また、ダフネの森の中の競技場でアラビア人の酋長(しゅうちょう)イルデリムとも会い意気投合する。ここでベン・ハーは思いがけなく馬の訓練に来ていた仇敵(きゅうてき)メッサラを見た。この時、エジプト人バルタザールとその娘イラスの乗ったラクダをメッサラの4頭立ての戦車が直撃。ベン・ハーはとっさに馬に飛びつき、手綱を引いて2人を救う。
一方、メッサラもベン・ハーに気が付いた。彼はベン・ハーが奴隷の境遇を脱し、今はアリウス将軍の養子となっていることを警告する手紙をグレータス総督宛に書き、使者に持たせた。酋長イルデリムはベン・ハーに親近感を持ち、求めに応じて馬を貸してくれたが、代わりに字の読めない自分に手紙を読んでほしいと言って手紙を差し出す。それはメッサラがグレータスに宛てて書いたもので、イルデリムの馭者(ぎょしゃ)がメッサラの使者から奪い取ってきたものだった。それを読んだベン・ハーは、母と妹がアントニア城塞の地下に幽閉されていることを知り、メッサラに復讐(ふくしゅう)を誓うのだった。
さて、町を挙げての行事「戦車競走」の日が近づいた。ローマ軍兵士はメッサラを選手として送り出し、ベン・ハーはイルデリムから譲られた4頭の馬に戦車を付け、練習に余念がなかった。そしてその日、合図と共にメッサラの車が飛び出す。ベン・ハーの車が近づき、ほとんどすれすれになったとき、メッサラはいきなり鞭(むち)でベン・ハーの愛馬を打つ。馬は恐怖に陥ったが、ベン・ハーは優れた手綱さばきで平衡を保ち、馬を落ち着かせた。
車輪の響きと馬の蹄(ひづめ)の音と鞭の鳴る音の中に聞こえるのは、ベン・ハーが、酋長がいつも使うアラビア語で、馬に話しかけている声だけであった。
「さァ、アタイル! リゲル! お急ぎ! アンタレスや、ぐずぐずしてはいけないよ! アルデバラン、お前はいい子だね! ほら皆がテントで歌っているのが聞こえるだろう!(中略)明日は家に帰るんだよ!(中略)さあ、しっかり、もう一息!」(第5章、171~172ページ)
メッサラがカーブを曲がろうとした瞬間を逃さず、ベン・ハーは全速力を出して自分の車を相手のそれと接触させながら追い抜いていった。メッサラの車は壁とベン・ハーの車の間に挟まれ、轟音(ごうおん)と共に砕け、転覆。メッサラは、手綱が体に絡みつき、まっさかさまに転げ落ちた。彼は命は取り留めたものの二度と歩くことができなくなり、廃人となった。
さて、アントニア城塞の地下に閉じ込められていたベン・ハーの母と妹テルザはハンセン病に冒されていた。外に出ることはできたものの、共同体に戻ることが許されずに、2人は墓地で死を待つばかりだった。そこへ2人を探していた召使いのアムラーと再会する。3人はその後、エルサレムに入城するイエス・キリストの一行と出会う。母と妹は追い払おうとする人々の腕を押しのけて前に出、イエスの前に飛び出して憐(あわ)れみを乞う。イエスは彼女たちの信仰を愛(め)で、癒やされた。
そのどよめきが丘の彼方(かなた)に消えいく頃、二人の女の上に奇蹟(きせき)が起こり始めた。最初に二人の癩(らい)病人は、新しい血が心臓に流れこんでくるのを感じた。つづいてその血が全身にまわっていくにつれて、痩せおとろえ朽ちかけた身体が何の苦痛もなく癒えていく。たとえようもない快感を覚えてきた。二人とも病苦が去っていって、昔の元気が戻ってくるのを感じた。(第8章、249ページ)
一方、ベン・ハーも母と妹を捜す手掛かりを求めてエルサレムに向かっていた。そして、イエスの一行の通った道へ来た。そこで元どおりの姿になった母と妹、そして2人に付き添うアムラーと再会し、喜び合う。彼はケデロンの谷にテントを張り、家族を休ませておいて、自分は救世主イエスの後を追いエルサレム市内に入った。しかし、そこで彼が目にしたのはイエスの逮捕と裁判、そして十字架を背負う姿だった。彼は嘆き悲しむ大勢の人と共にゴルゴダの丘に登った。
そこでイエスは十字架にかけられたが、ベン・ハーは彼こそ人類の罪を贖(あがな)う真の救世主であることを確信したのだった。そこにはシモニデスとエステルも来ていた。バルタザールの顔も見えた。イエスが息を引き取ったとき、大地は揺れ動き、自然は荒れ狂う。そして気が付くと、バルタザールは死んでいた。
その後、ベン・ハーは母と妹を家に連れて帰り、一家はイエス・キリストを信じて新しい生活に入る。彼はエステルと結婚し、3人の子どもを授かった。夫妻はシモニデスと相談した末、彼らの莫大な財産を神への奉仕に使うことにする。すなわち、ネロ帝の迫害下にあるキリスト教徒の隠れ家にするために、地下に広大な墓地を作り、そこを教会にしたのであった。
■ ルー・ウォーレス著、松本恵子訳『ベン・ハー』(英宝社 / 英宝選書、1960年)
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。その他雑誌の連載もあり。