1968年4月4日、遊説のために訪れていた米テネシー州メンフィスで、マルティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が凶弾に倒れてから50年がたった。キング牧師の偉大さを示す本は数多く出ているが、中でも『汝の敵を愛せよ』(蓮見博昭訳、1965年、新教出版社)は、多くの人に深い感動と人生の指針を与えてきた。原題は、STRENGTH TO LOVE(愛するための強さ)である。
この書は、名文家でもあった彼の17の小論文で構成されており、そのどれもが素晴らしく、味わいがある。そしてわれわれは読むうちに、彼が黒人の指導者として、公民権運動をはじめとする幾つかの運動を成功に導いた原点が、まさにイエス・キリストが十字架で示した赦(ゆる)しと愛の心に基づくものであることを思わしめられる。ここでは全部を紹介できないが、その幾つかをピックアップして述べてみたい。
<強い意志とやさしい心>
「へびのように賢く、はとのように素直であれ」という聖書の教えのとおり、彼はその両方の必要性を説く。
人生は、相対立するものが、実り多い調和の中で創造的に総合されてこそ最良のものとなる。(9ページ)
まず、彼は強い意志の必要性について述べる。アドルフ・ヒットラーは自分の信奉者の中に意志薄弱な者が多くいることを知っており、それを利用したという。すなわち、うそを繰り返すことによって特定民族を排除する妥当性を彼らに信じ込ませたのである。そして、キング牧師は人種偏見が行われる基本的な要因の1つが意志薄弱だと言うのである。
これと同じように、彼はやさしい心の必要性をも強調する。聖書の中に語られているように、富める人が地獄に落ちたのは、富んでいるからではなく、彼が貧しき人ラザロに対してやさしい心を持たなかったからである。そして最後に彼はこう語る。
神は世界を超越できるほど意志強固な方であり、その世界の中に住むことが出来るほどやさしい方である。(20ページ)
<汝(なんじ)の敵を愛せよ>
ここで彼は、われわれに赦す能力を養う必要性について説く。なぜなら、赦しとは和解であり、絶望的な断絶を回復させる力があるからである。
われわれは敵なる隣人の悪事、われわれに害を与える事柄が、決してその人のすべてを表しているものではないことを知らなくてはならない。われわれは悲惨にも、われわれ自身分裂しているのだ。(69ページ)
そして、憎しみというものは、憎しむその人にとってもまったく有害であり、その人格を破壊してしまうものであると言う。それ故、なぜ自分の敵を愛すべきなのかという理由は、愛は敵を友に変えることができる唯一の力であるからだと言う。この敵をも愛する心をもって、キング牧師は人種的不正義という障害を突破したのであった。
<海辺での悪の死>
気落ちしたり、先に希望が持てないような時、どれほどこの箇所で力を得たことだろう。彼はこう述べる。
キリスト教は善と悪の長い闘争で、結局は善が勝利すると断言している。受難日は復活祭の勝利の音楽に道を譲らなければならない。いやしい毒麦は良い麦から区別されるだろう。シーザーは宮殿に住み、キリストは十字架にかけられた。しかし、同じキリストが歴史をAD(キリスト紀元)とBC(キリスト降誕前)に分けている。(113ページ)
つまり、すべてのことは悪が自らの破滅の種子を持っていることをわれわれに教えているのである。彼は力強くこう結ぶ。
人生の街道の至るところで神は、われわれが奮闘している際、共に奮闘していてくださる。神は常に、その子どもたちの救いのために歴史を通じて働いていたもう。(122ページ)
<われらの神の能力>
キング牧師はこの項で、自らの驚くべき体験を語っている。彼が黒人の先頭に立って抗議運動を始めた日から、自宅に脅迫の電話や手紙が来るようになった。そして、ある晩のこと。電話が鳴って男の声が響いた。「いいか、黒ん坊。来週にならないうちに、おまえはこの町に来たことを後悔するぜ」。その時、彼の恐怖のすべてが一度に襲いかかってきて、彼の勇気はほとんど消えてしまった。そして、この状況の中で、彼は両手で頭を抱えたまま祈った。その時、彼は一度も経験したことのないような聖なるお方の臨在を経験したのだった。内なる声はこのように保証してくれた。「義のために立ち上がれ。真理のために立ち上がれ。神が永遠におまえの味方でありたもう」。すると、たちどころに恐怖は去ってしまった。そして3日後に、自宅は爆破されたが、彼は落ち着いてその知らせを受けたのだった。
<恐怖の治療法>
恐怖というものは抑制されないとあらゆる種類の恐怖を生み出す。それ故、ただ愛によってのみ、人は恐怖を抑制することができる、と彼は語る。そして、ここでも個人的な体験が語られている。
モントゴメリーでバス抗議運動に献身した人の中に、皆から「ポラードおばさん」と呼ばれていた高齢の女性がいた。ある時、自分は教会で話をしたが、その時は意気消沈し、恐怖に打ちのめされていた。すると、彼女は自分を呼び寄せて言うのだった。
「私は、私らがあんたといつまでも一緒にいてあげられるとは言やしません。けれど、よしんば私らがあんたと一緒でなくても、神様があんたをみてくださるんだよ」と。
その時、私の中ですべてがなまのエネルギーの波打つような勇気となってよみがえったのである。愛だけが恐れに勝つのだ。(218〜219ページ)
※ 記事中で紹介している引用は、該当ページの引用箇所を要約したものです。
■ マルティン・ルーサー・キング・ジュニア著、蓮見博昭訳『汝の敵を愛せよ』(1965年、新教出版社)
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のウェブ連載を始める。その他雑誌の連載もあり。