2013年、旭川めぐみキリスト教会牧師を65歳で定年退任した込堂一博(こみどう・かずひろ)さんの新著『人生の先にある確かな希望』が4月、イーグレープから発売された。5人の有名なクリスチャンの終末期の過ごし方から「終活」のヒントが与えられる、伝道にも使いやすい小冊子だ。
まず登場するのは上智大学名誉教授であるアルフォンス・デーケンさん。妹が4歳の時、白血病を患い、召天。彼女は死の間際、「お父さん、さようなら」「お母さん、さようなら」と家族一人一人にあいさつし、「また天国で会いましょう」と言って間もなく息を引き取ったという。その時、8歳だったデーケンさんは次の御言葉を実感した。
「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ11:25)
家族全員が彼女と天国で再会できることを確信し、深い悲しみの中にも希望を見いだして生きていこうと心に決めた。この経験からデーケンさんは「死生学」をライフワークとして研究する道に進んだという。
また、フジテレビのニュースキャスターだった山川千秋さんは1988年、食道ガンの手術後に併発した腎不全で55歳の若さで召天した。山川さんがガンの宣告を受けた時、妻の穆子(きよこ)さんは、「末期のガンになった主人に残された希望の支えは信仰しかない」と確信し、祈り続けたという。
宣教師が病室を訪ね、イエスの十字架と復活、そして「死は終わりではない」ことを告げると、山川さんは涙を流して話を聞き、イエスを救い主として受け入れた。その後、御言葉に触れるようになってからは落ち着きを取り戻し、明るい表情になったという。妻に宛てた遺書には、「すべてを主にゆだね、二人の息子を信じてたくましく生きてください」と記されていた。
サイコセラピストで教育学博士の近藤裕(こんどう・ひろし)さんは、「天国からのメッセージ」として、毎年、誕生日を迎えるたびに自分の「お別れのことば」を録音し、翌年の誕生日に更新するという作業を繰り返していた。実際に近藤さんの葬儀で流された言葉は次のように結ばれていた。「本当にありがたいお一人おひとりとの出会いでした。ありがとうございました。では、これで、天国に向かって旅立ちます。また、天国でお会いできることを楽しみに、お待ちしております。さようなら」
日本福音キリスト教会連合岩井キリスト教会牧師だった井戸垣彰(いどがき・あきら)さんは、死の間際、妻が詩編23編を朗読し、祈りつつ召された。「造り主なるあなたの御手にゆだねます」という祈りが井戸垣さんの最後の言葉だった。後に妻の弥生さんは、「心電図がついに止まった時、主が死の陰の谷を共に渡ってくださったと感じた」と語る。
最後は、三浦綾子さんの夫である光世さんの証し。込堂さんが旭川めぐみキリスト教会牧師に就任したのは91年4月。その頃、三浦夫妻は、教会から徒歩2分ほどの場所に住んでおり、全国のファンからの贈り物のおすそ分けにあずかっていたほど、三浦夫妻とは親しく交流を重ねた。
光世さんは生前、「死んだら、罪を犯す心配もないし、天国に入らせてくださるという約束はあるし。天国では、もう死ぬこともないんだからね」と輝く笑顔で語っていたという。
99年10月、綾子さんが召天。光世さんは深い悲しみを乗り越え、綾子さんが残した仕事の整理、三浦綾子文学館館長としての働き、執筆や講演活動などで多忙な日々を送った。また、全国の教会で行われている三浦綾子読書会にも参加し、著書の創作秘話、裏話などを参加者と分かち合った。
やがて晩年の光世氏は講演活動もほとんどしなくなり、文学館に出向くことも少なくなっていた。そして綾子氏の召天から15年後の14年10月30日、90歳で、愛する妻のいる天国へと旅立っていった。
込堂さんはこの証しを以下の御言葉で結んでいる。
「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」(黙示録21:3、4)
死を間近にして恐れや不安を抱えながらも、天国でイエスとまみえる日を思い、平安を与えられて召される幸い。副題に「天のふるさと」とあるように、そのふるさとに愛する者を送った遺族と、ふるさとに帰った召天者たちの証しに深い感動を覚えた。
込堂一博『人生の先にある確かな希望』
2017年6月10日初版
B6判・66ページ
イーグレープ
定価500円(税別)