ルター研究の第一人者で、日本福音ルーテル教会の重鎮である徳善義和(とくぜん・よしかず)氏により、マルティン・ルターの生涯が分かりやすく綴(つづ)られた格好の入門書。日本福音ルーテル教会宗教改革500年推奨図書の1冊でもある。
徳善氏は若い頃からルター神学に学び、これまで多くの主要なルター著作を翻訳するとともに、『ルターと賛美歌』(日本キリスト教団出版局)、『マルチン・ルター 生涯と信仰』(教文館)などの著書を発表してきた。今回、キリスト教世界を根底から変え、新しい時代への扉を開いたルターの姿が「ことば」をテーマに描かれる。
徳善氏が「ルターについて一書を書かないか」と岩波新書編集部から問い合わせを受けたのは2011年7月末のこと。「即座に、ルターにおけることばの諸相に関わる彼の生涯をまとめてみようと思った」という。企画とその打ち合わせに2週間掛かった後、初稿を2カ月で書き上げた。
本書は全7章で構成されており、序章では、ルターが「ことばに生きた人」であることが紹介される。修道士となって以来、聖書の「ことば」と深く取り組み、その教えの中心を捉えようと生涯かけて格闘し続けただけでなく、民衆に分かる「ことば」で(時には音楽という手段を使って)聖書を説き続けてきた。それがどのように実践されていったのかが以降の章で詳しく語られる。
「ルターの生い立ちについて語るとき、父の影響を見逃すことはできない」(12ページ)とあるように、ルターは大学生の頃まで、上昇志向の強い厳格な父ハンスの影響を強く受けていたという。雷雨の中で修道士になる決意をしたという有名な出来事は、その父の影響下から脱するきっかけとなった。
修道士としての修行の日々、そして神学研究の道を進む中で、ルターは聖書の「ことば」に深く向き合うようになり、「神の義とは何か」という「十字架の神学」の重要な問題に突き当たる。そうしてルターがついに到達したのが次のような確信だった。
「神が真に人間に示して見せる恵みとは、イエス・キリストの受難と十字架である。この無残なキリストの姿こそが、神が人間に与える『義(正しさ)』であり、人間はその『義』を受け入れることでのみ救われる」(53ページ)
ルターは、中世において忌むべき象徴だった十字架のイメージを180度逆転させたのである。
一般に、ルターを宗教改革に導いたのは、当時の教会の堕落や免罪符だと考えられているが、実はそれらは表面上のものにすぎなかった。むしろルターが宗教改革を始めた根本の動機は、イエスが十字架上で示した恵みを民衆に知らせること。そのために、聖書において神が語られる生きた「ことば」が必要だったのだ。
「聖書のことばをめぐるルターの知的な探究の旅は、聖書を通して神のことばを聴き、そのことばを心の内に受け止めて生きる、信仰者としての生き方の追求でもあった。ルターによる宗教改革とは、その信仰者としてのあり方を、聖書のことばを通して民衆に伝えることであったと言っても過言ではない」(124〜125ページ)
95箇条の提題の後、アウグスブルク審問、ライプツィヒ討論、カトリック教会からの破門など、ルターが「力によらず、言葉によって」を改革の理念としたことで繰り広げられる論争と闘争の日々。ただ、ルターは常に身の危険にさらされながらも、ヤン・フスのように火刑に処せられなかったのは、当時のドイツ情勢によるものだったという。また、印刷技術の発展が聖書を広めるのに役立ったことなど、ルターの起こした宗教改革は当時の技術開発や文化とも共存して進展していったのだ。
このように社会史の中で宗教改革を捉える視点も同書の魅力だが、さらに興味をそそるのは、ルターと音楽の関係について述べられていることだ。
「宗教改革の信仰と思想を歌い上げる賛美歌は、文字を読めない民衆たちもそらんじて歌ったことから、宗教改革の広がりに大きな影響を与えた」(140ページ)
ルターには音楽的才能もあり、自らギターに似た「ツィター」という楽器を爪弾き、仲間と歌ったりしていた。また当時、賛美歌は教会所属の音楽家や聖歌隊が歌うもので、またラテン語だったため、民衆は意味が分からないものをただ聞くだけだったが、ルターは民衆が歌えるようドイツ語で賛美歌を作ったのだ。その賛美歌は「コラール」と呼ばれ、ルター派の音楽家の源流となる。バッハやメンデルスゾーンの楽曲もコラールがなければ生まれていなかったかもしれない。
同書では、ルターが狭心症で世を去るまでが描かれるが、そこには最後まで聖書の「ことば」が示す真理を追い続けた姿があった。
徳善氏はあとがきで、「『ことばの回復』は、人と人との間で心を開き合ってこそ可能」(187ページ)だと述べている。ルターが真摯(しんし)に追い求めた「ことば」の真理は、当時は分裂を生み出したが、宗教改革から500年たった今、キリスト教会の一致を生み出すに至っている。同書はルターのことを知りたい人にとって最適なガイドであると同時に、キリスト教の原点とは何かを考えるきっかけともなるだろう。
徳善氏からのコメント
ルターの宗教改革は、神のことばの発見、キリスト、特にその十字架との出会い、自らの信仰の深まり、著作活動、聖書の翻訳、民衆への説き明かし(説教や賛美歌など)から、少年の学校教育、愛の実践としての助け合いに及び、当時のローマと帝国勢力に対する論争、成立しつつあったルーテル教会の信仰告白など多岐にわたった。読者の方々には、それぞれの文脈において、ことばの諸相のどれに関わっているかを確認していただくと、宗教改革とは何だったのか、いささか理解していただけるだろうと期待している。そこから学ぶことは、宗教改革500年が単に記念の年ではなくて、現代の信仰者と教会に深く関わることも理解していただけるだろう。こうしてカトリック教会も変わりつつある。「改革された教会は常に改革されねばならない」のである。宗教改革は続いているのだ。
徳善義一著『マルティン・ルター ことばに生きた改革者』
2012年6月20日初版
新書・196ページ
岩波書店
定価700円(税別)