米国は不思議な国だ。世界最先端の科学技術を持ち、世界経済のトップランナーである一方、2千年前に編集された1冊の書物(聖書)を今なお後生大事に国家の根幹に据えている。その歪(いびつ)なありさまは、世界の多くから疑問視され、解説され、そして「そういう国がアメリカだ」と啓蒙され続けてきた。
それでも多くの日本人は、米国に対する不可解さを払拭し得ない。その最たるものが「創造論」と「進化論」をめぐる論争であろう。日本では学校で理科の時間に「進化論」を学ぶ。そして歴史の時間に「アウストラロピテクス」や「北京原人」の風貌を知る。だから余計そうなのだろうが、米国では進化論に疑義を挟み、これに代わるものとして「聖書」の創世記1章の記述に従った「創造論」に基づいた教えが今なお信奉され続けていることに驚きを隠せない(のだろう)。
私は幼少期よりキリスト教界に身を置いてきた関係で、どちらかというと理科や社会の時間に「肩身の狭い思い」をしてきた。福音主義で、聖書を逐語的に解釈することを旨とするペンテコステ教会で生まれ育ったため、幼少期から「進化論のウソ」を科学的に実証する論理を詰め込まれながら成長してきた。その一方で、学校ではテストの点を取るために、「本当は間違っている」知識(進化の過程、人間前史の類人猿の名前)を受け止めなければならなかった。
そんな私にとって、本書は長年のダブルバインド状態から解放してくれる一助となった。著者は米国自然人類学会会長にして米国科学アカデミーの会員であるユージニー・C・スコット氏。科学者としての輝かしい業績は言うに及ばす、長年「創造論・進化論」論争を公平な目で精査してきた人物である。彼女は創造論と進化論のどちらに初めからくみするという姿勢を持たず、両者を公平かつ歴史的に精査し、どんな論争があったのか、どんな観点が争点となってきたのか、について本書で解説している。
白眉なのは、第2部の「創造VS生物進化」論争の歴史(4〜7章)である。私たちが「創造論・進化論」論争というと1970年代以降の比較的新しい時代に起こった裁判を思い浮かべ、ある者はそこに米国の「時代錯誤」を見て取るし、福音主義的キリスト者は「悪の攻撃によって世俗化する米国」を見いだし、苦々しい思いを抱くだろう。
しかし著者は、ダーウィンの「種の起源」以前から起こっていた論争にも言及し、第4章の冒頭でこう述べている。
「創造VS生物進化」論争を、「神の御業」対「自然プロセスの作用」ととらえる人もいるが、この二分法は間違っている。(中略)歴史を見ると、誰の仕業かに焦点を当てるよりも何が起きたかに焦点を当てるほうが、創造論と生物進化論を正確に区別していると言える。(120ページ)
そして現在のような自然観を生み出したギリシャ哲学者にまで言及し、中世欧州からルネサンスに至る人々の世界観(世界は安定しほとんど変わらないものだ)によって育まれてきた歴史を概観する。
この既成概念に対抗するものを生み出した好例として、ダーウィンの「種の起源」を提示し、それが英国でどのように受け止められたか、やがて米国に進化論が流入して後の「スコープス裁判」(1925年)がどのような経過をたどったかを詳述していく運びとなっている。つまり、科学者として明らかに進化論の立場を主張してもいいところを、あえてどちらにもくみしない中道を保ち、歴史的事実や出来事のみでこの問題を解説しようと試みているのである。ここに私は好感を持った。これこそ、いわゆる「科学的」視点であろう。
5章以降、舞台は完全に米国内に移る。そしてスコープス裁判で実質的に敗退(裁判には勝ったが、名誉は失ったという意味で)した「創造論者」がどのような策を講じて進化論に対抗しようとしてきたかについて、訴訟を中心に描き出していくのである。
「創造科学」「インテリジェント・デザイン」という言葉が生み出された背景、そこでターゲットとされたもの、それらが分かりやすく解説されているため、自分が幼少期に教えられた「進化論のウソ」がどういう位置付けで議論されたものか、またはねつ造されたものかを今回初めて知ることができた。
同時に、19世紀末以来リベラリズムとの対決によって顕在化してきた創造論者の思考パターンが、どんな変遷をへてきたかを知ることで、彼らが一体何を守ろうとしているか、どこを「攻撃されている」と感じ、憂いてきたのか、をはっきりと知ることができた。
著者は創造論にくみすることはない。しかしだからと言って創造論を「間違っている」とか、「古色蒼然(そうぜん)とした時代錯誤である」と断罪することはしない。むしろ「神に創造された私たち」と信じる者たちの内面に寄り添い、未来に対する開かれた議論すら提唱しようとしている。
私のように「進化論は間違い、神への冒涜(ぼうとく)」という書物を読みながら信仰生活を送ってきた者ほど、本書を早く読むべきである。そして現実的な科学と信仰のありさまをおのおのの中に構築すべきである。本書はその一助、または決定的な方向性を示すものとなるであろう。
付記として申し述べておきたいことがある。
現在、ネットフリックスで視聴できる映画の中に「信仰と冒涜の狭間」という作品がある。熱心なキリスト教の家庭で育った学生が、大学で進化論を教える学者に出会い、自らの信仰を揺り動かされるという内容である。映画の出来としてはあまり良いとは言えず、明らかに進化論否定・創造論肯定の映画であるが、本書を読んでからこれを観ると、作品の背景となるある種の「不毛な論争」の影を見て取ることができる。ぜひ読後はこちらの映画もご覧いただきたい。
■ ユージニー・C・スコット著、鵜浦裕・井上徹訳『聖書と科学のカルチャー・ウォー 概説 アメリカの「創造VS生物進化」論争』(東信堂、2017年12月)
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