本コラムの第1回で、コヘレト書の書かれた時代背景についてお伝えさせていただきました。私はそこにおいて、「この書は『ダビデの子』の名前で書かれているので、ソロモン王の著作とされてきたが、現代の聖書学においてはその説は受け入れられていない。この書は、イスラエルがプトレマイオス王朝の支配化にあった紀元前3世紀の、コヘレトというある賢者の言葉集であると見るのが妥当である」と書かせていただきました。私は本コラムを執筆するようになってから、さまざまな立場のテキストを参照するようになりましたが、この「非ソロモン著者・紀元前3世紀成立」という見解は、私が当初想定していた以上に広く許容されているようです。
福音派とされる出版社から出されている注解書などにも、その説を採っているものがあります。マイケル・A・イートン著『ティンデル聖書注解 伝道者の書』(いのちのことば社)は、「著者はイスラエルの神に対する信仰を守るために書いている擬似編集者であり編集者兼著者である、と結論づけてもいい。彼はソロモンの称賛者で、ソロモンで有名な知恵の伝統の中で、ソロモンの人生から得られる教訓を書いているのである」(25ページ)として、「ソロモン著者説」を退けています。イートン氏はさらに「この書の成立年代を確定することはできないであろう」(26ページ)としながらも、「紀元前3世紀成立説」にかなりの理解を示しています。また、富井悠夫著『日の上からの知恵 伝道者の書講解』(同)は、「大多数の学者は紀元前280年から200年の間と考え、保守的な学者も、紀元前450年から300年の間と考えているようです」(7ページ)と紹介しています。
「非ソロモン著者説」が多くの立場において認められ、「紀元前3世紀成立説」も随分理解されているということです。いずれにしましても、私はやはりこの書の成立は、プトレマイオス王朝支配下の紀元前3世紀と見ることが妥当であると考えています。前回から学んでおりますコヘレト書の7章1節~9章6節の第2部においては、その「時代の影」が色濃く反映されているように思います。プトレマイオス王朝は、アレクサンダー大王亡き後の紀元前4世紀末に、侍従のプトレマイオス1世により建国された、エジプトを版図とする国家で、首都はアレクサンドリアでした(野町啓著『謎の古代都市アレクサンドリア』より)。
ところで、池田裕著『旧約聖書の世界』という本の中に、次のように記されているところがあります。
「コヘレトは言う―『川は、みな海に流れ入る。しかし海は満ちることはない。川はその出た所にまた帰って行く』(伝道の書1:7)。イスラエルには、豊かな水量をもって大海に流れ込む大きな恒常流はひとつもない。(中略)コヘレトは長くエルサレムに住んだようであるが、(中略)当時のヘレニズム文化の中心地の一つであった都市アレクサンドリアを訪ねたとしても不思議ではない。もしかしたらコヘレトはアレクサンドリアへの行き帰りに、黄金色に光る砂の無限の広がりの間を通って悠然と『海に流れ入る川』ナイルをじっと眺めながら、ひとり永遠なるものへ思いを馳(は)せたのかもしれない」(39〜40ページ)
コヘレトがアレクサンドリアに行った経験があるかということは、コヘレト書内の記述から確定することはできないかもしれませんが、被支配地に住む者が支配国の首都を訪れることは想像に難くありません。ここに記されているように「アレクサンドリアを訪ねたとしても不思議ではない」でしょう。あるいはコヘレトの知識量から推定すると、彼はアレクサンドリアに留学して、研鑽(けんさん)を積んでいたのかもしれません。
いずれにしましても、プトレマイオス王朝という他国による支配という背景を持って、この書は書かれていると思います。イスラエルはかつて、ダビデ王やソロモン王の支配の下で、独立を保ち繁栄していました。「ソロモンの称賛者」ともされるコヘレトは、そのことを十分に知っていたでありましょう。前置きが長くなりましたが、今回の学びに入ります。
8 事の終りは始めにまさる。
気位が高いよりも気が長いのがよい。9 気短に怒るな。怒りは愚者の胸に宿るもの。
10 昔の方がよかった(昔が今にまさる)のはなぜだろうかと言うな。それは賢い問いではない。(7:8〜10、新共同訳 後述するインクルージオ構成による配置)
前回は、7章1~10節にあります7つの比較級のトーブ(טוֹב)のうち、前半の4つについてお伝えしました(トーブは「良いこと」「幸福」「満足」「まさる」などに翻訳されます)。今回は後半の3つについてお伝えします。この3つのうち最初の2つは、今までと同じように「~は~にまさる」の形ですが、最後の7番目のものは、「~は~にまさるのはなぜかと言うな」という禁止の命令の形(英語の「Don’t+動詞の原形」)で書かれています。これは、禁止の命令をすることによって、肯定すべきものを導き出そうとしていると思えます。「昔の方がよかったのはなぜだろうかと言うな」とありますが、この表現はつまり、「今は昔にまさる」「今は昔より、より良い」ということを逆説的に言っているのだと思います。
ダビデ王やソロモン王の支配の下での繁栄といった、歴史上の時代のことを持ち出して、「昔の方がよかった」と言っても仕方がないと語っているのです。また、第12回でお伝えさせていただいたように、コヘレト書では、預言者たちが伝える理想の王の姿についても語られています。私の見方ではありますが、在りし日のダビデ王朝のことを回顧する向きも巷間(こうかん)にはあったのでしょう。だからこそ「メシア待望」というものがあったのだと思います。コヘレトは、理想の王像を伝えつつも、「昔の方がよかったのはなぜだろうかと言うな」、つまり「今は昔にまさる」と書いているのです。
コヘレトは「今のこの時を受け入れよ」と説いているのです。「事の終りは始めにまさる」(8節前半)。コヘレトにとっては、「今」という時が神のなされる最善の時です。「神のなさることはすべて時にかなって美しい」(3:11、口語訳)のです。過去からの事の、終わりである「今」こそが、始めにまさるのです。ですから、8節前半と10節は同じ意味と思われます。つまりここでも、コヘレトが多用している「インクルージオ(囲い込み)」という修辞法が使われていると思われます。提示しました聖書テキストは、この構造で配置しています。
本コラムで今まで書いてきましたように、インクルージオという修辞法は中心部を浮かび上がらせる効果を持ちます。ですから、挟まれている「気位が高いよりも気が長いのがよい。気短に怒るな。怒りは愚者の胸に宿るもの」が強調されているということになります。ここで2回記されている「怒り」と翻訳されている言葉は、ヘブライ語ではどちらも「カアス / כּעַס」です。この言葉については第7回でお伝えさせていただきましたが、「心痛、悩み、悲しみ、怒り、苛(いら)立ち」といった意味を持ちます。原文では「あなたの気持ちをカアスさせるな」と書かれています。「心痛、悩み、悲しみ、怒り、苛(いら)立ちをさせるな」とは、「気持ちを落着かせよ」という意味でありましょう。昔のことをとやかく言うよりも、今のこの時を大切にして、「あなたの気持ちを落ち着かせて生きよ」と説いているのです。それが、インクルージオを構成して中心点へと向かっている、今回のメッセージが示すところでありましょう。
コヘレト書全体を俯瞰(ふかん)して言うならば、「今のこの時を、神から与えられている『美しい時』(3:11)として受け取って歩みなさい」ということなのでしょう。次回はこの点について、「黙示思想との対比」という観点から考えてみたいと思います。(続く)
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