今日の聖書学では、イスラエルはコヘレトの時代、プトレマイオス王朝に支配されていたとされています。プトレマイオス王朝は、アレクサンダー大王の死後、彼が征服した地域が分裂してできた国の一つです。そのことは、旧約聖書のダニエル書に記されています。2つの箇所を引用します。
また、あの毛深い雄山羊はギリシアの王である。その額の大きな角は第一の王だ。その角が折れて代わりに四本の角が生えたが、それはこの国から、それほどの力を持たない四つの国が立つということである。(ダニエル8:21~21)
そこに、勇壮な王が起こり、大いに支配し、ほしいままに行動する。その支配が確立するやいなや、この王国は砕かれて、天の四方向に分割される。彼の子孫はこれを継がず、だれも彼のような支配力を持つ者はない。この王国は根こそぎにされ、子孫以外の支配者たちに帰する。このうち、南の王となった者は強くなるが、将軍の一人が王をしのぐ権力を取り、大いに支配する。何年か後、二国は和睦し、南の王の娘は北の王に嫁ぎ、両国の友好を図る。だが、彼女は十分な支持を得ず、その子孫も力を持たない。やがて、彼女も、供の者も、彼女の子らも、その支持者らも裏切られる。だが、彼女の実家から一つの芽が出て支配の座に着き、北の王の城塞に攻め入ってこれを破り、勝利を得る。(同11:3~6)
8章21節の「毛深い雄山羊」と、11章3節の「勇壮な王」がアレクサンダー大王を指しているとされます。アレクサンダー大王は、地中海からバビロンに至る地域を征服して大帝国を築き、エジプトに自身の名前を冠したアレクサンドリアという都市を建設します。しかし大王の死後、帝国は4つに分割されます。「この国から、それほどの力を持たない四つの国が立つ」(8:22)、「この王国は砕かれて、天の四方向に分割される」(11:3)は、そのことを意味しているとされます。
11章5節の「南の王となった者」が、4つに分かれた国の1つであるプトレマイオス王朝の王、プトレマイオス1世(統治・紀元前305~282年)といわれています。アレクサンダー大王が建設したアレクサンドリアは、プトレマイオス王朝の首都として発展していきます。6節の「南の王の娘は北の王に嫁ぎ、両国の友好を図る」というのは、紀元前250年頃、プトレマイオス2世(統治・同285~246年)が、娘のベレニケをシリアのアンティオコス2世に嫁がせたことを指すとされています。7節の「だが、彼女の実家から一つの芽が出て支配の座に着き、北の王の城塞に攻め入ってこれを破り、勝利を得る」は、ベレニケの兄弟であるプトレマイオス3世(統治・同246~222年)が、シリアの都アンティオキアを攻め、多くの戦利品をエジプトに持ち帰ったことを指しているといわれています。
つまり、アレクサンダー大王の帝国から分かれた、プトレマイオス朝エジプトとセレウコス朝シリアが、激しく争うようになったのです。イスラエルは両国の間に位置していました。コヘレトの時代、イスラエルはプトレマイオス朝の版図でしたが、紀元前219年にはセレウコス朝のアンティオコス3世が侵攻し、同198年にはエルサレムがセレウコス朝の支配下に入ります。イスラエルは、2つの王朝勢力による陣取り合戦の対象地となっていたのです。今回取り上げる箇所は、そういったことを背景とする出来事なのかもしれません。
13 わたしはまた太陽の下に、知恵について次のような実例を見て、強い印象を受けた。14 ある小さな町に僅(わず)かの住民がいた。そこへ強大な王が攻めて来て包囲し、大きな攻城堡塁(ほうるい)を築いた。15 その町に一人の貧しい賢人がいて、知恵によって町を救った。しかし、貧しいこの人のことは、だれの口にものぼらなかった。16 それで、わたしは言った。知恵は力にまさるというが、この貧しい人の知恵は侮られ、その言葉は聞かれない。17 静けさの中で聞かれる知恵ある者の言葉は、愚か者たちの支配者が叫ぶ声にまさる。18 知恵は武器にまさる。一度の過ちは多くの善をそこなう。10:1 死んだ蠅(はえ)は香料作りの香油を腐らせ、臭くする。僅かな愚行は知恵や名誉より高くつく。(9:13~10:1、新共同訳 9:17は聖書協会共同訳)
「ある小さな町に僅かの住民がいた。そこへ強大な王が攻めて来て包囲し、大きな攻城堡塁を築いた」(14節)というのは、先に申し上げたような時代背景を考慮すれば合致します。しかし、この箇所がどちらの王朝の侵攻の出来事であるのかは分かりません。どちらの王朝の侵攻でもないかもしれません。ただ、時代の状況は申し上げたようなことなのです。
いずれにしても、小さな町に強大な王が攻めてきて攻城堡塁を築いたのです。兵糧攻めを行なったのでしょう。しかし「その町に一人の貧しい賢人がいて、知恵によって町を救った」(15節)というのです。具体的にどのような方法で町を救ったのかは伝えられていません。けれどもここで、「知恵によって町が救われた」ということが確認できます。しかし、「貧しいこの人のことは、だれの口にものぼらなかった」とも伝えられています。つまりこの出来事を通して、「知恵によって町は救われた」が、「知恵はふさわしい報いを受けることができなかった」という2点が確認されているのです。
この出来事を通じて、4つの格言的な言葉が示されます。4つの言葉をヘブライ語原典で見てみますと、いずれも「ミン / מִן」という前置詞が使われています。本コラムの第16回でもお伝えしましたが、この前置詞は「~より~」「~は~にまさる」という比較級として使われるものです。
- 「知恵は力にまさる」(16節)
- 「静けさの中で聞かれる知恵ある者の言葉は、愚か者たちの支配者が叫ぶ声にまさる」(17節)
- 「知恵は武器にまさる」(18節)
- 「死んだ蠅(愚行)は香料作りの香油(知恵や名誉)を腐らせ、臭くする。僅かな愚行は知恵や名誉より高くつく」(10章1節)
以上4つの格言的な言葉です。
この4つを、「ミン」を機軸に見てみると分かりやすいと思います。「知恵は力にまさり、知恵ある者の静かな言葉は愚者の叫び声にまさり、知恵は武器にまさるが、しかし少しの愚かさでもそれより高くつくことがある」ということが読み取れます。
13~15節の「知恵によって町が救われたが、その知恵は報いを受けることがなかった」という出来事を、格言的な言葉を通して説明しているわけです。香料作りが精魂込めて作った香油を、死んだ蝿がそこに入り込むことによって駄目にしてしまうように、尽くしきった知恵を、わずかな愚かさが駄目にしてしまうこともあるということです。
これは、前回お伝えした「運・不運」と通ずると思います。運が悪く力が発揮できないことがあるように、知恵があるならばいつも報いがあるわけではないということです。コヘレトはそれでもなお、何かを見いだそうとしているように思えます。次回以後、そういったところを読み取っていければと思います。(続く)
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