本コラムの第15回でお示ししましたが、ミドラシュ(ユダヤ教の聖書解釈の一つ)によれば、コヘレト書は以下のように区分けがなされます(ただし、第1部、第3部の終わりは明言されていない)。
第1部:1章1節~
第2部:7章1節~9章6節
第3部:9章7節~
この区分けに基づくならば、今回から第3部に入ります。ミドラシュでは明言されていないとしても、コヘレト書の最終節である12章14節までを第3部としますと、第3部は以下のような分け方ができると思います。
9章7~10節 序文
9章11節~11章6節 本文
11章7節~12章11節 インクルージオ(囲い込み)における1章1~11節の対に当たる部分
12章12~14節 コヘレト書全体の結論
今回は、第3部の序文になると思われます、9章7~10節を読んでみましょう。
7 さあ、喜んであなたのパンを食べ、気持よくあなたの酒を飲むがよい。あなたの業を神は受け入れていてくださる。8 どのようなときも純白の衣を着て、頭には香油を絶やすな。9 太陽の下、与えられた空しい人生の日々、愛する妻と共に楽しく生きるがよい。それが、太陽の下で労苦するあなたへの、人生と労苦の報いなのだ。10 手の及ぶことはどのようなことでも、力を尽くして行うがよい。あなたが行くことになる陰府(よみ)には、業も道理も知識も知恵もない。(9:7~9、新共同訳 10、聖書協会共同訳)
ここでは、1章1節から9章6節までの、1部と2部で示されたことがまめられているように思えます。7~9節では3つのことが示されています。
7節 喜んであなたのパンを食べ、気持よくあなたの酒を飲むがよい。
8節 純白の衣を着て、頭には香油を絶やすな。
(神殿祭儀を大切にする歩み。純白の衣装と頭の香油は祭儀の際の慣習)
9節 愛する妻と共に楽しく生きるがよい。
(他者との共生)
これまで何度もお伝えしてきましたが、コヘレトは「空しい、空しい」と繰り返しつつも、空しさの外側にあることを追求しています。第1部の1~6章では、空しさの外側の3つのことが明らかにされました。それが7~9節の3つです。コヘレトは、これらのことを示すことによって、「太陽の下の世界の空しさ」を生きる人たちが、永遠なる神とつながることが大切であると説いているように思えます。それらは「空しいこと」ではないのです。
7節の「喜んであなたのパンを食べ、気持よくあなたの酒を飲むがよい」という命題は、今までに何度も繰り返して出されてきました(2:24、3:13、5:17、8:15)。コヘレトが最も好む命題であるように思えます。コヘレトにとって「食べて飲むこと」は、「神様からのプレゼント」(第8回)であり、「自分だけでなく他者と共に受けるべき分」(第14回)であり、「神の手の中にある人生に添えられたもの」(第23回)であるのです。そう見てまいりますと、この命題は永遠なる神とのつながりの中でとらえられるべきことでありましょう。
8節の「神殿祭儀を大切にする歩み」は、4章17節~5章6節において具体的に展開されていました(第13回)。コヘレトは、「神を畏れつつ」(5:6)祭儀をするように説いています。
9節には、「愛する妻と共に楽しく生きよ」とあります。妻と訳されている「イッシャー / אִשָּׁה」は、「人」の女性形であり、広義には「愛する人」と解して良いと思います。他者との共生の大切さを意味しているのです。コヘレトは、「それがあなたの人生と労苦の報いなのだ」(9節後半)と言います。この「報い」は、今までお伝えしてきました「分」とも翻訳できる「ヘレク / חֵלֶק」であり、これは神から与えられているということを意味しています。「他者との共生」の大切さは、4章4~12節(第11回)で説かれていましたが、それは神から与えられていることなのです。「他者との共生」という命題も、永遠なる神とのつながりの中で考えられているのです。
第1部では、太陽の下の世界の空しさが語られつつも、そこにある「永遠なる神とのつながりの大切さ」が説かれているのだと思います。
第2部の7章1節~9章6節では、「神に与えられた人生を、その時々、神の手の内で一生懸命生きよ」ということが示されました。10節の「手の及ぶことはどのようなことでも、力を尽くして行なうがよい。あなたが行くことになる陰府には、業も道理も知識も知恵もない」は、第2部をまとめているのだと思います。この時代、黙示思想が流布していたと考えられます。人々が現世よりも彼岸への思いを強くしてしまう思想です。しかしコヘレトは、「陰府にはもう何もない、手の及ぶことを、力を尽くして行ないなさい」と、与えられている人生を有意義に過ごすことを説いているのです。
このようにして第1部と第2部をまとめることにおいて、コヘレトは第3部を書き出しているわけです。いかがでしょうか。第1部は、「すべては空しい」「すべての労苦も何になろう」「何もかももの憂い」とかなり悲観的な書き出しでした。第2部は、「~よりも~が良い」とかなり前向きな書き出しになりました。そして第3部の序章である9章7~10節は、「喜んで食べ、気持ち良く飲み、楽しく生き、一生懸命せよ」と書かれているのです。さらに楽観的・積極的な書き出しになっているといえるのではないでしょうか。このように書き出されることで、第3部は本文へと進んでいきます。(続く)
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