Skip to main content
2026年6月25日17時52分更新
クリスチャントゥデイ
メールマガジン サポーターのご案内
メールマガジン サポーターのご案内
Facebook Twitter
  • トップ
  • 教会
    • 教団・教会
    • 聖書
    • 神学
    • 教会学校・CS
  • 宣教
  • 教育
  • 国際
    • 全般
    • アジア・オセアニア
    • 北米
    • 欧州
    • 中南米
    • 中東
    • アフリカ
  • 社会
    • 全般
    • 政治
    • NGO・NPO
    • 地震・災害
    • 福祉・医療
  • 文化
    • 全般
    • 音楽
    • 映画
    • 美術・芸術
  • 書籍
  • インタビュー
  • イベント
  • 訃報
  • 論説・コラム
    • 論説
    • コラム
    • 執筆者一覧
  • 記事一覧
  1. ホーム
  2. 論説・コラム
  3. コラム
不条理なる死を不可知の光で中和せよ

生ける者と死ねる者への裁き(その3)―生死を決めるのは神―

2022年10月27日12時00分 コラムニスト : 藤崎裕之
  • ツイート
印刷
関連タグ:マルコによる福音書藤崎裕之
生ける者と死ねる者への裁き(その3・最終回)―生死を決めるのは神―+

不条理なる死を不可知の光で中和せよ―キリスト教スピリチュアルケアとして―(32)

※ 前回「生ける者と死ねる者への裁き(その2)」から続く。

予定は未定だ

下げたくない頭も、折りたくない膝も、尽くしたくない手も、結果としてイエスにひれ伏すなら、それもありだというのが、聖書の教えるところであろう。人間はいくらでも「ふり」をすることはできる。それが本物かどうか、分かるといえば、分かるのであろうし、それが「ふり」であっても喜ぶ人はいる。

イエスはどうだろうか。人間が自分にひれ伏すことを喜ぶだろうか。そもそもひれ伏しを望んでいるふうでもないのだが。少なくとも求めているという感じはしない。

悪霊に取り憑(つ)かれたゲラサの男性、瀕死の娘がいたヤイロ、12年間病気に苦しんだ女性、この3人もまた、気が付けば膝を突いていたということであろう。前回に述べたように、自分ではどうにもならない状況の故にイエスの前に倒れ込んでいた、それがひれ伏しであったというのが本当のところではないか。

われわれ人間には、しばしばこういうことがあるのだ。礼儀うんぬんということではない。神の子イエス・キリストと出会う人間の一面なのだ。ひれ伏すという行為を、屈辱的だとか、あるいは、そこには何かしらの支配構造が隠されているとか、そういう見方はふさわしくないのだ。ひれ伏せる喜びもあると、某神父さんが言っていたのを思いだす。

イエスも、膝を折って自分の前にひれ伏す人に対して冷静ではなかったのかもしれない。少なくともイエスは足を止める。そしてイエスは、足を止めて何かをするにしても、何かを言うにしても、その瞬間はもともとどこに向かう「予定」であったことを忘れてしまっているように見える。

イエスは、急いでいるはずだが、急ぐことを目的にはしていない。その途上で足を止め、その時、その場所、その人に必要なことをなされるのだ。

ガリラヤ湖の東岸に行ったときも、その目的は悪霊に取り憑かれた人の救出だったわけでもなかろう。その先を目指していたはずなのに、彼を助けたら、180度回れ右してガリラヤに帰ってしまった。まるで使命は果たされたかのように、元の場所に帰るのだ。これもまた神の不思議というべきか。

眠っているだけさ

そうこうしているうちに、ヤイロの娘が死んだと知らせが届いた。出血病に悩まされていた女性の相手をしているうちに、死んでしまったということではない。それくらいの寄り道をしたから、少女が死んだと読み取ってはならない。そうではないのだ。

イエスが少女を助けるためにヤイロの家に向かっていたのに、命が尽きてしまったのだ。ヤイロの努力も報われなかったということである。努力のかいなくだ。これもまた、人間の世界ではしばしばあり得ることだ。精いっぱいの手立てを尽くそうとしたし、尽くしたのだけれども、どうにもならなかったのだ。ヤイロは会堂司(つかさ)であり、身分も名声もある人物だったのであろう。そういう人物であったとしても、やはり不幸は訪れるのだ。

ヤイロの家から来た人々は、「もう、先生を煩わすことはないでしょう」と言う。イエスに引き返せと言うのか。もう出番はないということか。しかし、イエスは足を止めない。そして、ヤイロに言う。「恐れることはない。ただ信じなさい」

これもまた、むちゃくちゃな言葉だ。ヤイロは「まさか娘を生き返らせるということか」と考えてしまうだろう。しかし、イエスは生き返らせるとは言わない。イエスは「子供は死んだのではない。眠っているのだ」と言う。

これは慰めの言葉ではない。肉体を去って、天において平安の眠りに就いたのだと言っているわけでもない。イエスは少女の死を認めないのだ。死ぬことを許さないのだ。たとえ生物学的には、死んでいるようにしか思えない状況であったとしても、イエスは少女の死の知らせを受け入れないのだ。死んではいない、眠っているのだと。

言いたいことは言った方がいいのだが

父であるヤイロが、娘の死を受け入れず、眠っているだけだと信じたい、そう願いたい、というのなら分かる。しかし、イエスはまるでヤイロの心を代弁するがごとく、「子供は死んだのではない。眠っているのだ」と宣言するのである。

そう、ヤイロは言えないのだ。言いたくても言えないのではないか。人間は生きもすれば、死にもする。それが道理だ。それを認めてこその大人である。でも、道理がなんだ。物分かりの良さが人生を救うのか。わが身に起こった不幸もまた神のなさることだと、素直に受け入れることが、人間のあるべき姿なのか。断じて違うのである。物分かりの良い、分別のある態度を求められる立場であったとしても、否は否である。

「わが子は死んでない。眠っているだけだ」と、そう口にすることをなぜ躊躇(ちゅうちょ)しなければならないのか。そんな道理があるものか、死を受け入れるというのは、簡単ではないのだ。イエスは足を止めない。なお、イエスはヤイロの家に向かっていく。

生を求める

生きているのか、死んでいるのか。それは、誰が決めるのか。医者か、科学か、常識か。あるいは現代社会の得意な定義というものか。私にはさっぱり分からない。24時間を経過してなお呼吸なく、脈拍なく、反応なくということか。確か、それが火葬の条件だったと思う。

生きているのか、死んでいるのか。それは、家族が決めるのか、周りが決めるのか。「眠っているだけだ」と思わずにはいられない、そういう悲しむ人々に諦めて死を受け入れるよう諭すのも、ある面で愛のある行為であることは知っている。また、それを口にするのは勇気が必要だ。

生きているのか、死んでいるのか、誰かが決めないといけないのは承知の上で、なお言い得ることがあるならば、いや、あるから大胆に述べよう。生ける者も死ねる者も結局、最終的には神が決めるのだ。

つまり、人間がなし得る死の宣告もまた仮置きに過ぎない。葬儀も埋葬もまた仮のものだ。終わりの前のちょっとした息抜きに過ぎないのだ。それは実につつましいものだ。やがて本当の意味で、生きているのか、死んでいるのかを神が決めるのだ。

死んではいない、眠っているだけだ。
死んではいない、肉体を失っただけだ。
死んではいない、陰府(よみ)にいるだけだ。

恐らく、われわれ人間に言い得ることは、このようなことに過ぎない。

イエスが死んでいないと言うなら、死んでいないのだ。確かにそれはむちゃくちゃな論理だ。そんなことを何にでも適応していたら、大変なことになる。

われわれに言えることがあるとすれば、たとえ肉体が停止しても、まだ終わりではないということだ。火葬され、埋葬され、肉体のほとんどを失ってしまっても、その気になればイエスには、この世においてさえ肉体の停止を終わらせ、その体に起きて歩けと命令もし、実際にその人は歩きもする。そういうことを、マルコ5章はわれわれに知らせているのだ。

イエスの裁きとは、そういうものなのだ。「はい、天国行き」「はい、地獄行き」という単純なものではない。むしろ、イエスはその時々において生死を自在に操るのだ。公式はない。気まぐれかもしれない。神であるので気まぐれもまた良しだ。

ただ、われわれ人間の側から言えることがあるとしたら、いずれ誰もが本当の意味で生きているのか、死んでいるのか、イエス・キリストによってはっきりさせられる時が来るということだ。その時、誰がどうなるのか、それはわれわれ人間が決めることではない。その時が来るということを自覚し、祈り続けるしかない。

イエスが死んだと言わない限り、その人は死んでいないことだけは事実なのだ。生を求める者は、徹底的に生を求めるのが正解だ。たとえ肉体が終わりを迎えても、それは恐らく一時の眠りに過ぎないのだから。(終わり)

<<前回へ     次回へ>>

◇

藤崎裕之

藤崎裕之

(ふじさき・ひろゆき)

1962年高知市生まれ。明治から続くクリスチャン家庭に育つ。88年同志社大学大学院神学研究科卒業。旧約聖書神学専攻。同年、日本基督教団の教師となる。現在、日本基督教団隠退教師、函館ハリストス正教会信徒。

※ 本コラムの内容はコラムニストによる見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
関連タグ:マルコによる福音書藤崎裕之
  • ツイート

関連記事

  • 生ける者と死ねる者への裁き(その1)―ヤイロの娘を巡って―

  • おこぼれは大事だ(その1)

  • そりゃないでしょう的なバベル譚(その1)

  • 福音は力である?(その1)

  • 口数の多い死体? ヨブ記考察(その1)

クリスチャントゥデイからのお願い

皆様のおかげで、クリスチャントゥデイは月間30~40万ページビュー(閲覧数)と、日本で最も多くの方に読まれるキリスト教オンラインメディアとして成長することができました。この日々の活動を支え、より充実した報道を実現するため、月額1000円からのサポーターを募集しています。お申し込みいただいた方には、もれなく全員に聖句をあしらったオリジナルエコバッグをプレゼントします。お支払いはクレジット決済で可能です。クレジットカード以外のお支払い方法、サポーターについての詳細はこちらをご覧ください。

サポーターになる・サポートする

人気記事ランキング

24時間 週間 月間
  • 救世軍清瀬病院が来年3月末で閉院、診療は今年11月下旬めどに終了

  • いのちの言葉聖書学校が卒業式、5人が新たな歩みへ

  • 韓国異端「新天地」の李萬熙総会長を逮捕、信者5万6千人を政党に強制入党させた疑い

  • Gゼロ時代の津波石碑(10)【久保有政氏に聞く】仏教とキリスト教のつながり(前半) 山崎純二

  • 「ヘブライズムが世界を救う」 ジーザス・ジューン・フェスティバル2026、東京・新宿で6月29日

  • 日ごとのパンを求めて―ジョージ・ミュラーの生涯(6)フランケの「孤児の家」

  • 旧統一協会の解散命令が確定、最高裁「必要でやむを得ない」 特別抗告を棄却

  • 日本キリスト教海外医療協力会、新会長に柳澤理子氏 椙山女学園大学教授

  • ワールドミッションレポート(6月24日):メキシコ カルテルと伝統の狭間で─暴力に耐えるキリストの弟子たち

  • 神学の限界と突破口(5)第1章 主な論争と解決─「聖霊論」の論争 三谷和司

  • 国旗損壊罪の創設に反対、日本キリスト教協議会が声明

  • 救世軍清瀬病院が来年3月末で閉院、診療は今年11月下旬めどに終了

  • Gゼロ時代の津波石碑(10)【久保有政氏に聞く】仏教とキリスト教のつながり(前半) 山崎純二

  • 旧統一協会の解散命令が確定、最高裁「必要でやむを得ない」 特別抗告を棄却

  • 聖書原語への招き─霊に燃え、主に仕えるために(11)パン種の譬えで示す神の国 白畑司

  • 神学の限界と突破口(5)第1章 主な論争と解決─「聖霊論」の論争 三谷和司

  • いのちの言葉聖書学校が卒業式、5人が新たな歩みへ

  • 両足に6本の指持って生まれた少年、キリスト教慈善団体の医療支援受け走れるように

  • トランプ氏のイラン戦争と移民政策、福音派で評価二分 否定的回答が半数超える

  • 「世界難民の日」 ワールド・ビジョンが8カ国で調査 子ども守る「自立」の重要性訴え

  • 国旗損壊罪の創設に反対、日本キリスト教協議会が声明

  • 米メガチャーチがビーチで洗礼式、過去最多の2552人が受洗

  • 着工140年以上のサグラダ・ファミリア、主塔「イエスの塔」完成 NHKが特番

  • 「聴く隣人のいるところ」 キリスト教高校の1年間が伝える「自由とは何か」問う大切さ

  • 日本人に寄り添う福音宣教の扉(250)未信者とセカンドチャンスに潜む大きな課題 広田信也

  • 神学の限界と突破口(4)第1章 主な論争と解決─「贖罪論」の論争 三谷和司

  • 戦後のキリスト教ブームの中で生まれた口語訳聖書、今にも生きるキリシタン時代の聖書訳

  • 救世軍清瀬病院が来年3月末で閉院、診療は今年11月下旬めどに終了

  • 聖書全巻の翻訳、800言語で完成 飛躍的に加速する聖書翻訳

  • 「祈りなくしてリバイバルは起こらない」 日本リバイバル同盟が創立30周年

編集部のおすすめ

  • 「今、求められているのは、慰めと癒やし」 能登被災者支援でゴスペルコンサート

  • 「祈りなくしてリバイバルは起こらない」 日本リバイバル同盟が創立30周年

  • 芥川賞作家の鈴木結生氏らが登壇、青山学院大学で口語訳聖書刊行70周年記念講演会

  • 四国の教会が教団教派超え一致 「愛と希望の祭典・四国」閉幕、延べ3千人以上が参加

  • 「あなたの人生は、必ずよみがえる」 第63回首都圏イースターのつどい

  • 教会
    • 教団・教会
    • 聖書
    • 神学
    • 教会学校・CS
  • 宣教
  • 教育
  • 国際
    • 全般
    • アジア・オセアニア
    • 北米
    • 欧州
    • 中南米
    • 中東
    • アフリカ
  • 社会
    • 全般
    • 政治
    • NGO・NPO
    • 地震・災害
    • 福祉・医療
  • 文化
    • 全般
    • 音楽
    • 映画
    • 美術・芸術
  • 書籍
  • インタビュー
  • イベント
  • 訃報
  • 論説・コラム
    • 論説
    • コラム
    • 執筆者一覧
Go to homepage

記事カテゴリ

  • 教会 (
    • 教団・教会
    • 聖書
    • 神学
    • 教会学校・CS
    )
  • 宣教
  • 教育
  • 国際 (
    • 全般
    • アジア・オセアニア
    • 北米
    • 欧州
    • 中南米
    • 中東
    • アフリカ
    )
  • 社会 (
    • 全般
    • 政治
    • NGO・NPO
    • 地震・災害
    • 福祉・医療
    )
  • 文化 (
    • 全般
    • 音楽
    • 映画
    • 美術・芸術
    )
  • 書籍
  • インタビュー
  • イベント
  • 訃報
  • 論説・コラム (
    • 論説
    • コラム
    • 執筆者一覧
    )

会社案内

  • 会社概要
  • 代表挨拶
  • 基本信条
  • 報道理念
  • 信仰告白
  • 編集部
  • お問い合わせ
  • サポーター募集
  • 広告案内
  • 採用情報
  • 利用規約
  • 特定商取引表記
  • English

SNS他

  • 公式ブログ
  • メールマガジン
  • Facebook
  • X(旧Twitter)
  • Instagram
  • YouTube
  • Threads
  • RSS
Copyright © 2002-2026 Christian Today Co., Ltd. All Rights Reserved.