不条理なる死を不可知の光で中和せよ―キリスト教スピリチュアルケアとして―(33)
ああ、エルサレムよ
エルサレムには、いろいろなものがあるらしい。行ったことがないので、書物やネットで知るしかないのではあるが。一番興味があるのは聖墳墓教会の「支店」である。一般的には「園の墓」といわれている場所で、それはエルサレムの城壁の外に位置しているらしい。キリストの墓を記念する教会ということではないので、今も超地味であるらしい。写真を見ると、そういう感じがする。確かに岩をくり抜いて造られた墓地のように見えるが、まあ、何となくそれらしい。
今の聖墳墓教会そのものは、4世紀にコンスタンティヌス帝によって城壁内に造られたものなので、「本店」に違いないし、筆者もその正当性を認めているから、それ以上の異議は申すまい。コンスタンティヌスの母エレナは、真の十字架と呼ばれている「イエスが実際にかけられた十字架」を発見したというから、親子共々になかなか信心深いなと思う。とはいえ、コンスタンティヌス一家もローマ皇帝らしく、家族内の内紛やら権力争いがひどくて、その多くが理不尽な死を迎えているので、その辺はどうもイエスの教えには忠実ではなかったようではある。
本当にイエス・キリストがそこに埋葬されていたかどうかはともかく、園の墓の写真を見る限り、びしばしと感じるものはある。要するに質素で筆者好みなのだ。一方で「本店」である聖墳墓教会については、ローマ・カトリック教会と正教会の間で、今もほほえましい争いがあって、それはそれで楽しい。墓に入る順番について大げんかをしている報道を見たときはびっくりしたが、それもまたキリスト教らしい味わいではある。聖職者同士の殴り合いは手加減知らずということか、確かに激しい殴り合いであった。ここでもイエスの愛の教えは忘れられているらしい。
神の言葉が来た
そのエルサレムから北東5キロに位置しているのが、アナトトの町である。ソロモン王によって追放された祭司アビアタルの町だといわれている(列王記上2章26節参照)。この町に一人の預言者が登場する。それは、紀元前7世紀から6世紀にかけてのこと。ユダの王ヨシヤからゼデキアまでの王が統治した時代である。それは、ユダの国がバビロニアに攻められ、やがてエルサレムが破壊されて多くの人々がバビロンに連行されるという、あの大事件に至るまでの激動の時代である。
この波乱の時代に祭司の家に生まれ、やがて神の預言者として召し出されたのがエレミヤである。「主の言葉がわたしに臨んだ」とエレミヤは言う。これは、エレミヤ特有の言葉というよりも、この時代の預言者が神から召し出される際の定式文である。神の言葉が天から降ってきて、ピコピコしたということではない。「臨む」と訳されているが、他に訳しようのない言葉ではある。神の言葉を聞いたというのではないのだ。その点が大事だ。
モーセの場合は、神が仰せになった言葉を彼は直に聞いたわけであるが、エレミヤ時代の預言者は神からの仰せを聞くという穏やかなものではない。聖成という言葉があるが、この場合はまさにそれ。エレミヤの中に神の言葉が生み出されたと考えればよい。ただし、日本語としてどうよ!ということになるので、「臨んだ」でよいのだが。
まあ、神の言葉がわが身に湧き起こるということであろうが、そういう経験があるようでないのが人間であるし、ないようであるのが信仰者ということになろうか。ちなみに、このようなことはほぼ誰にも起こらないから心配の余地はない。つまり、預言者など望んでなるものではないので無理して考え込む必要はないということだ。
とにかく、この時代の預言者の立ち上がりについては、このような表現がなされるという程度でよいのだが、何にしろ、神の言葉が「来た」というのは大変なことではあるので、筆者としては興味津々なのだ。
エレミヤ愛
それで、エレミヤであるが、出自としては、反エルサレム的伝統を持っていたであろうアナトトの生まれで、しかも祭司の家の出身であるというのが面白い。エルサレムそのものはダビデの町として知られているわけで、要するにダビデ家の伝統を誇る城下町かつ神殿町だ。
ヨシヤは善王の誉れ高いわけだが、一方で申命記改革と称して地方神殿を禁止した人物でもある。つまり、エルサレム神殿の他は御法度にしたわけだ。その意味するところは触れないが、もともと神殿祭儀が特徴なのがイスラエル・ユダヤの信仰なのに、地方神殿を否定するというのは、いわゆる一極集中主義である。
「神をお参りしたくば、エルサレムに来いや」ということで、これを日本の場合に置き換えれば、その傍若無人ぶりは納得されよう。伊勢神宮だけが神社であると言われるがごときであって、北海道の田舎町に住んでいる者からすれば、「ちょっと待てや」の世界である。もちろん、それをキリストの教会に置き換えても、またしかりである。
アナトトはエルサレムの近所とはいえ、もともとが追放祭司の続柄の町であるから、エルサレム神殿には行きづらい。自分の町の神殿は「どうすっとよ」という悲鳴もあったであろう。だから何だといえば、それまでなのだが。
反エルサレムの風土だから、預言者が生まれたというようなことを言うつもりはない。むしろこう言うべきか。落ち目のユダ王国の中で、追放祭司の町という何とも寂しい、ほとんど忘れられていたような土地の恐らく没落司祭の家に生まれた人物が、なぜか神の預言者になったと。
エルサレムにこそ神の神殿がある。そりゃ「本店」なんだから文句の言いようもないけれども、ちょっとひねくれた者から見れば、「支店」の方こそ味わい深いのではないかと考えたりする。そういう「支店」から大預言者が登場したとなると、肩入れしたくもなるだろうということである。(続く)
◇