矢内原のキリスト教信仰とナショナリズム
東京帝国大学教授の矢内原忠雄(1893~1961)は、1937年、いわゆる「矢内原事件」で大学を辞し、専業の伝道者となる。矢内原は『中央公論』誌上で「国際正義」と「国際平和」を訴え、さらに日中戦争を遂行する国家を激しく批判したために、大学を追われる。だが、赤江氏は、矢内原の思想においては、キリスト教信仰とナショナリズムが密接に結びついていると指摘する。
「然(しか)らば『全体』の観念の把握について、基督教は何らかの寄与を為し得るであらうか。然り、聖書のエクレシヤ観(教会観)は典型的なる全体主義社会であり、基督教の全体主義の理想はその中にあるのである。このエクレシヤ観を純粋に把握し、且(か)つ積極的に展開することによって、基督教は全体主義に『たましひ』を吹き込むことが出来る」(『矢内原忠雄全集』15巻141ページ)
矢内原は、戦時下において「キリスト教の全体主義の理想」を語っている。そして、その理想の全体主義の中心に、天皇が位置付けられる。
「併(しか)し、私は真に日本人の心によって基督教が把握せられて、本当の歪められないところの基督教が日本に成立つ、日本に普及する、其(そ)の時の光景を考へてみますと、上に一天万乗の皇室がありまして、下には万民協和の臣民があつて何の掠(かす)めとる者もなく何の脅かす者もなく、正義と公道が清き川の如(ごと)くに流れる。さういふ国を私はまぼろしに見るんです。(中略)さうしたいんです。私はさうしたい。さういふ国に私の国をしたい」(『矢内原忠雄全集』18巻701ページ)
こうした矢内原の姿勢は、戦争が終わり、天皇の人間宣言が出された後も変わっていない。
「併し陛下、今の状態の儘(まま)ではいけません。聖書をお学びになれば、陛下ご自身の御心が平和を得、希望を得、勇気を得、頼り所を得られます。陛下に洗礼をお受けなさいとか教会にお出でなさいとか、そんな事を私は申すのではありません。陛下を基督教徒にしようといふのではありません。けれども聖書を学んで頂きたい。それがやがて国の復興の模範となり、基礎となるのであります」(『矢内原忠雄全集』19巻)
矢内原は、戦中も戦後も、「天皇のキリスト教化」と「日本精神のキリスト教化」を構想していたのである。
これまで、矢内原は軍国主義的ナショナリズムに抵抗した人物として論じられてきた。それは間違いではない。ただ、それと同時に、矢内原の思想において「キリスト教」と「ナショナリズム」、そして「天皇」への尊敬が並存しているという指摘は、日本近代のキリスト教を考える上で避けて通れない問題を含んでいるといえるだろう。
なぜ無教会は戦後、学問・宗教界を超えた威信を持ち得たのか?
戦後、南原繁(1889~1974)と矢内原が続けて東京大学の総長となり、無教会は学問・宗教界を超えた威信を持った。その理由として、赤江氏は4つの点を挙げる。
- 体制翼賛に組み込まれた日本キリスト教界とは対照的に、戦争反対の「殉教者」とみなされたこと。
- 彼らはキリスト者であると同時に、天皇を尊敬する愛国者であったこと。
- 特定の宗教団体や教派に属していないため、大学知識人として学問的な立場を中立的に代表しているように見えたこと。
- 同じ理由から、特定の教派ではなく、キリスト教の「精神」を代表する存在に見えたこと。
無教会であるが故に、「キリスト教精神」を語っても特定の宗教団体に関わるものではなく、憲法の信教の自由や公教育の中立性の原則を守りながら発言することができた。この指摘は非常に説得力がある。さらにこの無教会派知識人の系譜は、内村から洗礼を受け、マックス・ウェーバー研究の大家だった大塚久雄(1907~96)に受け継がれ、その「禁欲主義的プロテステンティズム」が資本主義を形成したという歴史的議論が力を持ち、戦後民主主義に滑らかに接続されていったという。
無教会の雑誌は、戦後の25年間に94誌が発行されている。教会神学者との間でも論争が活発に行われ、日本聖書学研究所が設立されるなど、無教会が聖書学を牽引する時代が続いた(この時代について、田川健三(1935~)は「聖書の研究と言えば無教会」と語っている)。しかし、1960、70年代に、矢内原や塚本虎二(1885~1973)が亡くなるころから、無教会派知識人の存在感は次第に薄れ、無教会信徒の高齢化が生じ始める。
「紙上の教会」の一員に託された内村の遺言
赤江氏は本書の最後に、1916年に内村が弟子に遺した預言のような遺言を引用している。
「余の事業と称すべきものは全く消え去るであろう。(中略)然しながら、余の事業は是がために必ず滅びないと信ずる。(中略)余の知らざる人より、あるいはかつて一回も余に接触せしことなき人より、あるいは遠方にありて余の雑誌又は著述によりて余の福音を知りし者よりして、余の精神、主義および福音を了解し〔て〕くれるもの現われて、思わざる所にこれを唱え、余の志を継承しかつこれを発展し〔て〕くれることを確く信ずる」
ここで書かれている「余の精神、主義および福音を了解し」、「余の志を継承しかつこれを発展」する者とは誰のことなのか? 赤江氏は、それは書物や雑誌を通して内村が語った福音を読む「私たち」のことに他ならない、という。そして本書をこう締めくくっている。
「『紙上の教会』としての無教会は、内村鑑三や無教会主義者たちの書いたものが読まれるとき、そして彼らをめぐって書かれたものが読まれるとき、そこに存在している。本書は、そのような仕方で、無教会の存在に触れているのである」
ならば、本書や、本書を通して内村や無教会の書物を読む「私たち」もまた、「紙上の教会」に連なる一員であるということができる。
無教会とは何か? それは、日本近代の思想、教育、キリスト教にどのような影響を与えたのか? 本書は、最も新しく貴重な、そして現代的な問い掛けを持った研究だといえるだろう。