-神からの独立・人からの独立-
ジークムント・フロイトは1856年、アシュケナジー系ユダヤ人としてオーストリアに生まれ、温かい母の愛の元で育ちました。彼が開発した精神分析法は従来の精神医学の流れを大きく変え、徐々に20世紀前半の心の治療の主流になっていきました。精神分析では不安の根源を、過去の無意識に封印された特別な体験に求めるという原因論的な考え方です。
当時は科学や哲学によって神に反抗し、神を否定することが一つの流行であり、生物界においてはダーウインが、精神医学界においてはフロイトが反キリスト教の旗手となったのです。彼らは人々の心に住む神への思いや罪意識をことごとく取り去ろうとしました。その試みはほぼ成功し、今日では、あえて神を否定する必要がないほど、人々の意識から神概念が遠のいたのです。
ウイーン大学卒業後、フロイトは脳神経の研究をしていましたが、脳と心の働きに強い関心を持っていました。彼はダーウインの進化論の影響を受け、動物としての人間という観点から、人間の心の働きを脳科学的に解明しようとしていたのです。
29歳の時にパリへ留学し、著名なシャルコーが催眠療法によってヒステリー(神経症の一種で、体が動かなくなったり、しゃべれなくなったりする病気、当時流行していた)の治療を行う講義に感動して、精神科医に転向したといわれています。
翌年ウイーンに戻り、催眠によって患者の治療をしようとするのですが、うまくいきません。彼はあまり器用な方ではなかったようですが、それがかえって良かったのです。彼なりに工夫を重ねて、誰でも簡単にできる自由連想と呼ばれる治療法を編み出したのです。これは、患者をソファーに横にさせて、治療者は患者から見えない頭側に座り、質問を重ねて心を探り、過去を回想するという方法です。そのような治療経験の中で彼は、人間には普段意識できていない心の構造があって、それが人間を動かしているという無意識の存在に気がつきます。
催眠療法や自由連想法を行って患者の過去を遡っていくと、記憶の辿り着くところが性的な外傷体験であることが多く、フロイドはこのような幼少時の性的外傷体験こそがヒステリーの原因であるとの仮説をたてて発表しました。その後も症例を重ねることで、この確信を強めて、心の問題のほとんどは幼少時の性的外傷体験であり、更に人間の行動原理をすべて性欲で説明しようとしたため、後に汎性欲説と呼ばれることになりました。
当時は性的な話題はタブーな時代だったので、性的な出来事が心のすべての働きの原動力だと考えるのは、ウイーンを中心としたヨーロッパの人々にはとてもショッキングなことで、最初は受け入れられませんでした。しかし、優秀な精神科医であったアドラーなどの賛同も得られて、徐々に評価されるようになります。特に動物としての人間を強調し、社会的に見える行動すらも動物的な性本能にその起源があるとするのは、唯物論的な思想が流行した当時の人たちにもてはやされたに違いありません。彼らは心の葛藤を説明し、さらに罪意識から抜け出すための、聖書の教えに代わる別の教えを求めていたのです。フロイトの宗教を否定し、信仰さえも心の弱さのコンプレックスであるという考え方は、神から独立しようする人々の新しいライフスタイルとなったのです。
無意識という得体の知れない世界が自分の中にあって、そこには本能的な力である性欲という魔物が住んでいるという考え方は、これまでには無い、全く新しい発想でした。実は何の科学的根拠もない仮説に過ぎないのに、すべての人間のこころの現象は脳科学的に証明できるという夢に少しでも近づいていけるような期待を抱かせたことでしょう。
一方、すべての人間活動の原動力が性欲であるというのは、あまりにも極端であり、ついて行けないと感じる人たちも少なくありませんでした。
彼は心の片隅に押しやられた幼少時の性的外傷体験を、自由連想を用いて想起し、言語化することで心の病気の症状も消失すると考え、これをカタルシスと呼びました。このようなプロセスを重ねることで、患者の自我をしっかりさせて、精神的自立をめざします。
このように、人は自我を強くしていけば、他人に依存しない独立した存在になっていけると考えていたようです。フロイトはナチスドイツのユダヤ人への迫害が切迫してきた時も、弟子たちに亡命を勧められた際に、自分の責務を果たさなければという理由で、ぎりぎりまでウイーンを離れることを拒否していたほどです。
今日もフロイトのように「人が成長して強くなると、やがて独立して一人で生きていける」という幻想を抱いている人が少なくありません。さらに、クリスチャンでも「信仰が強くなって成長していけば、神にだけより頼み、人間に依存せず生きていける」と考えている人もいます。これは危険な考え方だと思います。神は「人がひとりでいるのは良くない」(創世記2:18)とはっきりと語られ、交わり、共生、協力こそ人間のあるべき姿であると教えています。
今日、せっかく神の救いを経験したにもかかわらず、信仰は保ちながらも教会を離れて、自分と神だけの世界に理想郷を求めている人がおられるのは残念です。
「もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」(Ⅰヨハネの手紙1:7)。神と交わっていることの証は、人との交わり、すなわち教会生活に反映されるはずです。
このような誤解の背景には、フロイト的な人間の自立・独立的な理想像が影響していると思われます。
フロイトは人の他者との関係は次の3段階をへて成長していくと考えました。
① 「自体愛」自分の体を愛している状態
② 「自己愛」愛してくれた人を愛したい状態
③ 「対象愛」見返りもなく相手を愛せる状態
しかし、最終段階の「対象愛」、すなわち無償の愛は人間には無理であると考えていたのです。
フロイトにとって、隣人愛は理想命令であり、人間の本性に反します。隣人愛は人間の持つ攻撃的衝動を抑制するために、文化から生みだされた取り繕いの制止命令です。人間に生まれつき備わる他者を攻撃する傾向を、道徳によって除去しようと守っているのです。
フロイトが初めてこの隣人愛という理想命令を耳にした時、驚きと意外さの感情を抑えることができませんでした。「この命令は実行できない」(『文化への不満』)とはっきり書いています。
隣人は愛するに値するどころか、「他人は苦しみをもたらす存在」(『幻想の未来』)と述べ、隣人愛へのフロイトの反発は強烈です。「なぜそうすべきなのか。そうすることが何の役に立つのか。何よりも、この命令をどのようにして実行するのか。そもそも実行できるのだろうか」とフロイトは問います。
そういう点ではフロイトはかなり正直だと思います。そもそも人は神の愛によってしかそのような尊い愛を持ち得ないのです。フロイトの力説した性愛(エロス)では無償の愛を説明できません。キリストが示された、十字架の犠牲の愛、無償の愛、無条件の愛(アガペー)こそキリスト教の本質といえます。
晩年に何冊もの書物を書いて、科学と理性を用いてキリスト教を否定していますが、罪意識や不安の解決には至っていません。自らは無償の愛を否定しながら、フロイト自身が一番これを求め、目の前に見つけながらも彼自身のプライドが邪魔して心に受け入れることができなかったことは、大変残念です。
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浜原昭仁(はまはら・しょうに)
金沢こころクリニック院長。金沢こころチャペル副牧師。1982年、金沢大学医学部卒。1986年、金沢大学大学院医学研究科修了、医学博士修得。1987年、精神保健指定医修得。1986年、石川県立高松病院勤務。1999年、石川県立高松病院診療部長。2005年、石川県立高松病院副院長。2006年10月、金沢こころクリニック開設。著書に『こころの手帳―すこやかに、やすらかにー』(イーグレープ)。