旧約聖書に見る本来の労働の姿として、ダニエルの労働を取り上げる。現代の労働はほとんど、何らかの組織を通じて行われる。そしてほとんどの組織や制度は権力の獲得や維持、また利益の追求を目的としている。そのような組織の中で働くことが正しいかどうか。このことについては、ユダヤ人でありながらバビロンに忠実に仕えたダニエルの歩みが模範となる[5] [10] [18]。
第一に、ダニエルは異教徒のバビロン王に仕えることを拒否しなかった。憎むべき敵国であっても、国を治めて義と公平の支配する健全な社会をつくり上げるのは神のみ旨であると知って、王の召しに応じた。王に仕える職務を、究極的には天地を造りすべての人を支配しておられる神に仕える仕事だと考えたからである[5]。
第二に、政治的支配者である王に仕えることは拒まなかった。「ときに、ダニエルは、他の大臣や太守よりも、きわだってすぐれていた。彼のうちにすぐれた霊が宿っていたからである。そこで王は、彼を任命して全国を治めさせようと思った」(ダニエル6:3)。しかし、異教の神々に仕える宗教的服従は拒否した。ダニエルは信仰においては神の法則に従うことを選び妥協しなかった[5]。
第三に、ダニエルは神の主権のもとで、神の栄光のために仕事をした[5]。そしてついに、彼が仕えた王たちに「ダニエルの神はほむべきかな」と神を認めさせ、神をあがめさせたのである[27]。「王はダニエルに答えて言った。『あなたがこの秘密をあらわすことができたからには、まことにあなたの神は、神々の神、王たちの主、また秘密をあらわす方だ』」(ダニエル2:47)、「私は命令する。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く」(ダニエル6:26)、「この方は人を救って解放し、天においても、地においてもしるしと奇蹟を行ない、獅子の力からダニエルを救い出された」(ダニエル6:27)。
この世の仕事は、常に、何らかの偶像礼拝に引き寄せられていく。企業は「かね儲け」という偶像の前に正義を捨てるし、役所は官僚機構の維持のために一切を犠牲にする。このような世界の中で、仕事の全体を神に仕えさせ、神の栄光を現すものとすることは、ほとんど不可能に近いように私たちは思いがちである。しかし本気で祈り、難事業に取り組む者には、不可能も可能にされる神が助けを与えて下さる。ダニエルも神によって、王の見た夢を内容も知らずに解き明かすことができた[5]。
人の罪の問題、堕落した人間の姿
人間は蛇(サタン)に欺かれ、神に対して不信感を持ち、罪を犯し、神との交わりを失った(創世記3:1~7)。もはや、いのちの息を受けることはできなくなった。神の支えを失った人間は、自分を守ろうとして、いちじくの葉で腰をおおい、神の顔を避けて身を隠し、責任を問われるとそれを他に転嫁した(創世記3:7~13)。このような自己防衛と逃避と責任転嫁の姿勢が神との交わりを失わせ、そこから来るいのちの息の枯渇が、人間同士の交わりを損なわせ、世界を管理する力を人間から奪い去った[10]。
このように神との交わりを失い堕落している人間には、聖霊の直接的な働きがなく、魂(知性・意志・感情)は腐敗している。知性に関する限り、どんなに上手に説明されても神と神の国とを理解することができない。なぜなら罪は人間の理解を暗くし霊的に全く盲目にしてしまうからである。「あなたがたは自分の罪科と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました」(エペソ2:1~2)。意志に関しては、すべて罪を犯すものは罪の奴隷であるために(ヨハネ8:34)、神に従うように意志を働かすことができない。また生まれつきの思いは、神の律法に従わず、否、従い得ないのである(ローマ8:7)。さらに感情に関して言えば、人間は神を愛することができない。肉の思いは神に敵するからである(ローマ8:7)。
また神との交わりのない人間は、この世を用いて私たちの五感や思いによって私たちの肉を刺激し罪へと誘導するサタン(「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい」(エペソ6:11))、また大脳・中脳神経系に条件付けされた古い自己の生き方のパターンと神から独立しようとする体と魂の性向である肉(「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした」(エペソ2:3))、更にサタンの統治下にある神を拒否するシステムであるこの世(「私たちは神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています」(Ⅰヨハネ5:19))、等との戦いに勝つことができない。勝つ力を得ることができない[16]。
労働の目的と理由の変化
(1)人間の罪のために、神様が私たち人間に与えて下さった世界管理という労働の究極的目標は見失われ、その意義も見失われた[5]。労働は虚無に服した。アダムとエヴァの堕罪後においては、宗教と労働が分かれて、7日間の中で安息日が定められ、それ以外の6日間で労働が進められるようになった。
(2)神と隣人に仕えるのではなく、自己達成と物質的な富の獲得に主体が置かれるようになった。隣人は、金やその他の利益を得るための欲望の対象となった。
(3)労働は偶像となった[4]。
(4)労働は神の視点ではなく自分の視点から始めるもの、この世に調子を合わせたものとなった。労働における思いのベクトルは常に自己に向いており、すべての価値観の基準は自己となった。「私は」、「私が」、「私の」が全てであるようになった[16]。
(5)労働が搾取と抑圧の手段となった(ヤコブ5:4)。地を自らのために搾取するようになった[4]。
(6)労働の遂行を苦痛と考えるようになった[4] 。労苦による報酬という因果の鎖に繋がれるようになった[5]。労働は自発的で自由な協力のもとに進められる楽しいものではなくなり、強制秩序の下で力ある者に強制される労苦に満ちたものとなった[10]。
(7)労働の目的は、生計を立てるためや命の糧を得るため(創世3:19)、物質的な富の獲得をするため、食べるため、生活するため [4]、自己の利益のため、利益を得るため、お金を得るため、自立をするため [21] 以上のものではなくなった。
(8)労働は自己達成、自己満足、私欲のためのものとなった[4]。自分の楽しみのため、自分の願望を達成するため、自分の成長を願うためのものとなった[2]。そして自己表現の手段を得るためのものとなった[21]。やりたいことを実現するためのものともなった。
(9)仕事に対するこの世の人の考えや価値観は、「間違いなくお金のため」、「仕方ないよね、庶民だもん」、「自分を表現できる手段にできたらいいな」、「自立に欠かせないから」等である[21]。
(10)どのような仕事が理想的かという質問への答えは、1番目:収入が安定している仕事、2番目:自分にとって楽しい仕事、3番目:自分の専門知識や能力がいかせる仕事、4番目:失業の心配がない仕事である。これが現代人の考えである[22]。
参考文献
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[47] 「キリスト教主義打ち出すクリスチャン企業」(『リバイバル新聞』2005年5月22日号)
[48] 「フィジーのリバイバルを収録」(『リバイバル新聞』2005年)、及びDVDビデオ「海は鳴りとどろけ」(2005年、プレイズ出版)
■ 働くことに喜びがありますか?: (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)
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門谷晥一(かどたに・かんいち)
1943年生まれ。東京大学工学部大学院修士課程卒業。米国ミネソタ州立大学工学部大学院にてPh.D.(工学博士)取得。小松製作所研究本部首席技監(役員待遇理事)などを歴任。2006年、関西聖書学院本科卒業。神奈川県厚木市にて妻と共に自宅にて教会の開拓開始。アガペコミュニティーチャーチ牧師。著書に『ビジネスマンから牧師への祝福された道―今、見えてきた大切なこと―』(イーグレープ)。