パウロは手職を身につけていた。それは、使徒行伝18章3節で「天幕作り」と呼ばれているものである。彼は宣教者でありながら自分の手で働いて生計を立てていることを誇りにしていた(Ⅰコリント4:12)。パウロの具体的な労働内容は明らかではないが、彼の労働に対する姿勢は、既に彼の言葉を引用しながら次のように要約した。
(a) 自分の仕事を、自分の手で、身をいれ、労苦して行うこと、(b) 正しく、静かに行うこと、(c) 外の人々に対してもりっぱにふるまえるよう、また身をもって他の人に模範を示すことができるように行うこと、(d) 真心から地上の主人に従って、主に仕えるように善意をもって行うこと、(e) キリストのしもべとして、心から神のみこころを行うように行うこと[19]。
パウロが自分の労働をこれらの御言葉通りに行ったことは想像に難くない。パウロにおいて労働は、次の項目をそのまま満たすものであったということができる。
(a) 労働は神のための奉仕である、(b) 労働は神を礼拝することである、(c) 労働は人のための奉仕である、(d) 労働は恵みを受けることである、(e) 労働は必要を満たすためである。
まとめ
神が与える労働の本来の姿について、色々な角度から見てきた。労働の本来の姿がどんなに素晴らしいものであり、それが喜びと恵みと祝福に満ちたものであるのかを知ることができた。
我が国においては神を知らない人が大多数であり、キリスト教徒は神を知らない多くの人達に取り囲まれて働いている。従って労働の場において、神が与える労働の本来の姿を、少ないキリスト教徒のみで取り戻し回復することは、極めて困難な状況であると思われる。
しかし私たちは、神に不可能なことはないこと、神には無限の力があることを覚えたい。私たちキリスト教徒一人一人が喜びと希望を持ち、置かれたそれぞれの労働の場の中において、また労働の場の外から、神を証しし、福音を大胆に述べ伝え続けていくことが肝要である。
そのためにも、現状の労働の姿が、あるべき本来の労働の姿からいかにかけ離れたものであるかをしっかりと認識する必要がある。次にその神から離れた労働の姿について見て行きたい。
神が与える労働の本来の姿 総括
神が与える労働の本来の姿においては、エデンの園は祝福の場所であり、アダムとエヴァには聖霊は内住していなかったが、彼らは自分の霊によって神と充分に交わることができ、神からの祝福が豊かに注がれていた。労働の姿は全体として祝福の構造、罪のない構造にあった。
・労働と信仰との関係―労働と信仰は一体化(神が共におられた)
・人間の霊―神と交わることができる状態(聖霊の内住はなかった)
・労働の場所―エデンの園(祝福の場所)
・労働の状態―喜びと多くの祝福に満ちたもの
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門谷晥一(かどたに・かんいち)
1943年生まれ。東京大学工学部大学院修士課程卒業。米国ミネソタ州立大学工学部大学院にてPh.D.(工学博士)取得。小松製作所研究本部首席技監(役員待遇理事)などを歴任。2006年、関西聖書学院本科卒業。神奈川県厚木市にて妻と共に自宅にて教会の開拓開始。アガペコミュニティーチャーチ牧師。著書に『ビジネスマンから牧師への祝福された道―今、見えてきた大切なこと―』(イーグレープ)。