正木弥
-
なにゆえキリストの道なのか(61)世界は始まりがなく、永遠の昔から一定に存在していたのでは 正木弥
これも考え方の1つとしてはあり得ることで、神による創造のない科学説・世界観です。近代では、フレッド・ホイルらによって主張されました。
-
なにゆえキリストの道なのか(60)偶像崇拝はなぜいけないのか 正木弥
古代エジプトでは、さまざまな鳥、獣、自然物が拝まれました。タカ、牛、山犬、ワニ、コブラ、太陽…ある学者がエジプトの神々の一覧表を作ろうとしたところ、その数のあまりの多さに圧倒されてやめてしまったとのことです。
-
なにゆえキリストの道なのか(59)聖霊はどのような存在なのか 正木弥
聖霊は、「神の霊」とも「御霊」とも呼ばれ、「神」を構成する神です。前回の図で言えば、粒々のみかんに当たるものです。
-
なにゆえキリストの道なのか(58)三位一体の神は3つの神に見える、唯一ではないではないか 正木弥
聖書の言葉ヘブル語では、「ただひとり」とか「1つ」は、「エハド」の語が用いられています。それは単一個体だけでなく、複合的な統一体である場合もあります。
-
なにゆえキリストの道なのか(57)三位一体の神とはどういうものか 正木弥
目に見えない神を、目に見えるように、図で描いて説明しましょう。
-
なにゆえキリストの道なのか(56)神がほめたたえられたいというのは虚栄にとらわれた人間のよう 正木弥
人は、仮に、その現実の姿、あるいは言動やその結果が他の人よりも秀で、優れ、立派であるにしても、それはあくまで人と人との比較によるもので相対的なものです。人には限界があり、所詮(しょせん)はドングリの背比べに過ぎません。
-
なにゆえキリストの道なのか(55)愛の神がねたむのは神にふさわしくない 正木弥
“ねたみ”とは、一般に、他の人間が自分より立派とか、良い状態にあるとか、自分より愛されているとかのため、そうであってほしくない、という感情であって、自己中心的な醜い精神作用であるといえます。その底辺には、自分の栄光を求める気持ち、自分への愛をむさぼる姿があります。
-
なにゆえキリストの道なのか(54)神が考えていることはどうやったら知ることができるか 正木弥
神が考えていることは、聖書に表されていますから、聖書を読めば分かります。神は人間にそれを知ってほしいと考え、聖書を用意してくださったのです。
-
なにゆえキリストの道なのか(53)神は人間と同じように考える方なのか 正木弥
神にはパーソナリティー(人格)があって、個別自存性の自己意識(自分は他とは違う自分、何にも変えがたい自分であるとの意識)を持ち、自己意志を決定し、自己を表現する存在です。そして、論理的・理性的・道徳的に考える方です。
-
なにゆえキリストの道なのか(52)神を信じなくても生きていけるではないか 正木弥
キリストの神を信じなくても、“死ぬまでは”生きていけます。苦難の日が来ても、「また良い日もあるだろう」とひたすら我慢していけば、何とか生き続けられるでしょう。
-
なにゆえキリストの道なのか(51)何でも神のせいにして自分の主体性がなくなるのではないか 正木弥
人は自由意思を与えられていますから、悪をなすことも、神に背くことも、神を否定することさえもできます。そのような人は、往々にして、社会がどんな状態だから、時代がこうだからといった非主体的な理由により、あるいは流され、あるいは欲望のままに生きています。
-
なにゆえキリストの道なのか(50)神が人を造ったのではなく、人が神を作ったのではないか 正木弥
人間には思考力が与えられたので、さまざまなことを考えることができます。そのあまり、神概念まで作り上げ、神についてのストーリーまでも作り上げたのではないか、というのです。
-
なにゆえキリストの道なのか(49)目に見えるものでないと拝めない 正木弥
自分の目の前の虚空を見てください。何にも見えないでしょう。しかし、そこに何にもないということではありません。目には見えなくとも、空気があります。空気に小さいほこりが浮いています。
-
なにゆえキリストの道なのか(48)聖書の神が本当の神だという証拠はあるのか 正木弥
聖書の神は、人間の考えをはるかに超えて大きく、偉大で、力強く、賢明で知恵があります。全知・全能であり、完全・永遠・無限であり、普遍にして不変です。聖(きよ)く、義(ただ)しく、真実であり、愛である方です。このような方を神と言わないで他の何を神というべきでしょう。
-
なにゆえキリストの道なのか(47)“聖書の神”以外に神はいないのか 正木弥
もし、あなたが、聖書の神以外に「これが本当の神だ」と確信する神がいるなら、その神を拝み、信奉すればいいのです。信教の自由がありますから。ただし、それでいろいろ害を被ったり、むなしい結果になっても致し方ありません。
-
なにゆえキリストの道なのか(46)神はどのようにして存在するようになったのか 正木弥
神が存在する“前”はありません。神は永遠の前から存在していました。造られた存在ではなく、自然発生した存在でもありません。永遠に自存しておられる方です。死ぬことも、消滅することもありません。永遠に存在する方です。
-
なにゆえキリストの道なのか(45)神はどこにいるのか 正木弥
神は、前項記述の通り、霊である(物質でない)ので、人間の目には見えません。それだけでなく、自由自在に伸び広がり、自由自在に素早く移動することができます。
-
なにゆえキリストの道なのか(44)神はなぜ見えないのか 正木弥
音波は見えないが、現実に音が聞こえるので、音波があると分かります。紫外線も見えませんが、日焼けにあった箇所を見て紫外線が来たことが分かります。
-
なにゆえキリストの道なのか(43)神の存在は証明できるのか 正木弥
神を信じるのは論証によってではありません。むしろ直感によるのです。しかし、信じるなら、論証がいっぱい出てくるので、以下お示ししておきます。
-
なにゆえキリストの道なのか(42)科学と理性は神がいないことを示しているではないか 正木弥
ある浮浪者が山の中で一軒家を見つけました。さ~て、ここを自分の“ねぐら”にでもしようかと考えて、本当に誰もいないか、とよく観察しました。
人気記事ランキング
-
救世軍清瀬病院が来年3月末で閉院、診療は今年11月下旬めどに終了
-
いのちの言葉聖書学校が卒業式、5人が新たな歩みへ
-
Gゼロ時代の津波石碑(10)【久保有政氏に聞く】仏教とキリスト教のつながり(前半) 山崎純二
-
韓国異端「新天地」の李萬熙総会長を逮捕、信者5万6千人を政党に強制入党させた疑い
-
「ヘブライズムが世界を救う」 ジーザス・ジューン・フェスティバル2026、東京・新宿で6月29日
-
日ごとのパンを求めて―ジョージ・ミュラーの生涯(6)フランケの「孤児の家」
-
旧統一協会の解散命令が確定、最高裁「必要でやむを得ない」 特別抗告を棄却
-
日本キリスト教海外医療協力会、新会長に柳澤理子氏 椙山女学園大学教授
-
神学の限界と突破口(5)第1章 主な論争と解決─「聖霊論」の論争 三谷和司
-
ワールドミッションレポート(6月24日):メキシコ カルテルと伝統の狭間で─暴力に耐えるキリストの弟子たち
-
国旗損壊罪の創設に反対、日本キリスト教協議会が声明
-
救世軍清瀬病院が来年3月末で閉院、診療は今年11月下旬めどに終了
-
Gゼロ時代の津波石碑(10)【久保有政氏に聞く】仏教とキリスト教のつながり(前半) 山崎純二
-
旧統一協会の解散命令が確定、最高裁「必要でやむを得ない」 特別抗告を棄却
-
聖書原語への招き─霊に燃え、主に仕えるために(11)パン種の譬えで示す神の国 白畑司
-
神学の限界と突破口(5)第1章 主な論争と解決─「聖霊論」の論争 三谷和司
-
両足に6本の指持って生まれた少年、キリスト教慈善団体の医療支援受け走れるように
-
トランプ氏のイラン戦争と移民政策、福音派で評価二分 否定的回答が半数超える
-
いのちの言葉聖書学校が卒業式、5人が新たな歩みへ
-
「世界難民の日」 ワールド・ビジョンが8カ国で調査 子ども守る「自立」の重要性訴え
-
国旗損壊罪の創設に反対、日本キリスト教協議会が声明
-
米メガチャーチがビーチで洗礼式、過去最多の2552人が受洗
-
着工140年以上のサグラダ・ファミリア、主塔「イエスの塔」完成 NHKが特番
-
「聴く隣人のいるところ」 キリスト教高校の1年間が伝える「自由とは何か」問う大切さ
-
日本人に寄り添う福音宣教の扉(250)未信者とセカンドチャンスに潜む大きな課題 広田信也
-
神学の限界と突破口(4)第1章 主な論争と解決─「贖罪論」の論争 三谷和司
-
戦後のキリスト教ブームの中で生まれた口語訳聖書、今にも生きるキリシタン時代の聖書訳
-
聖書全巻の翻訳、800言語で完成 飛躍的に加速する聖書翻訳
-
「祈りなくしてリバイバルは起こらない」 日本リバイバル同盟が創立30周年
-
「ありがとう」か「あたりまえ」か 佐々木満男
















