愛の神がねたむのは神にふさわしくない。
“ねたみ”とは、一般に、他の人間が自分より立派とか、良い状態にあるとか、自分より愛されているとかのため、そうであってほしくない、という感情であって、自己中心的な醜い精神作用であるといえます。その底辺には、自分の栄光を求める気持ち、自分への愛をむさぼる姿があります。
これに対して、神がねたむという場合は、神の、愛の対象に対する強烈な愛があって、その愛の対象が滅びることを許さないというお気持ちなのです。人が偶像を慕うなら、その人は滅びに向かうことになるので、これを阻みたいお気持ちになるのです。つまり、人が救われてほしいという強い愛の裏返しであるともいえましょう。偶像へのねたみというよりは、人の魂への強いこだわりの感情であり、意志であるといえます。神の、人に対する深い愛、強い愛に基づくものであって、人間同士の肉的感情とは異なるものです。
イスラエルの神とその民の関係は、夫婦の関係にたとえられます。夫婦では、夫は妻を愛し、妻も夫を愛すべきです。ところが、妻が別の人を愛するようになると、夫はそれをねたみ、怒るでしょう。ねたみと怒りは表裏一体なのです。ねたみは、強い愛・激しい愛のあるところに生じるのです。あなたは、その強い、激しい愛を、神から感じ取るべきなのです。
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