神が人を造ったのではなく、人が神を作ったのではないか。神とは、人間と世界をうまく説明するために人間が考え出したものではないか。
人間には思考力が与えられたので、さまざまなことを考えることができます。そのあまり、神概念まで作り上げ、神についてのストーリーまでも作り上げたのではないか、というのです。神は実体上はいないが、いるかのように聖書記者が書いたのだ、と。
これは実質は無神論です。神は人間の頭(思考)の中にだけいて、外界に客観的にはいないのだというわけです。こういう人は、神存在についての次のような疎明資料〔状況証拠〕を全て無視しなければなりません。・・・すなわち、被造物の驚くべき実体、太陽系の精妙きわまりない運行、預言とその成就、聖書の民・ユダヤ人の活力と歴史、慈愛に満ちたイエス・キリストの救いの業、信じる者たちに現れる良い影響・確信・希望など・・・。
神が現実にはいないなら、このようなことは起こり得ないではありませんか。神が現実には“いない”なら、天体の秩序は崩れるでしょう。善悪の秩序は壊れに壊れるでしょう。天国の希望は無に帰し、むなしさしか残りません。
しかし、人がどう考えようと、神は厳然と実在するのです。そしていつか、その神の前で、各自、神にどう向き合って生きたか、どのようなことを考え、どのような行いをして生きたか、を問われることになります。
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