聖書の神が本当の神だという証拠はあるのか。
聖書の神は、人間の考えをはるかに超えて大きく、偉大で、力強く、賢明で知恵があります。全知・全能であり、完全・永遠・無限であり、普遍にして不変です。聖(きよ)く、義(ただ)しく、真実であり、愛である方です。このような方を神と言わないで他の何を神と言うべきでしょう。
「わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない」(イザヤ45:5)
聖書の神は、ご自分のこと、ご自分がしたことなどを聖書の中で示しています。それはまことに奇しく、人間が誰も考えつかない内容のものをたくさん含んでいます。
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。・・・神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです」(Ⅰコリント2:9、10)
聖書の神は、6日間か、長期間かはさておき、とにかく神が天地万物を創り、人をも造ったと主張しています(これは、現代科学を全くの無視はしていない考え方です)。
「初めに、神が天と地を創造した」(創世記1:1)
「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです」(ローマ11:36)
この故に、世界・宇宙は淵源、起源を示され、全てのものの存在理由が知られるのです。
また、聖書の神は、世界の終末についても権威をもって指し示しています。
「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない」(イザヤ44:6)
このように言えるのは本当の神だけであり、他のどんな存在もこうは言えません。
「わたしより先に造られた神はなく、わたしより後にもない」(イザヤ43:10)
「だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか」(イザヤ44:7)
「わたしのほかに神はいない」(イザヤ45:5)
聖書の神は、時の流れ(歴史)の中で不思議な御業、恵みの御業をなして、ご自分の言葉の真実性を証明しています。また、聖書において、預言者を通して告げたことが既にたくさん実現・成就しています。これも聖書の神が真の神であることの1つの証拠であるといえます。
「彼らに未来の事、来たるべき事を告げさせてみよ。・・・わたしのほかに神があろうか」(イザヤ44:7、8)
この聖書の神を信じた人が、変えられ、聖められ、強められ、支えられて多くの良い事を行いました。そして、社会を良い方へ変えてきました。この聖書の神を信じた人が、多くの苦難を耐え、希望をもって、人生に目的・行き先を見いだして雄々しく生き通しました。こうしたことも、聖書の神が本当の神であることを示しています。
もし、ほかに神がいるというなら、挙げてみてください。「こんな神がいたらいいなあ」と頭の中で考えて作り上げることはできるかもしれません。しかし、そのような神の実在を示す根拠はどこにもありません。つまり、聖書の神のほかには神はいないのです。
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