神はなぜ見えないのか、見えない神はどのようにしたら知ることができるか、どうして信じることができようか。
音波は見えないが、現実に音が聞こえるので、音波があると分かります。紫外線も見えませんが、日焼けにあった箇所を見て紫外線が来たことが分かります。また、地球の中心のマグマも人は見ることができませんが、火山の噴火や衝撃波の測定からマグマの存在を推定することができます。
神は物質でないので見えません。しかし、大変よくできた被造物(動植物)の存在から創造者たる神の存在を推定できます。天体運行の精妙な秩序を見れば、それを支える神がいると推定することができます。そのほか、推定材料が幾つもあります。
しかし何よりも、人が神を知ろうと思えば知ることができるように、神は聖書を備えてくださいました。神は、特別に信仰深い人、およそ40人に霊感を与え、聖書を書かせ、人類のために残してくれたのです。
聖書には、神がどんな方であるのか、何をしてこられたのか、何を喜び、何を嫌うのか、人間に何を望んでいるのか、などが書かれています。この聖書を読むと、神の大体を知ることができます。なお、他の人の講演とか説教とか著書でも知ることはできます。しかし、正確には、やはり聖書を読み、その言葉を理解することが欠かせません。
聖書を読み、神を知ったとき、あるいは他者から知らされたとき、それは神との出会いの時です。それを放っておかないように、大事にしてください。
人生で神との出会いはそう何回もあるものではありません。ですから、出会ったときに、その印象を大事にして受け入れましょう。そして、祈ってみてください。「神様、あなたを信じさせてください」と。何回もそうしていれば、何らかの応答があるでしょう。注意深く生きていれば分かるものです。
例えば、ある時、たんすを整理していたら亡くなった親の名義の預金証書が出てきました。そんな時、「これは偽物だろう」と放っておくでしょうか。むしろ、「ありがたい!」といって、引き出し手続きをしてみるでしょう。
神は見えませんが、神が働かれた跡を見ても、生きた神がいることを信じることができます。例えば、ある人が神を信じると、以前の生き方や言動とは違ってきて、いささかでも良い人に変わります。それを見聞きすれば、やはり神はいるんだと分かります。
そのほんの一例ですが・・・、ある凶悪事件で死刑を宣告されたが未成年であったため無期懲役刑になった“好地由太郎”という人が、獄中で教誨師に導かれてキリストの神を信じる者になりました。その結果、模範囚になり(もちろん、その後も何年も服役しましたが)、出獄後、全国の刑務所を巡回してキリストを伝える伝道に携わったのです。
多くの重罪人を導いて、自分同様のクリスチャンに変えました。さらに、驚くことに、銀行家・森村市左衛門をも導いて洗礼まで授けました。そのことを自伝『鉄窓の二十三年』と改訂版の『恩寵の生涯』という本で著しています。彼が信じた神が彼を変えたのです。このような結果を見ると、神がおられ、かつ憐れみ深く働かれたことを知ることができます。
なお、目に見えない“聖書の神”を信じる人が大勢いる国は(信じない人も幾分かはいるため、悪いことも少しはありますが)、総体的に良いことが多く、国民の道徳水準が高くなり、国が発展します。このことによってもまた、神を推測することができます。
どうぞ、感覚的にではなく、論理的・理性的に、心の目で見てください。
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