神はどのような方なのか。
世界には実にさまざまなものが神として拝まれています。
太陽、月、星、海、山、川、池、滝、巨木、巨大岩、火、雷、獅子、虎、蛇、コブラ、鷹(たか)、鷲(わし)、隼(はやぶさ)、狼(おおかみ)、牛、山犬、狐、カモシカ、山羊、鵞鳥(がちょう)、鰐(わに)、河馬(かば)、蠍(さそり)、聖甲虫(糞ころがし)、蚕(かいこ)、剣、大根、特別の石、鏡、竃(かまど)、過去の偉大な王、偉人、神話で重要な存在、抽象的な知恵、恐れ、真理などなど、何でも“神様”に祭り上げられているのです。中には手の届かない大きさとか、他を圧する強さの故に何らかの力が秘められているように感じられるのかもしれません。
しかし、大きくもなく、強くもない、隔絶もしてなくて日常的に身近にいる動物なども神として拝むわけですから、その心理は理解に苦しみます。また、死んだ存在は、モノも言えず、何の行動もとれないため、生きている人間よりも無力な存在であるはずですが、超能力があるかのようにあがめたり、願いごとをしたりするのは、不可解なことです。
本当の神様を知らないとき、「かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗く」なって、「自分では知者であると言いながら、愚かな者となり」、不滅の神を、「滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました」(ローマ1:21~23)といわれています。
これらは、どれ一つとして大半の人が一致して神と認めるものはありません。逆に多くの人が神ではないと認めるものが、ある時代、ある地方では神とされてきました。要するに、人の神意識は気まぐれです。
そのような気まぐれの人類のために、神は聖書の中でご自分がどんな存在なのかをきちんと現しました。多くの人がこもごもに考え、全体として迷っている神の姿を明確に示しました。
それだけでなく、歴史の中で現実に、具体的に語り、動き、働いてこられました。それ故、その神の実在を確信し、それによって生きる人がたくさん増えてきたのです。中には、その神のために、生命・財産・人生の一切を賭けてもいいと考える人も出てきたのです。
《聖書が示す神‥‥その特質》
1. 神は霊
霊は物質ではない。物質は限界があるが、物質でない霊は限界がない、形がない、目に見えない。見えないが知ることはできる、見えないが生きて働いていることを感じることができます。また、形がないので、形ある像に作り上げてはならないし、形あるものを拝むべきでない(偶像礼拝をしない)ということになります。
2. 神は超越者
換言すれば、神は人(自分)の外にいる。人の心の中に、人の心理・心の持ち方においてだけいるのではない。従って、心の中にいない、と否定できたら存在しないのではない。自分が否定しようとどうしようと、自分の外に客観的にいる方です。つまり、自分の心を超越している方です。
3. 神は絶対者
神は他と比較されることがない、相対的な存在ではない、他の全てに抜きんでている、そういう方です。神が全てを決め、他に制約されることがない、他に並ぶもののない方です。
4. 神は唯一(唯一人)
前項のとおり、絶対者であるなら、二つ以上が並び立つことはあり得ない。唯一つです。この神以外に神はいない。他に“神”と呼ばれるものがあっても真の意味での神ではない。ただし、「一つ」なる言葉の原語は「エハド」であって、集合名詞的で、例えば、一房のぶどうも一つと表現しています。みかん一つには、小袋も内側にあり、その小袋にはつぶつぶのみかんがありますが、全てみかんです。全体でみかん一つと表現しておかしくありません。そういう意味で神は一つ、唯一です。
5. 神は創造者
神は、この世界、この宇宙、その中にある全てのものを造り、また、維持している方です。それ故、“主”です。創造者は、創造の対象(被造物)の創造に際して意図や目的を持ったのは当然といえます。それ故に、被造物(造られたもの)の筆頭たる人間はその意図とか目的をわきまえて生きるべきことになります。また、人間に命令を与えることができるのも当然ということになります。
6. 神は人格を持っている
人格とは(人柄という意味ではなく)個別自存性があり、自己意識を持ち、自己意思を決定でき、自己表現できることをいう。そのため、理性的・論理的・道徳的に考える主体だということができます。この人格ある神に似せて人は造られたので、人にも人格があるのです。〔逆に、人間に人格があるので、神もそのような存在に違いない、と想像するのではありません〕
7. 神は全知全能
何でも知っており、全てのことを見ている、他人が見ていないことも、地球の裏側でしたことも見ている、心の中で考えたことも、知っている。神の目を逃れるものは何もない。また、何でもできる方である、なにしろ、全世界・全宇宙を造り、維持しておられるほどの方だから、人間ができないと思うこともできる。それが奇跡です。全知全能の神であれば、奇跡は当然ではないですか。
8. 神は永遠におられる
神は造られた者ではない。神は、ある時期から存在するのではない。天地創造の前から、宇宙開闢(かいびゃく)の前からおられ、この世の終末の後にもおられ、永遠の存在です。
9. 神は無限の方であり、完全な方であり、遍在(どこにもおられる)の方であり、不変の方
遍在であるためには、物質ではありえないことにもなります。
10. 神は真実な方
約束したことは必ず守って果たし、言われたことに間違いはない、という誠実な方です。
11. 神は聖
神は、他と隔絶した存在であり、汚いことや罪は受け入れることができない。神のこの属性は大事なものであり、非常に注意しなければなりません。
12. 神は義
この属性は上の“聖”性と関係しているようです。不義、邪悪などとは相いれません。ここから、悪行への裁きが行われるのです。
13. 神は愛
神は人が滅びないよう、不幸にならないよう、憐れむ。その原因である罪に陥らないよう、そして神から離れないよう、導く。何よりも、犯した罪を赦(ゆる)すために、御子イエスの十字架の犠牲の死を用意してくださいました。これは、神が愛であるからです。
以上のとおり、神がどのような方かを示しました。目に見えない神、創造者である神、人格を持つ神、そして義と愛なる神。これらは大変ユニークな神観であって、聖書が示すところです。
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