正木弥
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なにゆえキリストの道なのか(200)神を愛するとはどういうことなのか? 正木弥
イエスは「『こころを尽くし、思いを尽くし、知力を尽くしてあなたの神である主を愛せよ』これが大切な第一の戒めです」とお答えになりました。では、この “神を愛せよ” とはどうすることでしょうか。
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なにゆえキリストの道なのか(199)キリスト教のいう愛とはどういう愛か? 正木弥
愛にはおよそ4種類あるといわれています。A)アガペーの愛、B)エロスの愛、C)ストルゲーの愛(肉親の関係による愛、自我の延長でもある)、D)フィレオーの愛(尊敬・共鳴による愛)です。
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なにゆえキリストの道なのか(198)褒められたい、称賛されたい、ということは悪いことなのか? 正木弥
多くの人が、他人の想念の中で架空に生きようとし、そのために見栄を張ろうとするようです。「われわれは絶えず架空の存在を飾り、それを維持しようと努め、自己の真の存在をなおざりにする」(パンセ147)
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なにゆえキリストの道なのか(197)他人が私の悪口を言う、どうしたらいいのか? 正木弥
他人が私について悪口を言っているのを耳にしたとき、まずは冷静になって、その言われるような事実があるのかないのかを(なるべく客観的に振り返って)点検してみることが大切です。あれば、その限りで直すように努力してみることは当然でしょう。
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なにゆえキリストの道なのか(196)人間の行いをどのように評価するのか? 正木弥
人の行いを分類すると善も悪もありますが、その中間でアディアフォラ(どちらでもよいこと)が多いようです。無論、動機や程度、状況にもよりますが、以下、あくまで外観で一般的な場合を見て、キリスト教的な見方により分類してみましょう。
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なにゆえキリストの道なのか(195)クリスチャンになると生活が窮屈で不自由にされるのではないか? 正木弥
子育てをしたことがある方は分かるでしょう。愛する子が病気や事故・事件に遭わないよう、さまざまな注意を与え、アレをしてはいけないコレをしてはいけないと禁止や指示をします。
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なにゆえキリストの道なのか(194)お金を追い求めてもいい? 正木弥
お金がない人は、欲しいモノやサービスが受けられず、不自由な思いをしたり、機会を逸したり、苦しさ・つらさを忍ばねばならないことが多い。時には辱めを受けてもガマンを余儀なくされることもある。また時には、競争場裡で不利になったりもするでしょう。
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なにゆえキリストの道なのか(193)愛さえあれば性関係を持っていい? 正木弥
おっしゃるところの “愛” とは、好きという感情を指しているようですね。すると、ご質問を突き詰めれば、好きであれば、誰とでも、どんな場合でも性関係を結んでいい、ということになります。
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なにゆえキリストの道なのか(192)酒、たばこ、競馬などは、やめなければ信仰の道は歩めないか? 正木弥
これをやめなければ信仰の道を歩めない、とは聖書に書かれていません。問題は、これらがどのくらいその人の生き方を左右しているかです。たまに気晴らし程度でこれらをしたからといって、信仰の道から脱落していると見ることはできません。
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なにゆえキリストの道なのか(191)仏像を通して神を拝んでいれば悪くない? 正木弥
「私は単身赴任で、一時的に妻と遠く離れて生活しています。そんな私の前に魅力的な女性が現れました。私は、その人を通して妻を愛することにしました」。これはおかしいですね。
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なにゆえキリストの道なのか(190)墓参りはすべきか? 正木弥
墓は大事にすべきです。族長アブラハムはヘテ人エフロンから墓地を買い取り、マクペラの洞穴を墓としました。そこに、サラを葬り、アブラハム自身、イサク、ヤコブとその子ヨセフが葬られたと書かれています。
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なにゆえキリストの道なのか(189)クリスチャンはなぜ神社を参拝しないのか? 正木弥
クリスチャンが信仰している神は、唯一無二の絶対神です。ほかにいない方です。クリスチャンはその神の子です。神の子からすれば神は父(親)です。ほかのものは神でなく、親でもないと見ています。ですから拝みません。
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なにゆえキリストの道なのか(188)クリスチャンはどうしてご先祖様を拝まないのか? 正木弥
逆に、なぜご先祖様を拝むのでしょうか。多分、自分が存在するに至った原因をなしてくれたから、という答えでしょう。しかし、父母、祖父母、曽祖父母とさかのぼってどの先祖を拝んでいるのでしょうか。
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なにゆえキリストの道なのか(187)キリストを信じたら弱々しくなる? 正木弥
キリストを信じたら、暴力的な、あるいは激したやり方やその応酬を考えません。欲望の達成に血道を上げることはしません。外見的な争いをするのではなく、感情的に対応するのでもなく、自制して、柔和で賢明な振る舞い・言動に努めるようになります。
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なにゆえキリストの道なのか(186)キリストを信じたら何か良いことがあるのか? 正木弥
欲しいものが手に入るとか、欲望が満たされるといったことではなく、それらの根底にある良いもの、すなわち真の幸福が得られます。キリストを信じたら次のように、良いことがたくさんあります。
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なにゆえキリストの道なのか(185)占いに頼ってはいけない? 正木弥
占いは、古今東西、さまざまな物に現れる現象により、近い将来の出来事を予知しようというものです。初めは興味半分当たらなくても気にしない程度から始まって、ある時、当たったかなと思い当たることが出てくれば、段々とそれにとらわれてくるようです。
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なにゆえキリストの道なのか(184)人間は自然に返れば万事うまくゆく? 正木弥
ライオンは必ず毎日のように1頭のシマウマかカモシカかそのような動物を殺して食べなければならない。そうしないと自らが生きられない。肉食動物と食べられる動物はいつも追いつ追われつの毎日です。
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なにゆえキリストの道なのか(183)千年王国はどう考えたらよいのか? 正木弥
いささか学問的で恐縮ですが、千年王国論とは、この世と来るべき世の間に、正義と繁栄と平和の千年期(長い期間)があるとするものです。これについては、初期の教会の時からさまざまな説があり、確定的見解は出ていないようです。
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なにゆえキリストの道なのか(182)終末があるとすれば、それはいつか? 正木弥
終末はもちろんあります。初めがあったのですから、終わりもあるはずです。聖書は2千年前から「終わりの時が近い」と告げています。しかし、そうはなりませんでした。
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なにゆえキリストの道なのか(181)終末は来ない? 正木弥
この世界の課題は終末的だという人もいます。人口の激増による食糧や水の争奪戦、地球温暖化による気候変動、核戦争などの危機が叫ばれています。いやそれ以上に、人口を容れる広さの大地が不足してくることだという人もいます。
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