私は仏像を通して神を拝んでいる、それで悪くはないでしょう。
「私は単身赴任で、一時的に妻と遠く離れて生活しています。そんな私の前に魅力的な女性が現れました。私は、その人を通して妻を愛することにしました」。これはおかしいですね。妻のつもりでも、よその女性と性関係を持つのはいけません。それは姦淫です。妻を愛するなら、よその女性を通さずに、直接に妻を愛さねばなりません。「その人を通して妻を愛する」は口実にすぎません。
“拝む”という宗教的行為はまったく全人格的なものです。ある意味で夫婦関係や親子関係と同じなのです。従って、その“拝む”“信じる”などの宗教的行為は直接でなければならないのです。神は真摯(しんし)な方ですから、人間も真摯に向き合わねばなりません。ごまかしは通用しません。
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