キリストを信じたら何か良いことがあるのか。
欲しいものが手に入るとか、欲望が満たされるといったことではなく、それらの根底にある良いもの、すなわち真の幸福が得られます。キリストを信じたら次のように、良いことがたくさんあります。
まず~この世においては~
- 自分の罪が赦(ゆる)される。義とされる。それは、御子イエス・キリストがすべての人の罪のために十字架の刑にかけられ、身代わりの罰を受けてくれたことによる。
- 神と和解できて平和な関係になる(それまでは不信仰ゆえに神の怒りの対象であったが)。
- それゆえ、神の子とされる。それは、立場において、資格においてであって、いまだ実質化してはいないが、将来、とき到って名実共に実現するまでのステップになるものである。
- その人の内心に聖霊が宿ってくださる。
- その聖霊によって、神の知恵が与えられる、弱ったときに忍耐する力・立ち上がる力が与えられ、喜びが与えられる。孤立や孤独に耐えられる。災難や苦難を耐えることができる。
- 聖霊により、自我的思いや悪い欲望、悪事を自制できる(完全ではないが)。
- 聖霊により、必要だが難しいことに取り組む意欲が与えられる。
- 窮地に陥っても、平安に過ごせるようになる。
- 確固とした世界観、善悪の基準を持つことができる。
- 人生の目的、目標を示される。生きがいを与えられる。
- 死をいたずらに恐れずに、あざやかな希望を持つことができる。
- むなしい欲望や際限のない享楽に振り回されなくなる。
- 赦し合い、穏やかな人間関係を築くことができる。
- 愛し合う家庭を築くことができる。
- 聖霊により、(わずかでも)他の人に寛容・親切・善意・誠実・柔和になれる。
- 他の人を愛そうと努めることができる(失敗することもあるが)。
- 他人がなす悪や不当なことに耐えられる(神の公平なお取り扱いに委ねることができるから)。
- 聖書がよく分かるようになる。
次に~肉体の死の後においては~
- パラダイスに迎えられる。そこは安らぎの場である。
- 最後の審判において、罪を問われない。
- 名実共に、神の子とされる。救いが具体化する。
- からだの復活にあずかる。もう病気をしたり痛みに苦しむことがない。老化もしない。死もない。
- 天の御国(天国)に入れられ、永遠のいのちで生きる。永遠の喜び、生きがいの生活を送ることになる。苦しみ、憂いなどが一切ない。退屈もむなしさもなくなり、心の底からの楽しい生活となる。
- その天国で、歴代の神の子たちと楽しい交わりをすることができる。
- この世で悲しい別れをした家族や同信の信徒たちと再会し、喜びの生活を共にできる。
- 神のさまざまの財産を共に受け継ぐことができる。
- 生活苦から解放される。
あなたはどれに魅力を感じますか。信じてみないと分からない点もありますが、人生を透徹してみると、これらの素晴らしさがよく分かるでしょう。人間の本当の幸いです。これらにより、あるいはこの世では少し損をするように見えるかもしれませんが、それに余りある幸福や益が必ずあります。
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