酒、たばこ、競馬などは、やめなければ信仰の道は歩めないか。
これをやめなければ信仰の道を歩めない、とは聖書に書かれていません。問題は、これらがどのくらいその人の生き方を左右しているかです。たまに気晴らし程度でこれらをしたからといって、信仰の道から脱落していると見ることはできません。しかし、往々にして、親しみだすと限度を超えやすく、信仰の道を誤まらせることになりかねません。
たばこは、他人に煙害を及ぼさず、吸殻を適切に処理して火事のもとにならないよう注意しているなら害悪性が少ないといえるでしょう。本人にとってはストレス解消のひとときが得られるようですが、しかし、クセになりやすく、やめがたく、成人病を促進する点で肉体上は良いとはいえません。
酒は、主に6つの害悪があります。1)飲む者を酔わせ、正常な判断を狂わせる(事故や事件の原因になりやすい)、2)飲む者の品性を下劣にする、3)癖になりやすく、中毒になりやすい(酒乱)、4)酒もまた健康被害をもたらしやすい、5)飲酒体質に浸り続けると子孫に何らかの悪影響をもたらしやすい(特に女性の場合は子の精神疾患のもとになりやすい)、6)経済的損失も大きい。
聖書に飲酒をいさめる言葉が多いが、酒を飲むなとまでは書かれていません。
酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。(エペソ5:18)
酒に酔う者・・・はみな、神の国を相続することができません。(1コリント6:10)
飲むケースと量をコントロールできる人はどんな場合も絶対にダメというのではありませんが、信仰を志す人は遠ざかっている方が無難でしょう。
競輪・競馬・賭け事は身を滅ぼすもとです。賭け事は治りません。巷で、「焼かにゃ~治らん」と言われています。家族を苦しめ、職場で信用をなくし、借金漬けになるなど、哀れな境遇に陥ります。信仰者の問題以前に、普通の人としての生活をも破壊するので、ぜひやめるべきです。(1回くらいしたからどうのこうのの問題ではありませんが、大当たりしたらその体験が中毒に変化するので、危険なのです。)
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