神を愛するとはどういうことなのか。
ひとりの律法の専門家がイエスをためそうとして尋ねました。「先生、(たくさんある)律法の中で大切な戒めはどれですか?」。するとイエスは「『こころを尽くし、思いを尽くし、知力を尽くしてあなたの神である主を愛せよ』これが大切な第一の戒めです」とお答えになりました。では、この “神を愛せよ” とはどうすることでしょうか。
まず、神を愛するとは、神を信じることから始まります。神がおられること、神が世界と人間をつくり、また信じる人を救おうとしておられることを信じることです。神を信じないとか、神を無視するなら、それはいわば神に敵対していることになり、少なくとも神への愛はありません。また、神でないものやこの世のものを愛したり、自我の追求や欲望の達成を第一にしているときは、やはり神への愛はあまりありません。
神への愛は、その第一歩として神を尊び、敬い、仰ぐことから始まります。これが口だけでなく実質化しますと、神を信頼し、神の教え・戒めを守ろうとします。それが進むと、神の言葉や御業を大切に思い、喜びます。また、神が自分に働いたことを感謝するようにもなります。
さらに進むと、神が自分に何を求めているかを探り、神のために良い証しをしようとし、神の栄光〔素晴らしさ〕が上がるような生き方や言動をしようとします。神の福音のために、わずかでも働こうとします。そして、神のために苦しむことも受け入れ、時に、積極的に苦労を選んでいきます。隣り人をも愛そうとします。
これらの何もできなくても、神のために何かを棄てる。神のために犠牲を払う。神のために、自我が傷ついても、損をしてもガマンし、神のために欲望や野心を捨てる、いや、命までも棄てるに至る。それは究極の愛ともいえるでしょう。
上のどのようなことができるのか、求められるのか。それは、その人の成長の度合いや具体的なケースによって違うでしょうし、段々と進展するものでもありましょう。それがどのような愛であろうと、神はそれを喜んでくださいます。神の言葉・聖書は次のように約束しています。
わたしを愛する者をわたしは愛する。・・わたしを愛する者には財産を受け継がせ、彼らの財宝を満たす。(箴言8:17、21)
財産は、地上においての財産なのか、天国においてのそれなのかは断定できませんが・・・。
彼(ある人)がわたし(神)を愛しているから、わたしは彼を助け出そう。・・・彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。(詩篇91:14、15)
神を愛する者は、いずれ神から豊かに報われます。
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