正木弥
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なにゆえキリストの道なのか(220)聖書はどう読んだらいいか? 正木弥
読み方の初歩を幾つか並べておきます。まず、お魚を食べるように読みましょう。お魚にはおいしい身の部分もあり、臓物もあり、骨や鰭やうろこもあります。臓物や鰭、うろこは食べにくいし、おいしくもありません。
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なにゆえキリストの道なのか(219)聖書の預言は当たるのか? 正木弥
預言者は、ひたすら神に近寄って生きようとし、神のうちにある真理を身近に見ようとしていました。当たるとか当たらないとかの意識ではなく、ただ自ら聞いた神の真理を語ろうとしました。真理であれば、当たるのは当然ということになります。
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なにゆえキリストの道なのか(218)聖書に書いてあることが事実であるという証拠は? 正木弥
聖所にはいろいろなジャンルのものが含まれています。その中に、たとえ話、寓話、謎、象徴、幻、比喩など事実でないものもありますが、中核は歴史と教えであり、その歴史はまさに事実が中心をなしております。
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なにゆえキリストの道なのか(217)ノアの洪水記事はギルガメシュ叙事詩の焼き直し? 正木弥
古代メソポタミヤの両河河口付近にシュメール人という系統不明の民族がいました。彼らは、楔形文字を考案し、文字文化を残しました。ギルガメシュ叙事詩は彼らが残した文学作品で、その主人公の名がギルガメシュであるわけです。
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なにゆえキリストの道なのか(216)聖書の天地創造の記事は誰が見て書いたのか? 正木弥
よくは分かりません。分かっていることは、天地創造の初めのとき、人間はまだ造られていなかったので、誰も直接は見る余地はなかったということです。あるいは、モーセに神が直接霊感を与え、教えたのかもしれません。確たることは分かりません。
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なにゆえキリストの道なのか(215)旧約聖書は平和の書といえない? 正木弥
勧めの多くは、イスラエルがエジプトから出て荒野の40年を過ごし、東からカナンの地へ入ろうとするときに神からあったことです。その地が道徳的にあまりに汚れていたため、神の民イスラエルがその悪い影響を受けることのないように言われたようです。
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なにゆえキリストの道なのか(214)旧約聖書はキリスト以前の経典だから“いらない”? 正木弥
旧約聖書はそもそもの土台です。天地の初め・人間の初め・罪の初め・民族のはじめ・国の初め、そしてさまざまな失敗、堕落と回復が書かれています。その上に新約聖書があるのです。旧約聖書と新約聖書は有機的に結びついています。
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なにゆえキリストの道なのか(213)聖書は簡単に言えば何を教えているのか? 正木弥
主なことは4つにまとめることができます。1)神がいる、ということ。2)神が人を造ったということ。3)神が(イエス・キリストとして)この世に来られたということ。4)神が(聖書において人類のすべてに)語り掛けたということ。この4点です。
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なにゆえキリストの道なのか(212)奇跡を見れば信じる? 正木弥
神様は、人間の好奇心を満たすために働かれるのではありません。奇跡は、人間をその必死の信仰によって救うために、あるいは、神の愛・正義・全能の力を貫徹するために、あるいは神のことばの真実であることを明らかにするためになされるのです。
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なにゆえキリストの道なのか(211)奇跡はどうして現代に起こらないのか? 正木弥
聖書の時代は前後1500年、その間に仮に150の奇跡があったとすれば、10年に1つです。現代この広い世界に10年に1つしか起こらなければ、あなたの人生80年であっても一生の間に1つの奇跡にも出会えないでしょう。
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なにゆえキリストの道なのか(210)お前は奇跡を体験したことがあるのかと問われると・・・ 正木弥
イスラエルの民がヨルダン川のエリコの前面で、流れを前にしているとき、「やがて水が枯れ、乾いた地を渡るように民も契約の箱も渡ることができる」と預言し、その通りになったのは奇跡であったと言うべきでしょうか。
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なにゆえキリストの道なのか(209)非科学的なことが書かれているので、聖書は信じられない? 正木弥
今の科学ですべてを分かり尽くしているのではありません。ですから、今の科学を根拠に「あり得ない」と断定することは慎重であるべきです。あり得ないと思われたことが、あるとき・ある状況で・ある事案であり得たというのが奇跡です。
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なにゆえキリストの道なのか(208)聖書はそんなに素晴らしいのか? 正木弥
そう、実に素晴らしいのです。人間が生きる場合の霊的、体験的、社会的真理の奥深いところ。歴史を通して、人間が、民族が、国がとるべき指針。確かな基準、豊かな価値観。
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なにゆえキリストの道なのか(207)聖書は原本が残っているのか? 正木弥
著者が書いたもの(そのもの)は原本といいますが、それは残っていません。原本から書き写した「写本」が多数残っています。旧約聖書は、そうした多数のヘブル語写本からさらに多数の写本が作られました。そのほか、古代の翻訳本も重要です。
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なにゆえキリストの道なのか(206)聖書は誰が、いつ頃書いたのか? 正木弥
著者により主要部分が書かれた後間もなく、締めくくりとか後書きとかが後継者によって補足されるということはあり得たでしょう。また、著者の身近にいて筆記した者が別にいたこともありました。
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なにゆえキリストの道なのか(205)聖書は人間が書いたのに、なぜ神の言葉だと言うのか? 正木弥
聖書を物理的に人間の言語で書いたのは人間です。しかし、その内容は神の考え・思想・知恵・教えであり、語り掛けであるということです。それを、神はある特定の人に霊感で示し、的確に書かせ、編集もするよう仕向けたということです。
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なにゆえキリストの道なのか(204)聖書が作り話でなく真実の書だとどうして分かるのか? 正木弥
第一に、一般の歴史的記録と符合することです。ほんの一例にすぎません。BC853年のカルカルの戦いは楔形文字で記録されていますが、聖書列王記で出てくるアハブ王の活動と合致します。
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なにゆえキリストの道なのか(203)神はどうして戦争をやめさせないのか? 正木弥
神は、昔の特別の時期(カナン定着期、カナン原住民のあまりの不道徳から神の民を守るための例外的処置として戦いを勧めましたが、)これを除いて、戦争をやめるよう、平和に生きるよう、繰り返し勧めています。
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なにゆえキリストの道なのか(202)どうしても愛せない人がいる、どうすればいいか? 正木弥
人は、互いに生い立ちや生活環境が違い、身体状況も違い、その他諸々の事情が違います。まず、「違う」ということを大前提に置いておかなければなりません。ここから、すべての人に好感を持つとか、持たれるとかいうわけにはいかないのが当然のことです。
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なにゆえキリストの道なのか(201)死刑制度をどう考えるか? 正木弥
思想犯に死刑制度があってはならないのは当然のことです。政治犯も含めて、ここでの議論から除きます。現在の日本の刑法で死刑となり得る犯罪は、殺人、放火などですが、その死刑制度は廃止すべきだ、という議論があります。
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