奇跡をぜひ見たい、見れば信じる。
奇跡を見たいというのは好奇心です。神様は、人間の好奇心を満たすために働かれるのではありません。奇跡は、人間をその必死の信仰によって救うために、あるいは、神の愛・正義・全能の力を貫徹するために、あるいは神のことばの真実であることを明らかにするためになされるのです。
まず信じて、神のため、神の真理のために必死で生きてみてください。そうすれば、他にどんな方法もなく、奇跡による救出が必要だというときには、奇跡で応えてくれるかもしれません。
見れば信じると言いますが、事実は、見ても信じない、あるいは、見てもそれが一時的な興奮だけに終わって、堅く信じることに結びつかないのが常です。
イエス・キリストが世にあって伝道しているときのことが記録されています、「イエスが彼らの目の前でこのように多くのしるしを行われたのに、彼らはイエスを信じなかった」と(ヨハネ12:37)。
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