聖書のノアの箱舟の記事は、ギルガメシュ叙事詩の焼き直しではないのか。
古代メソポタミヤの両河河口付近にシュメール人という系統不明の民族がいました。彼らは、楔形文字を考案し、文字文化を残しました。ギルガメシュ叙事詩は彼らが残した文学作品で、その主人公の名がギルガメシュであるわけです。
後に、セム人種のアッシリヤ人、バビロニアあるいはエモリ人が軍事的、政治的に優位となり、シュメール人に取って代わりましたが、文化・文字、神話や宗教体系など多くのものをシュメールから引き継いだのです。このギルガメシュ叙事詩も引き継ぎ、手を加え、アッシリヤ版、バビロニア版が造られ、さらにははるか小アジアにまで運ばれ、ヒッタイト語訳やフルリ語訳が造られました。全体で3600行もあったと推定されますが、その後、行方不明などで、およそ半分しか残っていません。
内容的には、ウルクの都城の5代目の王であるギルガメシュは、3分の2は神、3分の1は人間という存在で、英雄であり、暴君であるが、神々やその他の半神半獣的な存在や野獣と戦い、殺し合い、協力し合って、欲望を手に入れたり、失敗したり、落胆したり、旅をしたりしながら、不死すなわち永遠の生命を探求する物語です。そして、その最後の段階第11の書板で、その昔あった洪水について語られています。
この叙事詩はさまざまな角度から研究されてきましたが、1946年にはハイデルによって、この叙事詩と旧約聖書(ノアの洪水記事)との比較研究が出版されました。
両者が似ている点は、大洪水が警告されたこと、一隻の大きな大きな船を指示され、寸法どおり造ったこと、瀝青(れきせい)を用いたこと、家族などのほか、野の生き物を船に乗せたこと、船の入り口をふさいだこと、大洪水が起こったこと、すべての人間が死んだこと、山の上に船がとどまったこと、鳥を放して陸地が現れたことを知ろうとしたこと、放たれた鳥が帰ってきたこと、別の鳥が放されて帰って来なかったことにより陸地の現れを知ったこと・・・などです。
両者の違っている点は、たくさんの神々が出てくること、シュルパックの人ウトナピシュティムに船を造れ、という指示があったこと、船柱を立てたこと、家族のほかに、身寄りの人や職人まで船に乗せたこと、生き物の種を運び込んだこと、洪水により人間が死んだことを神々が嘆き悲しんだこと、洪水は7日間であったこと、船がとどまった山はニシル山であったこと、放した鳥は、まず鳩、次いで燕(つばめ)、3番目が烏(からす)であったこと、神々同士で「よく考えもせず大洪水を起こしたこと」、「生き物が助けられたこと」について非難し合っていること、ウトナピシュティムとその妻が人間であったはずなのにいつの間にか神々にされていること・・・などです。
結局、旧約聖書は、神を知る人間の堕落に対してなされたさばきを厳粛に描いているが、ギルガメシュ叙事詩は半神半人たちの思いつきでなされた出来事として語られています。神概念、人概念が全く違っています。道徳性の有無が違います。
まとめると、かつて大洪水があり、大きな船を造って乗り込んだ人々が生き残った事実が共通の土台としてあったのでしょう。それが別々に記録されたと見るのが、無理がありません。
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