聖書に書いてあることが事実であるという証拠はあるのか。
聖所にはいろいろなジャンルのものが含まれています。歴史(物語、記録)、教え(教理、戒め、勧め)、説明、詩歌、劇詩、諺(ことわざ)、格言、預言など豊かです。その中に、たとえ話、寓話、謎、象徴、幻、比喩など事実でないものもありますが、中核は歴史と教えであり、その歴史はまさに事実が中心をなしております。
神の真理は抽象的に示されたのではなく、一般の歴史の真っただ中で、人、物、出来事を通して具体的に示されました。ですから聖書には、一般の歴史で生起した出来事や人物、物体、地理、風習などがたくさん書かれています。
17、8世紀になって科学が発達してきた頃、いわゆる啓蒙主義思想、合理主義思想が強くなり、その影響で、聖書は古代の神話である、作り話であるとの主張がなされるようになりました。そうした風潮に対して、聖書の記述が事実か架空のものか、真偽を確かめてみようとの取り組みが始まり、そういう観点の歴史学や考古学が展開されだしたのです。
まず、聖書に出てくる古代オリエントの国々やギリシャ、ローマの政治・軍事、その人物、出来事が検証されました。聖書に登場するエジプトとその王シシャク、ネコ、ツロとその王ヒラム、アッシリヤとその王プル・サルゴン・セナケリブ・エサルハドン・オスナパル、新バビロニア帝国とネブカデネザル、バビロン捕囚、カルケミシュの合戦、ペルシャと王クロス(2世)、ダリウス大王など代々の王、スシャンの都、ローマの皇帝アウグストゥス、ティベリウス、クラウディウス、ユダヤのヘロデ王とその一族の人たちなどは一般の史書でも多く記述され、事実性が確認されました。
また、考古学は実に聖書の記事の真実性を確認したいとの欲求から興った学問です。幾多の旅行家・探検家・学者ときには市井の普通の人、子どもなどにより、膨大な量の遺跡、たとえば、遺物・街・神殿、壁、塔、水道などの構築物・粘土板・パピルス・羊皮紙などが上述の各地で発見され、発掘されました。それらが考証され、また解読されました。その結果、やはり聖書に記されている人物・土地・物・風習・出来事などは事実であったと明らかになりました。
~発見・発掘された物~
- 解読の突破口:ベヒストゥン碑文、ロセッタ石
- 解読された文字:シュメール語、アッカード語、エラム語(一部)、古代ペルシャ語、フルリ語、ヒッタイト語、公用アラム語、フェニキヤ語、エジプト神聖文字
- (大量の)文書:アッシュール・バニパル王の図書館、ラガシュ・ニップル・シッパルの図書館、エブラ文書、マリ文書、エマル文書、ヌズ文書、ウガリット文書、ボガズキヨイ文書、アマルナ文書、死海文書
- 発掘された有名な街:コルサバード、カラー、ニネヴェ(一部)、エリドゥ、ファラ、シッパル、ウルク、ラガシュ、ウル、バビロン、スーシャー、パルミラ(タデモル)、エリコ、メギド、エルサレム、ゲゼル、アレオパゴスの丘など多数
- 特に有名な発掘物:ウェルドの角柱、ハムラビ法典碑、メシャ碑文、黒色オベリスク、六角プリズム、ヒゼキヤの水道とシロアム碑文、ウォーレンの縦坑、メギドの馬屋・武器庫跡、イスラエル石碑、クロス王のシリンダー碑文、ペトラ遺跡、ソロモンの溶鉱炉跡、ゴルドンのカルバリ、園の墓、カペナウムの会堂跡、ローマのカタコンベ、エペソのアルテミス神殿など
- その他発掘品の種類:*書かれた記録(碑文、書類、粘土板、陶片など)*廃址丘、神殿など *構築物(塔、壁、柱、墓、水路、門、祭壇、石碑、敷石)*物品(印章、装飾品、武器、寝台、壺、遺体、骨、宗教用具、家庭用品、産業装置)*貨幣 *絵画
- 参考になる史書:ヘロドトスの《歴史》、マネトの《エジプト史》、ベロッソスの《アッシリヤ・バビロニア史》、ヨセフスの《古代ユダヤ史》、《ユダヤ戦史》、タキトゥスの《年代記》、スエトニウスの《皇帝伝》など多数
これら考古学的成果、歴史書などによって、聖書の記述は架空の作り話ではなく、まさに古代オリエントのあの地域で実際に起こったことの記述であると確信できるのです。
◇