わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。・・・あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。(ヨハネ15:5~7)
今日はこの聖書のお言葉を通して、願いが聞かれる、本当に祝福された人生が与えられる秘訣を学びたいと思います。無気力で無感動、充足感のない日々を過ごしていた者から、願っていることは実現したと言えるような豊かな人生を歩む者になることができる。その秘訣は私たちの「信仰」です!
イエス様を信じる信仰があれば、私たちは恵まれた人生を歩むことができます。ヨハネの福音書には、イエスがご自分を「わたしは〇〇である」と語られたお言葉が7つ出てきます。本日の箇所の「わたしはぶどうの木」は、その中の7つ目に当たります。
その他は「いのちのパン」「世の光」「門」「良き牧者」「よみがえりでありいのち」「道であり真理」と語られました。これらのお言葉を通して、イエス様はご自身が本当の救い主であり、私たちの人生を導いてくださる主であることを伝えようとされました。
今日は「わたしはぶどうの木」のお言葉から3つのことを学びたいと思います。
1. 何もすることのできないジレンマからの脱却!
人間は神様から人生の夢、目標を持つように命を与えられました。これは人間だけに与えられた素晴らしい能力なのです。ですから、したいと思ったことができなかったときの挫折感や後悔、自暴自棄などの苦しみを覚え、何もできないままで終わる人生を避けたいと思います。
神様から命を与えられている私たちは、神様からの命が枯れたり、流れなくなると機能不全に陥り、したいと思ったことができなくなるのです。しかし、無から有を生み出す創造主からの命があるならば、御心にかなう夢や目標が与えられ、それらを必ず実現することができるのです。
イエス様とあなたが相互にとどまるなら、イエス様の命とつながり、あなたの思いがイエス様に伝わり、イエス様から恵み、命、喜びが流れてきます。そのようなあなたであるかどうか確認しましょう!
2. 自滅を招く人生から遠ざかろう!
枝が木から離れると、それはいずれ枯れ、寄せ集められ、薪にされてしまいます。いろんな可能性を持って生まれながら、自滅していくような生き方をする人がいます。しかし、私たちはイエス様とつながることでイエス様からの命を頂くことができ、私たちの願い、求めは常にイエス様に聞き届けられます。
イエス様の命とつながることで、私たちは自滅を招く人生から遠ざけられ、主の恵みの中に守られることを感謝しましょう!
3. 救い主を信じ祈り求めよう!
「求めたものは与えられる」という素晴らしいお言葉が与えられています。しかし、何かをしたいと願いながら、何もできずに終わるむなしい人生があり、一方では自分の求めるものをかなえられる喜びの人生があります。
その差は、救い主を信じ、祈り求めているかどうかです。それにより、夢は実現し、神様からの恵みが留まることなく与えられるのです。そんな豊かな人生を体験しましょう。
この春、ぶどうの木であるイエス様につながり、主のいのちと祝福にあふれる人生を歩んでまいりましょう。
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