たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かし・・・によって心を動揺させたりしてはいけません。むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、・・・希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。・・・キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。(1ペテロ3:14~18)
今日一番大切にしたい箇所は、18節の「キリストも一度罪のために死なれました」のお言葉です。キリストは私たちと同じ人の姿をとり、この地上を歩まれましたが、私たちのように罪を犯しませんでした。そんな聖いお方にもかかわらず、キリストは私たちの罪を代わりに背負い、十字架にかかってくださいました。肉体においては死なれましたが、霊において死を打ち破ってよみがえり、それを信じる者を父なる神のみもとへ導く救い主としての働きを完全に成してくださったのです。
このイエスの救いを信じる信仰を頂くと、イエスの愛に満たされ、それがにじみ出て、毎日の生活がクリスチャンらしい生き方へと変えられ、人生の歩み方が変わっていくのです。その具体的な事柄を4つのポイントで確認しましょう。
1. 善に熱心に生きる
今、世の中では詐欺、うまい投資話など、人を騙してでもお金もうけをする人が増えています。しかし、クリスチャンになると、そういうことに違和感を覚え、自然に神が良いとされる善に対して、熱心に生きるようになります。
クリスチャンの中には、献金をしたり、誰かを支援したり、身寄りのない子どもを養子に迎えたりする方が非常に多くいます。それは、神の御心に私たちの心が引き寄せられるからです。偽善者だと批判する人もいますが、自分のやったことで誰かが幸福になるなら、やった方がよいのです。私たちも善なることを一つずつ形にしていきましょう。
2. いつも主をあがめる
私たちクリスチャンはピンチが訪れても、すぐにキリストをあがめ、祈ることができます。世の中の人々はキリストをあがめることがないので、自己中心で利己的な考えをしています。
有名なタイタニック号沈没の時、人数分の救命ボートがないことが分かると、最後まで皆を励ますために賛美歌を演奏し続けた楽団員や、女性や子どもたちにボートを譲った多くのクリスチャンの実話が残っています。そのようにクリスチャンは、自分が損になっても人が幸福になればよいと思うことができる、不思議な感覚を持っています。自分がピンチであっても、キリストをあがめることができることに感謝したいと思います。
3. 希望や救いについて証しする
信仰生活がよく分からない人から「クリスチャンの信仰とは?」「なぜ教会に行っているの?」と質問されたときのために、弁明できるよう答えを用意しておきましょう。「神様を信じることによって、悩んだり、人を責めたり、恨んだりする今までの生き方が変えられ、人生に対して前向きになりました」と素直にキリストを堂々と弁明し、証ししようではありませんか。
4. 優しさ、慎み、良心のある生き方をする
控えめで慎み深く、周りの皆を立たせてあげるような、神様に喜ばれる生き方を心がけていこうではありませんか。人を騙したり、言葉で傷つけたりすることが多い世の中で、私たちは幸せを届ける者でありたい。イエス様の十字架の愛で救われていることに感謝し、あなたがクリスチャンであることで、あなたの家族、友人、職場の仲間が幸せになりますようにと祈りましょう。日々の生活の中で、その恵みを形にしていこうではありませんか!
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