そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。・・・夜中になって、「そら、花婿だ。迎えに出よ」と叫ぶ声がした。・・・用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。そのあとで、ほかの娘たちも来て、「ご主人さま、ご主人さま。あけてください」と言った。しかし、彼は答えて、「確かなところ、私はあなたがたを知りません」と言った。(マタイ25:2~12)
今日お開きした箇所は、10人の乙女の例え話で、彼女たちは花婿の到着を待っていました。2千年前のユダヤの国での冠婚葬祭は、とても盛大に行われました。花婿が花嫁を迎えに来て、そこで大々的に祝宴が催されます。そして、友人たちがその花婿がやって来るのを、明かりを持って出迎える習慣があったのです。
ここでイエス様は、10人のうち5人は愚かで、5人は賢かったと言っています。私は祈る中で、10人の乙女たちがやったことは、皆一緒だったことに気付きました。皆、花婿のことを待ち、明かりも用意していました。やったことの事実だけを見るならば、10人とも一緒だったのです。
しかし、ここで注意したいのは、花婿の到着が遅れたということです。賢い乙女たちは万事に備え、予備の油を用意していました。しかし、愚かな乙女たちは事前に予備の油を用意していなかったために、夜中に買いに行くことになってしまったのです。結局、戻って来たときにはすでに戸が閉められ、「私はあなたがたを知りません」と言われ、報われなかったのです。
その理由を2つのポイントから確認しましょう。
1. 一歩踏み込む考え方
私たちは人生の歩みにおいて、神様のこと、仕事、家庭生活、あらゆる日々の生活において、言われたことだけでなく、一歩踏み込んで考え、一歩先を見通すことが大切だと思います。プロ、ベテランと言われている人たちを見ていると、目の前の要求されたことだけではなく、一歩先のことを踏み込んで考えておられます。
10人の乙女たちは、明かりを用意して、最高の迎え方をしなさいと言われていたと思います。そのために、賢い乙女たちは一歩先を考え、予備の油を準備していたのです。一歩先のことを考えたこと、ここに大きな差が生まれたのです。
私たちも教会に来て奉仕することや、献金することをノルマのように考え、やり過ごしていないか、気を付けたいと思います。どんな思いを込めてやっているか、その先を見通し、何を用意しておけばよいか、プラスアルファを考える習慣を持ちたいと思います。
2. 前もって行動することの価値!
考えてはいたけれど、しなかったではいけません。一歩踏み込んで考えていたことを前もってするという行動に価値があります。
賢い乙女たちは、花婿が来るのが遅れたときのために、油が足りなくならないように、前もって余分の油を準備していました。また、愚かな乙女たちも、油を分けてくださいとお願いしていますから、賢い乙女たちが準備していたことを知っていたのです。分かっていたけれど、用意しなかったために、夜中に買いに行くことになり、体力は使ったけれども、報われず、とても残念な結果となってしまったのです。
私たちも、人生に悔いを残さないために、見かけだけするのではなく、神様の御心は何か、本当にしなければならないことは何か、意味を考え、一歩踏み込んで行動したいと思います。イエス様は私たちを救うために、二歩も三歩も踏み込んで、命さえも捨ててくださいました。へりくだり、計り難い愛に感謝し、その恵みにあずかりましょう。
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