それから、イエスは、ペテロの家に来られて、ペテロのしゅうとめが熱病で床に着いているのをご覧になった。イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみないやされた。これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」(マタイ8:14~17)
春に向かう気温の変化の激しい日々ですし、年度末で職場や家庭内で普段と異なる忙しさの中にあるかもしれません。しかし、主が共におられるという平安の中で恵みを頂きつつ前進しましょう。私たちの心を常に神様に合わせておくことが大切です。
世の中は良いニュースよりも悪いニュースが多く、伝わりやすいのです。世の中の悪い影響が子どもたちにまで及び、深刻な状況であることを心にとどめて気を付けなければなりません。だからこそ今、教会の役割が大きくなっていると思います。神の愛や、清くて正しいことをすることが幸せにつながる秘訣であることを語りたいと思います。まず、私たちクリスチャンがイエス様からの新鮮な恵みを頂き、癒やされて、私たちの周りの人々にその恵みを伝える者になりたいのです。
祈りによって、あなたも癒やされましょう。私たちを元気にする方法はさまざまあります。バランスの良い食事、適度な運動、質の良い睡眠、もちろん治療や薬などが挙げられますが、そもそも私たちの命は人が造ったものではなく、神によって与えられたのですから、命の創り主、与え主である神様によって元気にされることが基本です。ここで、3つのポイントを学んでまいりましょう。
1. 一つ一つの癒やしの価値を忘れずに!
イエス様による癒やしは、ただ何となく元気になるというレベルのものではありません。ここに、熱病で床に就いていたペテロのしゅうとめをイエス様が癒やされたと書かれています。ただ熱が引いて少し元気になったのではなく、イエス様をもてなすほど元気になったのです。イエス様の力強い、はっきりとした癒やしの価値を知りたいと思います。
使徒の働き16章31節には「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」とあります。一人に救いや癒やしの恵みが起こるなら、それは家族全体、周りの人々にも影響を及ぼすのです。
2. 一人の癒やしは多くの人々の癒やしのきっかけ!
ペテロのしゅうとめが癒やされたことを知った人々が、大勢の病人をイエス様のみもとに連れて来たのです。イエス様は悪霊に取りつかれた人を解放し、病気の人を皆癒やされたのでした。
一人の人に主の明確な癒やしが起こるということは、多くの人が同じ恵みにあずかることができるということです。第一テモテの1章でパウロは、自分が救われたのは、これからイエス様を信じて、永遠の命を得ようとしている人々の見本になるためだと語っています。パウロの救いと同じことが起こるということです。
3. 人々が癒やされることは主なる神の約束!
最後に、イザヤ書53章にある神の約束と祝福の預言が成就したと記されています。私たちが癒やされるのは単なる偶然ではなく、神の約束のお言葉の成就です。イエス様を信じる者の病をイエス様が引き受けてくださり、キリストの十字架の打ち傷によって私たちは癒やされるのです。
この確実な癒やしの根拠があり、それによって私たちに癒やしが約束されているのです。私たちの周りに癒やしが起こることは、神が働かれているという証拠であり、それはみんなのものになるということを感謝し、まずあなた自身が癒やされることを信じて祈りましょう。
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