(3)うわべだけの復興
a. 女川原発再稼働
東京オリンピックの聖火リレーは当初、福島県楢葉(ならは)町を出発点として、今年3月26日から3日間、福島県内を走る計画でした。復興を前面に出す演出としか思えない情報操作です。なぜなら現在も、福島第1原発事故による原子力緊急事態宣言は解除されていません。倒壊の恐れがある第1・2号機排気筒の解体工事は円滑に進んでいません。汚水タンクの海洋放出を地元漁業関係者が反対しているからです。
原発事故の収束の仕方さえ霧に包まれたかのように、行き先が分からないのです。にもかかわらず、まるで復興したかのようにオリンピックを開催しようとしたのは一種の詐欺ではないでしょうか。浪江町、双葉町、大熊町、富岡町などについて、東京オリンピック開催のため、全世界に「復興」したことをアピールする魂胆が見え見えです。「帰還困難区域」であった町がにわかに「避難指示解除」になりました。自主避難者たちはかつて居住していた場所に戻る気がありません。お店、病院、学校などもない上、暮らしを度外視した荒涼とした無人地帯だからです。低線量被ばくにおびえます。民衆をたぶらかす欺瞞(ぎまん)が常に満ちています。例えば、原発事故の放射能汚染を考えてみますと、住宅再建、道路整備、産業基盤は復興しつつあるように政府は数字で表現します。しかし、自主避難者を除いて、今も5万人以上の福島県民が古里を離れています。事故から9年を経ても、生活再建の道筋は示されていません。
2月26日、住民の多くが反対している中、原子力規制委員会は女川原発第2号機について、新規制基準に基づく安全審査で合格を決めました。女川原発第2号機について東北電力は、2020年度にも安全対策工事を終えると強調しています。海抜約29メートルの防潮堤建設などで安全を強弁しています。東日本大震災の際、石巻市の笠貝島には、43・3メートルの津波が襲ったことを忘れてはいけません。核のゴミを子々孫々に残してよいものでしょうか。
b. キリシタン=ボランティア
神戸国際支縁機構が100回以上訪問している石巻市渡波(わたのは)町2丁目には、東日本大震災前まで「無量寿庵(じゅあん)」という寺がありました。しかし、津波で流されてしまいました。伊達政宗に信頼されていた家臣、後藤寿庵はキリシタンでしたが、政宗の温情によって切腹をまぬかれました。「寿庵」とは洗礼者ヨハネの意味です。無量寿庵の住職だったのが、現在、同市門脇町2丁目にある西光寺の樋口伸生副住職です。今回、樋口副住職、日本ハリストス正教会の田畑隆平司祭、イスラム教のアニース・アハマド・ナディーム宣教師、筆者たちも加わって、西光寺の敷地内にある「祈りの杜(もり)」で超教派による追悼の祈りの機会を持てました。
キリシタン(明治維新が始まる1868年以前のローマ・カトリック教会信徒)の迫害は、キリスト教の排他的な性格や、宣教師たちがキリシタン大名を動員する力をもっていることに疑心暗鬼になった豊臣秀吉によります。これらのことが伴天連追放令(1587年)の引き金になったと宮城学院女子大学の平川新学長は分析され、日本がなぜ当時最強だったスペインの植民地にならなかったのか詳述しておられます。
権力に取り入ろうとしたフランシスコ・ザビエルの痕跡は記録されているものの、なぜ短期間で日本人の心を捉えたのか、筆者には関心があります。すると、「キリシタン=ボランティア」という構図が浮かび上がってきました。
1549年8月15日、ザビエルは鹿児島に上陸しました。孤児・老弱者をはじめ、重病人や「癩者」(らいしゃ、ハンセン病の患者)の救済活動にすぐに乗り出します。安土桃山時代には途絶えていた社会慈善事業が、仏教に見られなかった新しい方針によって開始されました。ザビエルたちの宣教の世界観は宗教的な発露でした。「主なる神の霊が私に臨んだ。主が私に油を注いだからである。苦しむ人に良い知らせを伝えるため、主が私を遣わされた。心の打ち砕かれた人を包み、捕らわれ人に自由を、つながれている人に解放を告げるために」(イザヤ61:1)に基づいていたに違いないと想像します。
当時、国家共同体による社会福祉が全然行われないばかりか、強い者勝ちの世相の中で、貧窮と病気に苦しむ敗残者が多い中、キリシタンは愛の実践を行いました。1591年から今日まで、迫害と潜伏を通じて、唱え続け記憶されているオラショ(祈祷文)にキリシタンの14カ条があります。
キリシタン弾圧下にあって、徳川幕府も当初黙認したのは愛を実践していた「慈悲の組」などでした。とりわけ「組」は積極的に孤児、戦争や被災により夫をなくした独身女性、高齢の独居者・老弱者・病人を世話していました。
迫害下にあっても、長崎のコンフラリア(信心会)の一つ「ミゼリコルディヤ(「慈悲」の意)の組」は、1世紀の初代教会と同じように、「そして、その町の病人を癒やし、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい」(ルカ10:9)と、キリストが72人の弟子を派遣宣教されたときに語った言葉を実践したのです。伝道して信者を増やすためではありません。また「義の行い」により神に罪を赦(ゆる)していただくためではありません。罪には、「無知(無関心)」(マタイ25:41~43)、「自己正当化」(マタイ25:45)、「偽り」(ヨハネ8:44)があると、機構では共通した認識があります。
また別の信心会「サンタ・マリアの組」の信者が実践していた第16項に業が記録されています。「囚人を見舞い、慈悲物を与えて助くる者(中略)、埋葬を行い、または埋葬に必要なる物を与え、もしくはその屍(しかばね)に刀を試みられざるように心を用うる者は」免償(ラテン語 indulgentia / インドルゲンティア)されるのです。「免賞」とは「免罪」ではなく、「罪」に対して課せられた有限な「罰」を免除することで、「免罪、免罪符」はインドルゲンティアの誤訳です。
c. 宣教とは伝道ではなく、愛の実践
ボランティアは、現場で人々と交流する「トポス」(ギリシャ語 τόπος 「場」の意)です。人々との対話、継続した関係性(機構では「縁」)、「共生」(live together)こそ、被災における喪失感を埋めるのです。家族、幼なじみ、親友に相当する存在になり、信頼を得るからです。日本の厚生労働省は人々の協調行動を活発にすることによって、社会の効率性を高める上で、米国の政治学者ロバート・パットナムによるソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の理論をあらゆる分野で取り入れようとしています。パットナムはソーシャル・キャピタルを、「調整された諸活動を活発にすることで社会の効率性を改善できる、信頼、規範、ネットワークといった社会組織の特徴」だと定義しました。ドイツ社会学の古典であるフェルディナント・テンニース(1855~1936)による「ゲマインシャフト(共同体)とゲゼルシャフト(社会)」の概念を批判します。近代化に伴い共同体は解体されるのではなく、市民共同体で「連帯、市民的積極参加、協力、清潔性」が見られると述べます。
しかし、日本の「お上(かみ)」が参考にしているパットナムの「効率性」では、被災者、貧者、弱者に寄り添うことはできません。なぜならボランティアは効率、能率を追究するのではなく、徹底して相手側の状況や都合に合わせるようにするからです。つまり、机の上で作ったマニュアルに従って実践するのではありません。「隣人愛」が基本です。
「人を愛する者は、律法を全うしているのです」(ローマ13:8)の通り、愛は律法を「全うする」(ギリシア語 πληρόω / プレロー)のです。宗教者の「信仰、信心、敬虔」を上回る本質をパウロは語っています(ガラテヤ5:14)。マザー・テレサは教会の中で福祉事業を行ったのではありません。外へ出向いて息も絶え絶えの人々に接しました。マザー・テレサがインドのコルカタに建てた「死を待つ人々の家」同様、大阪・釜ヶ崎にある「ふるさとの家」も、仕えること(ギリシャ語 διακονια / ディアコニア)、愛(ラテン語 caritas / カリタス)に徹し、施設長を務められていた本田哲郎司祭も自ら、散髪、炊き出し、看護などを行い、伝道はされません。マザー・テレサや本田司祭にとり、教会は祈りの課題を共有し、献金の協力をお願いし、情報収集をする場にすぎません。
2016年4月16日、熊本県益城(ましき)町の広安愛児園(三嶋充裕園長)で熊本県庁から700~800人分の炊き出しを依頼された際、神戸から参加した機構のボランティア10人の内、2人は看護師でした。避難所で持病が悪化した人たちを検診し、必要な場合、薬の処方などをして仕えました。人々を癒やすためではなく、癒えるのを見守るのです。
「群衆はこれを知って、イエスの後を追った。イエスはこの人々を迎え、神の国について語り、治療(ギリシア語 ἰάομαι / イアオマイ、「(医者、医師が)癒やす」の意)の必要な人々を癒やされた(ギリシャ語 θεραπεία / セラペイア = θεραπεύω / セラペウオーの名詞形 「手当て、奉仕、看病」の意)」(ルカ9:11)
手当てした結果、癒やされる場合もあったでしょう。しかし、キリストの主な業は「手当て」でした。第106次東北ボランティアにも参加した大島健二郎さんは、熊本に移住してまで「復興」を見守られました。独りで被災後も寄り添うことができた原動力は何でしょうか。キリスト者としての「共苦」を甘受されたのです。十字架で受難した「共に苦しむ」(ギリシャ語 συμπάσχω スンパスコー = σύν / スン「共に」の意 + πάσχω / パスコー 「苦しみを受ける、苦難を経験する」の意)の精神です。
「子どもであれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共に栄光を受けるからです」(ローマ8:17)
機構も、神戸国際キリスト教会の祈り、献金協力、情報の共有があることで働きが継続でき、被災現場に行くことができています。とりわけ垂水(たるみ)朝祷会は、東日本大震災後から欠かさず、祈祷課題に教団教派を超えて石巻の「復興」について熱心に祈ってくださっています。
<結論>
「防災」⇒「災害」⇒「復興」ではなく、「復興」の現場⇒「災害」に取り組み⇒「防災」に備えるボランティア道に常に挑戦しています。戦っています。一般に、被災地復興といえば、阪神・淡路大震災以降も、専門職、生活援助員(Life Support Adviser=LSA)、NPOなどのネットワークによるサービス提供に依存しています。しかし、役所の被災者情報管理、ハコモノ建設、道路など土木事業への介入、一方的サービス、人材不足により、空回りをしている印象は免れません。目に見える形状の復興を他の被災地域よりも迅速にすると、情けないことに、「創造的復興」と持ち上げられる傾向があります。津波で覆われた海岸に近い「レッドゾーン」にまた住宅開発がなされていても、トラブルの陳情がない限り、都市局計画課は動きません。日本社会は死に体です。
宗教家の宣教とは、会議、討論、予算の裏付けでなされるものではなく、貧しい者のトポスから生れ出てきます。新型コロナウイルスは、ボランティアに覚醒の刺激となるでしょう。孤児、戦争や被災により夫をなくした独身女性、高齢の独居者が嘆きの涙をたくさん流しているからです。
人を愛する者は、律法を全うしています。隣人愛を実践することは情緒的なことではなく、自分と異なる人たちの多様性を知り、その痛みを理解することです。共生するには、相手側には歴史をめぐる別の「物語」があることを理解し、受け入れる寛容が求められます。
路上生活者がボランティアとして、被災者に寄り添うように変えられていきました。堀浩一さんと田村晋作さんが、西日本豪雨で被災した岡山、広島の水害地帯、昨年の台風15号で被災した千葉・南房総の布良(らめ)に自ら赴くには、聖霊の働きが不可欠でした。堀さんは第106次東北ボランティアでは、漁ボランティアの班長として、石巻市漁業組合でも作業に従事されました。まさに神から垂直にもたらされる特別恩恵(special grace)です。機構の本田寿久事務局長が2人をよく励まし、「共振」「共苦」「共生」することによって、連帯ができています。
村上裕隆代表に同行した神戸新聞の竹本拓也記者が、3月11日付の夕刊で大きく取り上げてくださいました。パウロの回心に相当する変化をもたらした神様の見えない御手(unseen hand)に感謝します。(終わり)
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