東日本大震災が発生してからすぐに被災地現地に赴き、支援活動を継続してきた神戸国際支縁機構(岩村義雄理事長)が、東北で100回目となるボランティア活動を宮城県石巻市で行った。この8年余りの間、阪神・淡路大震災で同じく被災した神戸から、延べ約2千人が同機構を通して東北の被災地を訪れ、活動を行ってきた。
100回目となった9月18日のボランティア活動では、震災翌年から同市の長浜幼稚園(後藤竜記園長)などと協力して、被災地の子どもたちと共に育ててきた無農薬・有機栽培の稲の8回目となる稲刈りを行った。同機構は神戸市西区の友清でも有機農業を行っている。石巻市では毎年、「トロトロ層作り」(しろかき)から田植え、稲刈り、脱穀、収穫祭と、稲作を通年で体験できる年5回のプログラムを、同園の園児たちに提供している。
田んぼは、同市渡波(わたのは)地区の農家、亀山繁さんから毎年借りており、大きさは一般的なバスケットコートほど。園児たちは、専用の稲刈り鎌を使って、黄金色の稲穂を垂らした稲を刈り、「稲架掛(はさか)け」に掛けていった。約60人の園児が参加し、阿部世奈(せな)ちゃん(5)は「サクッと稲の束を切れて気持ちよかった」と喜んで語った。
現代の稲作はあらゆる場面で農機が使われているが、同機構では、昔ながらの手作業による農法や地産地消にこだわっている。「田・山・湾の復活」をスローガンに掲げ、「自然を支配・利用する」農業ではなく、「自然と共存する」農法を目指しているからだ。牧師でもある岩村氏は、「人間が繁栄のために自然を支配し、利得の手段とすることはあってはならないこと。神は、創造されたこの『地』を人間が責任を持って世話することを望まれているはず」と話す。
一方、子どもたちには、直接土に触れ、昆虫や小さな動物たちとの出会いもある稲作体験が、大人になっても忘れられない良い思い出になればと願っている。「全身で吸い込んだ、都会では味わえない空気が、故郷を愛する貴重な原点になればと願っています」
東北での活動は、同機構にとっても大きな転換点となった。2001年の設立時、名称は「神戸国際支援機構」だった。しかし、東日本大震災の支援活動を行う中で、神戸から来たボランティアと東北の被災者の間に、これまでにない交流が生まれた。ボランティアとは「縁(人とのつながり)を支える」働きだ。そう考え、名称中の「支援」を「支縁」に変えた。何よりも被災者に寄り添うことを大切にする同機構の活動を、岩村氏は「ボランティア道」と呼び、「この働きは、終始一貫して『弱い人』と『共生・共苦・苦縁』をまっとうするものです」と話す。
これまでも、東日本大震災をはじめ、鬼怒川水害や熊本・大分地震、九州北部豪雨、西日本豪雨、北海道地震、 佐賀水害など、自然災害が発生すれば、直ちに現地に向かい、炊き出しや傾聴ボランティアなどを行ってきた。最近の台風15号についても、東北のボランティアに向かう途上、被害が大きかった千葉県南房総の館山市布良(めら)地区や鋸南町(きょなんまち)などを訪れ、がれき撤去や傾聴ボランティア、強風で破損した屋根の修理などを行った。
一方、岩村氏は、数多くの被災地を見てきた経験から、現在の「行政が民間のボランティアを管理する」ような体制には批判的だ。ボランティアの自発性を重んじ、それぞれの助け合いの精神を促すことが大切だと指摘。「必要なのはルールではなく隣人愛です」と話す。
同機構のボランティア活動には誰もが参加できる。「性別、年齢、国籍はもとより、いかなる資格、経験、健常者かどうかも問いません。なぜなら被災者の中には、ハンディキャップがある人や外国語しか話せない人、心を病んでいる人など、さまざまな人がいるからです。ボランティアも、あらゆる人で構成されるべきだと願っています」
101回目となる東北ボランティアは今月13日~16日に、3回目の千葉災害ボランティアに続いて行う。園児たちと共に、先月収穫した稲を脱穀する予定だ。さらに11月には収穫祭を開き、脱穀した米でおにぎりを作り、養殖ボランティアで収穫した海苔(のり)や鹿肉を用いて、地域の人たちや独居の高齢者に例年のように振る舞うことになる。