2011年3月11日に東日本大震災が発生してから、11日で満9年となりました。復興庁の発表によると、震災直後47万人いた避難者は今年2月10日までに4・8万人となり、共同通信の調査によると、被災3県(岩手、宮城、福島)の仮設住宅の居住者は、今年4月には60世帯120人となる見込みです。
一方、被災3県の仮設住宅・災害公営住宅での孤独死は昨年、計494人に上り、被災者の6割近くが9年たった今も被災意識を持ち続けているとされています。
こうした中、神戸国際支縁機構はこの9年間、毎月東北の被災地を訪れ、ボランティアを続けてきました。9~12日も106回目となるボランティアで東北を訪問しています。震災9年に当たり、同機構理事長で神戸国際キリスト教会牧師の岩村義雄氏が、「キリスト教と防災」をテーマに、昨年12月14日に関西学院大学で語った講演内容を一部編集して全3回に分けて掲載します。(第2回・第3回)
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<主題聖句>
「あなたがたの中のある者は、とこしえの廃墟を建て直し、代々に続く礎を据える。あなたは『城壁の破れを直す人』『住めるように道を修復する人』とも呼ばれる」(イザヤ58:12、聖書協会共同訳)
<序>
米同時多発テロ(9・11)を契機に、私のキリスト者としての価値観が変わりました。伝道によって日本人を変えることができると考えていた視座は粉砕されました。それまで、雨の日も、風の日も、雪の日も、毎朝、兵庫県明石市のJR朝霧駅前で大きな声をはり上げて路傍伝道していました。阪神・淡路大震災が発生した1995年以降も、通勤・通学で駅を利用する人たちが教会に足を運び、洗礼を受け、クリスチャンになっていただきたく、そうし続けました。日本のどの牧師より、忙しく路傍伝道に情熱を注いでいたと思います。
しかし、9・11のテロは自分自身が変わる必要があることに気付かせてくれたのです。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて(ギリシア語でメタノイア、「視座を変えて」の意)福音を信じなさい」(マルコ1:15)と叫んでいた自分の回心のカイロス(時)でした。打ち込んできた信仰姿勢が砕け散った瞬間に真の回心が生じました。それまで社会の「破れ」については沈黙し、むしろ多くの「破れ」を再生産していたのです。そこで、自分に死にきる道への路程が始まったのです。
1. 環太平洋火山帯(Ring of Fire)
日本やバヌアツ、インドネシアなどにおいて、度重なる自然災害が人命を奪いました。これら太平洋を取り巻く国々は「環太平洋火山帯(Ring of Fire)」と呼ばれています。データを見てみますと、21世紀の最初の18年間(2001年1月~18年3月)で、日本の東日本大震災、バヌアツのサイクロン「パム」被災、インドネシア・パルの大津波などによる死者数は、すでに20世紀の犠牲者の総数を上回っています。
2. 日本の破れ口
2011年3月11日に東日本大震災が発生し、神戸国際支縁機構の学生スタッフたちは、その3日後から準備にかかりました。そして3月21日には、宮城県石巻市渡波(わたのは)に入り、被災地の叫び声を聞くことになりました。「幽霊でもいいから会いたい」という親族を失った女性の言葉は、宗教家としての思考を停止させました。建造物としての教会や会堂の装飾、聖歌隊の醸し出す安易な「慰めの装置」では癒やすことができない現実に直面しました。地元紙「石巻かほく」(2017年10月9日付)には以下のように記されています。
2万1千人の内、90パーセントが津波から「てんでんこ」に逃げたそうです。腰の部分まで冷たい海水につかりながら、ひたすら雪の舞う中での逃避行を耳にしました。津波の牙が襲い、一階がずどんとがらんどになってしまった家が点在しています。
キリスト教会の反応はどうかといえば、内向きでした。「彼らは、わが民の傷を安易に癒して、『平和、平和』と言うが、平和などはない」(エレミヤ6:14)と、書かれているように、礼拝で「主の平和」を唱えるために、教会、牧師館、被災した信徒の家の再建などがなされました。民の傷を「安易に(ヘブライ語でカーラル、「手軽に」「slightly」の意)」癒すことが優先されました。そのために全国、否、全世界からの義援金も充てられました。礼拝に来ることができていない教会員や求道者を訪問することもなされました。そのことによって、聖職者が被災現場に足を運ぶことにもなりました。つまり多くの場合、壊れた被災地の民を慰めることより、教会員の平和を維持するために教会は協力し合ってきました。しかし、東日本大震災を契機に少しずつ利他的な取り組みも始まった観があります。
3. 被災者との乖離
石巻市では、2018年末の時点で、かもいなどが傾いたままできちんと障子やふすまが閉まらない家が2352戸にも上りました。ほとんどの教会は個々の被災者には寄り添いませんでした。動いてこなかったというより、「常温社会」の空気を吸っている影響です。ゆったりお風呂につかっているような状態です。「将来より今」「期待より現実」「公より私」(イマ、ココ、ワタシ)の価値観が教会にも行き渡っています。石巻市のある教会は当時、日曜礼拝の参加者が震災前の2倍以上になったといわれました。しかし今は、元通りの人数と聞きました。教会は被災者の「叫び」を聴き取ることができたのでしょうか。
自然災害などによる「予期せぬ突然の死別」と、病気などによる「ある程度予測が可能な死別」は根本的に異なります。津波などによる突然の不条理な死は「別れ」の時間を許しません。愛する人と最期に「別れ」の時間を与えられることなく、強引に家族の団らんに終止符が打たれてしまいました。ですから置き去りにされた家族は、受け入れられない突然の事実に、ただただ茫然(ぼうぜん)としてしまいました。行き場のない怒り、苦しみ、悔しさ、「ああしておけばよかった」の後悔の念にさいなまれ、毎夜、涙で枕をぬらすことになりました。今もなお、海の波の音にトラウマがあります。眠ることができません。
キリスト教会に足を踏み入れて、「イエス様を信じた者は救われました」という宣言を繰り返し告白することに当惑されています。胸の内は空洞のむなしい旋律が響きわたっている被災者にとり、説教はすんなりと魂の芯に達しません。礼節により出席した礼拝や諸集会もだんだん足が遠のきます。なぜなら「慰め」であるはずの福音や罪の悔い改め、礼拝出席、献金のために日曜日を過ごすことでは、被災した人々が持つ神に対する「嘆き」が癒やされないからです。
「ラマで声が聞こえる。激しく嘆き、泣く声が。ラケルがその子らのゆえに泣き、子らのゆえに慰めを拒んでいる。彼らはもういないのだから」(エレミヤ31:15)に記されているように、「慰めを拒む」のはなぜでしょうか。「自分よりもっと大変な思いをしている人が大勢いるので、自分は本当の意味での被災者ではない」と、多くの被災者が考えるからでしょうか。「どんなにつらくても、この苦しみは誰にも迷惑かけずに自分の精神力で乗り切るのだ」と感情を押し殺し、自分一人の力で悲嘆を乗り越えようと考える人もいました。「受縁力」がない日本人特有の傾向も一因だからでしょうか。かつての筆者がそうであったように、キリスト教会は伝道によって人を回心させることができると考えてきました。しかし、日本人を変える前に、キリスト者が変わらねばならないことに迫られています。被災者が教会で「慰め」を願わない理由に、クリスチャンは目覚めなければなりません。(続く)
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