2011年3月11日に東日本大震災が発生してから、11日で満9年となりました。この9年間、神戸国際支縁機構は毎月、被災地の東北を訪れボランティアを続けてきました。震災9年に当たり、同機構理事長で神戸国際キリスト教会牧師の岩村義雄氏が、「キリスト教と防災」をテーマに、昨年12月14日に関西学院大学で語った講演内容を一部編集して全3回に分けて掲載します。(第1回・第3回)
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1. 被災者の思いに鈍感な教会
日本のキリスト教会は、これまでのキリスト者たちが残した霊的遺産の恵みに満足しています。しかし、被災者の怒り、苦しみ、悔しさに鈍感なのです。限界集落の実状にあまりにも無関心です。今日の教会に信者が増えるような「役に立つ情報が欲しい」「つらい話は聞きたくない」「復興を進める上で災害の爪痕は消した方がよい」という流れが大勢を占めています。礼拝に集っても、震災を「紙上の歴史」として風化させるエートスで満ちています。一方、臨床宗教師や、布教を目的とせずに支援に当たる釜ヶ崎キリスト教協友会の理念と活動などもあります。子ども食堂に取り組む教会もあります。
被災地の現場では、形状を復旧、復興、再建することはできても、被災者の心的外傷後ストレス障害(PTSD)や孤立に寄り添う傾聴ボランティアのような対話が非連続になっています。被災者の愚痴、不満、無気力を耳にすることもなく、神への叫びという嘆きを聴き取る時間の経過を軽んじています。被災者の叫び声を聴くためには、訪問回数や対話の時間を増やして、気心が知れるようになる関係性が求められるでしょう。つまり親しい友であろうとすることが求められるのです。教会はこうした姿勢を持ってきたのか、吟味する必要があります。
2. 貧しい者・小さき者を選ぶ神
聖書にある嘆きの祈りは、自分たちにはなすすべのないことを知っている周縁の人々によって書かれました。神は、貧しい、最も小さい、最も弱い立場にある人々のすぐ近くに近づいて来られる存在です(詩編113:6)。それは、貧者の罪が小さいからということではありません。「小さき人々」は罪にまみれた世から排除されてきました。生き馬の目を抜く経済社会には、制度から脱落すると、アリ地獄のようにはい上がれない仕組みがあります。「私の愛するきょうだいたち、よく聞きなさい。神は、世の貧しい人を選んで信仰に富ませ、ご自分を愛する者に約束された御国を、受け継ぐ者となさったではありませんか」(ヤコブ2:5)とあるように、初代教会の人々は「すべり台社会」からはみ出た人々です。
昨年は、佐賀県などを襲った記録的大雨が8月末にあり、それから間を置かずに、9月初めには千葉県などを台風15号が襲いました。神戸からボランティアで南房総の千葉県館山市布良(めら)を訪れ、その「傷」の近くに留まることになりました。神戸国際支縁機構ではこれまでに8回、ボランティアで千葉を訪れましたが、第7回のボランティアに加わった5人の内2人は、制度から弾き飛ばされた「路上で生活をしている人々」です。
機構は2014年4月から神戸市役所に隣接する東遊園地で、毎週の炊き出しを行っていますが、それを通じてこうした路上生活者の人たちと親しくなっています。この炊き出しは、東日本大震災のボランティアに参加した人たちによって始められました。家もなく、会社勤務もせず、住民票もなく、生活保護の受給対象にもならない社会から弾き飛ばされた人たちです。
現在、機構のマネージメントをしていただいているある会社経営者は、かつてははばかることなく「路上生活者は怠け者だ。こじきは3日やったらやめられないように、あいつらは役立たずだ」と揶揄(やゆ)されていました。しかし、2018年の西日本豪雨のボランティアで、がれき撤去や泥出し、畳替えなど、重くてつらい、汗びっしょりになる働きを、最後の最後まで忍耐強くしている路上生活者の姿を見て、以前の間違った先入観を「悔い改め」(ギリシア語でメタノイア)られました。
そうした人たちが言われるには、一般のキリスト教会はきらびやかで、敷居が高く、決まりごとが多く、居心地が悪いとのことです。教会が、裕福な人々のエリート意識をくすぐる建築、美術、音楽で装飾されている現実があります。
3. 被災による地域社会の「破れ」
被災地で家族、仕事、友人を失った人々にとり、「防災」に首尾よく対応できれば「平和」なのでしょうか。約200戸あまりの布良には5つの地区があります。最大の神田町地区で区長をされている嶋田政雄さん(70代)は、昨年12月にお会いした際、地区内の住民たちのことでため息をついておられました。行政による罹災証明に疑義がり、住民たちがそれを申し出ても、被災から3カ月たった当時もまだ明確な返事をもらっていなかったのです。
「半壊」と「一部損壊」の基準があいまいなため、憤っておられました。「全壊」は地区内で3軒だそうです。「全壊」と査定されると最大300万円が支給されます。ところが、私たちがお世話になっている小谷登志江さん(70代)の家は2階が飛ばされ、平屋になり全壊ですが、独身であることなどから、支給額は150万円になります。半壊、一部損壊の家屋については59万5千円が支給される予定です。しかし、そのお金は被災者ではなく、屋根などを修復した業者に支払われます。従って、被災者本人は1円も受け取らないことになります。
同じく南房総の鋸南(きょなん)町竜島に住んでいる神田弘志・芳江夫婦も憤っておられました。「自分の家は明らかな大規模半壊なのに、適当に一部損壊と査定された」と。「憤懣(ふんまん)やるかたありません」と、近所の人たちも怒っておられました。さらに私が聞いた限りでは、「見舞金」については、全壊ならば1万円、半壊などは5千円が被災者に支給されたそうです。安倍晋三首相や菅義偉官房長官はメディアを通じて、「激甚(げきじん)災害」に指定したと胸を張っていましたが、屋根、天井、壁などが損傷していても、5千円では修理もできません。泣き寝入りです。
神田町地区だけで、被災後3カ月の間に7人が地区外へ出て行かれました。転居されたのでしょう。長年親しくしていた幼なじみとも、何のあいさつもなく別離の寒風が吹いています。都会にはない典型的な仲間意識の強い住民たちが、自然災害によってばらばらになってしまいそうです。神戸国際支縁機構では、住民たちの要望に応えて、兵庫県の弁護士と電話で話し合ってもらったり、無料で助言を受けてもらったりしました。防災を考慮する際、佐賀や千葉で始まった民間ボランティアの活躍が今後、望まれます。被災から命を救出する働きは、消防士、消防団、自衛隊も無視できませんけれど、実際には地域住民の「支縁」がどこでも基本です。(続く)
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