2011年3月11日に東日本大震災が発生してから、11日で満9年となりました。この9年間、神戸国際支縁機構は毎月、被災地の東北を訪れボランティアを続けてきました。震災9年に当たり、同機構理事長で神戸国際キリスト教会牧師の岩村義雄氏が、「キリスト教と防災」をテーマに、昨年12月14日に関西学院大学で語った講演内容を一部編集して全3回に分けて掲載します。(第1回・第2回)
1. 火山の恐怖と今も途上にある神の創造
物理学者であり、多くの随筆も残した寺田寅彦(1878~1935)の「天災は忘れた頃にやって来る」は有名な名言です。しかし、21世紀に入ってからの地震、津波、火山活動は「死都日本」を特徴付けています。
2018年12月22日、インドネシア中部のジャワ島とスマトラ島の間に位置するクラカタウ火山が噴火し、山体崩壊が起きました。これにより両島の間にあるスンダ海峡で、現地時間同日午後9時27分(日本時間同11時27分)ごろ、津波が発生し、死者・行方不明者は200人を超えました。筆者は2回目のインドネシア・ボランティア(19年1月7~13日)において、インドネシア公共事業省人間居住総局(チプタカリヤ)の長官で、東京大学でも講義された経験があるマリョコ・ハディ博士と2時間にわたり、津波の惨状について、また自然災害について話し合う機会がありました。ハディ博士はその際も、日本の火山噴火を心配しておられました。神戸大学の巽好幸(たつみ・よしゆき)教授は、日本全体を廃墟とさせる大規模な火山噴火が将来必ず起こり、最悪の場合「日本喪失」になると警告されています。火山の噴火は、南海トラフ地震、首都直下型地震、台風などより深刻な災害です。
昨年頻発した自然災害を見ますと、神は創造の働きを終えて休まれてしまったかという印象です。ちょうど時計のぜんまいが巻かれ、時を刻み始めた後に、安息に入られたのでしょうか。「神よ、私のために清い心を造り、私の内に新しく確かな霊を授けてください」(詩編51:12)の「造り」は、ヘブライ語のバラーが用いられており、これは「初めに神は天と地を創造された」(創世記1:1)の「創造された」と同じ言葉です。従って、今も創造の御業は完成へと向かっての途上であります。クレアチオ・エクス・ニヒロ(ラテン語=creatio ex nihilo、「無からの創造」の意)ではなく、新しい天と地への途上にある創造の働きがクレアチオ・セクンダです。
2. 秩序ある設計
自然界は全能の神の御手による業を実感させます。日本では、四季おりおりの動植物、山並み、産出される糧を口にして花鳥風月を愛(め)でます。現代人は、稀少品種の高山植物、山野を舞うチョウ、身体の健康を促進する温泉浴を享受するために、高速道路、山間トンネル、巨大なサービスエリヤを利用します。人間の快適、便利、効率のために容赦なく自然界を従わせてきました。かつて暴虐で満ちていた地を見て、神はノアの洪水を起こされました。洪水直後に与えられた神託では、「肉はその命である血と一緒に食べてはならない」(創世記9:4)と神は命じておられます。つまり「血は命」なので、むやみな動物の殺りくを制限されたのです。
また、資源について企業利益を優先するあまり、足尾鉱毒事件が起こりました。田中正造(1841~1913)も主張しました。「草木ハ人為人造ニあらず。全然神力の働きの此一部ニ顕わる結果なり」「鳥獣虫魚貝山川草樹、凡天地間の動植物ハ、何一トシテ我ニ教へざるなけれバ、是皆我良師なり。アーメン」と。草木などの自然を支配の対象ではなく、教え手とみなしていました。
2018年9月6日、北海道厚真町(あつまちょう)で最大震度7を観測する地震が起こった当時、私はレバノンの首都ベイルートにいました。自然を大切にしてきた「アイヌモシリ」(アイヌ語で「人間の静かなる大地」の意)が、地震によって損なわれることは想像できないことでした。「これで日本もおしまいか」と、悲壮な思いに襲われました。
ベイルートから帰国後、時間をおかずに、アイヌの人々の集落の被害が気になり、9月9日に大阪の伊丹空港から北海道の新千歳空港に向かいました。11日、ブラックアウトの厚真町から日高道を経て約45分車で走りますと、平取町(びらとりちょう)に二風谷(にぶだに)があります。二風谷アイヌ資料館もショーケースが壊れ、資料館1階はガラス片が床いっぱいに散乱していました。1965年の資料には、平取町に466世帯、2313人のアイヌ人が住んでいたと記されています。おそらく北海道の中で最もアイヌ人が多い地域といえるでしょう。オキクルミカムイ(知恵の神)が降臨した聖地だと、カムイユカラ(神揺)で語り継がれています。現在の館長は、萱野(かやの)茂さんの次男・志朗さんです。ユーカラ(ユカラ、叙事詩)やウエペケレ(散文の昔話)を語り伝えています。
「アイヌ」とは、アイヌ語で「人間」を意味します。アイヌの社会では、「アイヌ」という言葉は本当に行いの良い人にだけに用います。アイヌ人は、生活の場であった森や川で狩猟民族として生活する道を閉ざされ、「農耕をせよ」と無理強いされました。戦後、政府が音頭を取って、儲ける目的でスギやヒノキを植林しました。しかし今は、外材の方が安くなって、山は放置されるようになりました。枝打ち、手入れもなされなくなり、里山も消えていきました。防災には、土砂崩れを防ぐ落葉樹などが欠かせません。農耕のため森を大規模に開墾したり、牧畜のため森林を削ったりしてきました。人間の欲望が、実は最大の自然破壊であったことを現代人は知らねばなりません。
3. 脱ダムの必要性
防災のためには、脱ダムに切り替える必要があります。2018年の北海道胆振(いぶり)東部地震により、大規模な土砂崩れが発生し36人が亡くなった厚真町には、厚真ダムという巨大なダムがあります。町ではなく、国土交通省の管理下です。地震に伴い発生した厚真町側流域の何カ所にも及ぶ巨大な地すべり性崩壊は、何が原因かいまだに研究者も分析できていません。ダム建設に伴う大規模工事が地下37キロの震源を誘発したことを否定する学者がいるなら、そのようなうその安全神話について聞きたいものです。同町幌内地区で被災するまで豆腐屋を営んでいた立浪年子さん(80代)から地震の恐怖を聞きました。同地区は同町吉野地区に次ぐ被災の激しい場所で、陸の孤島となっていました。国土交通省は、新たなダム建設でなく、被災した厚真町住民に即刻、復興予算を供与すべきでした。
砂防ダムの決壊、大雨時のダム放流、河川の護岸工事の稚拙さが、自然災害で多くの犠牲者を生む原因だと、神戸国際支縁機構はしばしば指摘してきました。昨年になってようやく、ダム放流の活字が、自然災害をめぐるメディアの社説などに取り上げられるようになったことは感慨深いものがあります。台風19号の最大の犠牲者を出した福島県いわき市についても、いち早くマスコミはダム放流について問題としていました。
コンクリートでできた砂防ダムは、建設のために森林を伐採し、河川工事とセットになっています。川の両岸と川底がコンクリートの三面張りにされています。両岸と川底が3面護岸になっている構図では、水流の速度が増し「鉄砲水」が発生します。一方、コンクリートではなく、石積みの「えん堤」は、えん堤の内側に土砂、岩石がいっぱいたまったあとでも流速を落とすという機能が働きます。そのため土石流がストレートに下流を襲うことを防止できるのです。
1938年の阪神大水害では、その時点の死者は933人に上り、神戸市の人口の72パーセントに相当する69万6千人が罹災したと記録されています。2008年、六甲山を源流とする都賀川(とががわ)で、鉄砲水により計26人が流され、5人が亡くなられました。その時まで都賀川は「防災ふれあい河川」と呼ばれ、住民には安全神話が語られてきました。自然のなす驚異を前に、人間はもっと謙虚にならねばなりません。
<結論>
ボランティアの現場にいると、自然災害は必ずしも天災ではなく、人災と判断できることが、地元の人々の話から伝わってきます。広島県は、西日本豪雨により坂町小屋浦地区で土石流が起きる前から、砂防ダムでせき止められる土砂量約9千立方メートルの6倍超となる約5万5千立方メートルの土砂崩れを想定していました。豪雨による流出量は不明ですが、結局この砂防ダムは決壊し、同地区では死者15人、行方不明1人の被害が出ました。
「防災」を考慮する場合、3つの課題があります。1番目に森林の世話、すなわち里山を復活させ、土石流などを防ぐことです。2番目にダム依存からの脱却です。そして3番目に、今回は詳しくは触れられませんでしたが、食糧安全保障です。「あなたがたの中のある者は、とこしえの廃墟を建て直し、代々に続く礎を据える。あなたは『城壁の破れを直す人』『住めるように道を修復する人』とも呼ばれる」と主題聖句にあるように、「城壁の破れを直す人」の使命は、自然との調和、つまり和解のうちに歩むものです。
ボランティアは、社会福祉協議会が設置するボランティアセンターの下部組織になる必要はありません。監督下に入ると、壊れている日本の実態、原因、修復の思索ができません。むしろ民間ボランティアなどが立ち上がり、被災者を探し求め、長い時間をかけて、叫び声を聴く路程が大切です。壊れた限界集落に留まり、同じ息づかいをして、友達・家族以上の関係になる対話がないと、過疎、高齢化、少子化が押し寄せた惨状からの復旧、復興、再建にはつながらないでしょう。同胞のために、破れ口に向かいましょう。
1995年の阪神・淡路大震災の時、全国から約140万人のボランティアが駆け付けました。しかし、いつしか役所の管理が徹底して行きました。有償ボランティアに変化していきました。「公共性」の意義が薄れ、被災者に寄り添う「対話性」がなくなってしまいました。とりわけ、つぎはぎだらけの「災害救助法」では、役所の対応は後手に回っています。だからこそ、一般の市民が「災害」「防災」「公共」を意識することは、日本全体が同じ市民であることに目覚める千載一遇の機会です。災害大国だからこそ、日本が無縁社会から「共生」「共苦」「苦縁」の社会に変革される契機となる時代を予感しています。(終わり)
◇