1. 自己実現の道
最近、大学同期の仲間から、日本経済新聞に連載された記事をまとめた「私の履歴書」という本が贈られてきた。彼とは同じ法律クラブに所属していたこともあり、卒業後も個人的に親しくしてきた間柄である。同期の中でも特に優秀であり、人柄も誠実、円満で、誰からも好感を持たれていた。官界、政界、財界で用いられ、日本国に大いに貢献してきた。若い頃から歴代の首相にかわいがられて重宝された存在でもある。
非の打ちどころのない彼の人生の歩みが、「私の履歴書」に書かれている。日本社会の超エリートコースを歩みながらも、それを自慢することもなく、淡々と事実のみを記述している点も好感が持てた。
ところがである。「私の履歴書」を読んでみたが、彼に対する個人的な尊敬の念を除いて、なぜかあまり感動がなかった。
彼の人生には最も大切なキリストとの出会いがない。「神の子」として新しく生まれたという体験がなく、永遠の御国への希望もない。結局、この世限りの「自己実現」で終わってしまっているような気がした。
2. 神実現の道
さまざまな罪を犯し、長い年月を刑務所で過ごした人がいる。3度目に逮捕されたとき、警察の留置場で一緒に過ごした被疑者からもらった聖書を読んでいて、「なぜ、あなたは私を迫害するのか!」という声を心で聞いた。それが聖書に書かれているキリストの声であることを悟った彼は、涙とともに自分の犯した数々の罪を心から悔い改め、キリストを信じて救われ、「神の子」として新しく生まれた。
刑期を満了して出所した彼は、受刑者のための福音伝道と出所者たちの社会復帰を支援するNPO法人を立ち上げた。自分の罪の悔い改めとキリストに出会った喜びを、「人生は出会いで決まる」という証しとして書き、それをネットに載せたところ、非常に大きな反響があった。高校、大学の授業や弁護士会を含む各種団体の講演会に招かれ、キリストの証しをするとともに、受刑者に対する刑務所の処遇の改善を訴え続けた。
彼の生きざまは新聞やテレビのマスコミでも紹介され、各方面から表彰を受け、多額の献金も寄せられ、NPO法人の活動が広がっていった。
ところがである。約2年前に、出所する受刑者から頼まれて刑務所に迎えに行った彼は、その人との誤解によるトラブルで突然に警察に逮捕された。通常であればすぐに釈放されるケースであったが、前科があるために起訴されてしまった。裁判で無罪を主張しているにもかかわらず、マスコミやネットにより有罪を前提として事件が報道されたことから、NPO法人への支援が激減し、その活動も大幅に縮小せざるを得ない状況に追い込まれている。
数々の善いことを行ってきたのに、この事件で彼は大きな苦しみを受けることになった。しかし、キリストご自身が無実にもかかわらず十字架刑に処せられ、ヨハネを除く弟子たちの全員が殉教したといわれている。そこには主の御心が行われているのである。
私は彼の無罪を信じているが、判決の有罪、無罪にかかわらず、彼がこの試練を乗り越えて再び立ち上がり、キリストの証人として、これまで以上に大きく用いられていくと期待している。
こうして、彼の「私の履歴書」は目下更新中である。それは神の御心が彼を通して実現していく「神実現」の書であり、それはまた、「キリストの証言書」として人々の心を打ち、永遠の御国への希望を抱かせるものである。
善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。(1ペテロ2:20)
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