ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会(東京都新宿区)で11日、第72回東日本大震災&熊本震災復興支援超教派一致祈祷会が開かれた。東日本大震災から6年目の節目となったこの日は、日本福音同盟(JEA)総主事の品川謙一氏や日本基督教団赤坂教会牧師の姫井雅夫氏など、教派を超えて、教職や信徒など約100人が集まった。
葛葉美奈子さんらによる特別賛美に続き、宮城県から車を走らせて今、到着したばかりというメッセンジャーが登壇した。
キックボクシング第2代全日本ウェルター級チャンピオン「バズーカ岸浪」こと岸浪市夫氏(67)。ただそれは、1970年前後、真空飛びひざ蹴りの「キックの鬼」沢村忠によってキックボクシングが人気を博した頃のことで、現在は保守バプテスト同盟イエスキリスト栗原聖書バプテスト教会(宮城県栗原市)の牧師だ。
「皆さん、おばんでございます」と人懐っこい笑顔を向け、ユーモアあふれる東北なまりの素朴な語り口に皆、吸い込まれるように聞き入った。
岸浪氏は23歳でキックボクサーを引退した後、故郷である栗原市に戻り、自動車販売修理を行いながら開拓伝道を始めた。
2011年3月11日、岸浪氏の住む栗原市も震度7の揺れに見舞われた。栗原市は東北自動車が通る内陸部で、津波被害はなかったため、岸浪氏は震災1週間後には被災者に物資を届ける働きを開始したという。それ以降、岸浪氏のところには国内外からボランティアが大勢訪れ、支援物資が続々と届けられた。
岸浪氏は今も毎日、往復200~300キロメートルもの道を車を走らせて被災地を訪問する。年間走行距離は6、7万キロ。「趣味はドライブと伝道だから、全然たいへんじゃない。教会の働きは、教会員の人に任せて、自分は被災地を巡る働きを続けている」と岸浪氏。
やがて、そこで知り合った人々の中から、信仰を持ちたいという人が何人も現れた。6年に及ぶ伝道の日々、岸浪氏はルカによる福音書10章から多くの励ましを受けてきたという。
「主は・・・御自分が行くつもりのすべての町や村に2人ずつ先に遣わされた」(1節)。そうか、自分が訪問するところも、キリストご自身が「行くつもりのすべての町や村」であり、そこに遣わされて行くのだと思うと勇気が出た。
また、「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼(おおかみ)の群れに小羊を送り込むようなものだ」(3節)。そこには噛み付いてくるだけの「狼さん」もいる。食べ物だけ欲しがって真珠には興味を持たない「豚さん」や、聖なるものを理解しない「犬さん」もいる(マタイ7:6参照)。
しかし、「この家に平和があるように」と言って、クリスチャンであることを旗幟(きし)鮮明にしてボランティアをし続けていると、必ず「平和の子」と出会う。
「その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい」(5~7節)とあるように、アガペーの愛(神の愛)でボランティアの働きをしていると、こちらから「神は愛です」と説教しなくても、「どうしてこんなに良くしてくれるの」と相手から聞いてきてくれる。そして、「夜遅いからうちに泊まって。ご飯を食べていって」と家に上げてくれる。その時に聖書を開いて自然と話ができるのだ。
そのうち「平和の子」が救われると、そこにどんどん「平和の子」が集まってくる。家族が救われて、友達が救われていく。
教会は今、教会堂に人を招いて、人数を増やそうとするが、本当はイエスのように、こちらから相手のところを「訪問」し、常に「開拓伝道」する気持ちを持ち続けないといけないのではないか。見返りを求めない「アガペーの愛」でそれを続けていたら、きっと「平安の子」と出会って、そこから救われる人は次々に起こされてくる。
岸浪氏は、あるおばあさんの話をした。震災後、お嫁さんがイエス様を信じ、岸浪氏のボランティアを家に泊めようとした。しかしおばあさんは、「自分の建てた家に泊めることは許さない」と頑なに拒んだ。それでもお嫁さんは怒られながらも、おばあさんに仕え続けた。やがておばあさんが体が弱くなって、お嫁さんの世話を受けながら老人ホームに入り、洗礼を受けることになった。そこでおばあさんに「どうして信じたの」と聞いたら、あれほど嫌っていたクリスチャンのお嫁さんを指差し、こう言ったという。「この人を見たから信じることにした。自分が苦しい時、この嫁が親身になって助けてくれた。だから信じた。今、最も信頼できるのはこの嫁だ」。そう話すと、岸浪氏は声を詰まらせた。
岸浪氏はこの祈祷会が午後6時に終わると、また車を自分で運転して宮城まで帰るという。会場献金は岸浪氏の働きのためにささげられた。これまでこの祈祷会の献金は500万円以上にもなるという。
メッセージの後、岸浪氏が挙げたさまざまな課題ごとに、会場の席でそれぞれ祈る時を持った。
最後に皆で、1923年の関東大震災で被災した宣教師が作った「遠き国や」(聖歌397番)を賛美した後、淀橋教会主管牧師で本サイト会長の峯野龍弘があいさつに立った。
峯野氏が震災に遭ったのは、東京の御茶ノ水駅に降り立った時。それから1時間40分かけて歩いて大久保にある教会まで戻ったという。そしてすぐに、2009年のプロテスタント宣教150周年記念大会で共同の実行委員長を務めた山北宣久氏と大川従道氏に呼び掛け、震災の翌月からこの祈祷会を始めた。その後も毎月11日に同教会で続けてきたが、今後も「祭壇の上の火は常に絶やさず燃やし続ける」(レビ記6:6)と、継続していくことを力強く宣言した。