「恐れなき信仰の旅路」
アジアキリスト教病院協会(ACHA)の第24回年次総会(11月14~16日)2日目は、朝礼拝で始まった。礼拝では、彰化基督教病院(台湾)でチャプレンを務めている陳清發(チェン・チンファ)牧師が、マタイの福音書8章にある嵐を静められたイエスの物語から、「恐れなき信仰の旅路」と題してメッセージを語った。陳牧師はこれまで数十年にわたり、毎年ACHAの総会に参加している。私も参加するたびに再会を喜び、互いにあいさつする仲になっている。
陳牧師は、信仰の旅路とは、クリスチャンにとって、またキリスト教病院にとって、マラソンのようなものだと表現した。一人一人のクリスチャンの人生とは、信仰の旅路であり、イエスの弟子たちがさまざまな試練に遭ったように、私たちも人生の中で信仰を問われ続ける。その反面、試練を通して私たちの信仰は深められ、キリストをより深く知ることができる。彰化基督教病院もさまざまな試練を通ってきたが、それを乗り越え、国内外のさまざまな認可を受けていく中で、病院として発展し、キリストの光を世に輝かす存在となってきた。
高山族出身である陳牧師の家族は、以前は狩猟生活を営み、日々酒を飲むという生活だったという。しかし、約60年前に山地伝道に来た宣教師により現地の文化が変わり、家族が変わり、生活が変わった。父親にも大きな変化が見られ、家族を大切にするようになり、さらに部族最初の牧師になるまでになった。貧しくても家族の温かさと幸せを感じるようになった。そして陳牧師自身は、勉強嫌いではあったが、神の恵みにより米国の神学校にまで行くように導かれた。陳牧師はこれらの経験を通して、より深く神を知るようになったという。
彰化基督教病院もこれまで多くの試練を通り抜けてきたが、いつの日か世界的に認められた病院になることを夢見ている。私たちは将来のことを知ることはできないが、神が常に私たちと共に歩んでくださるということは知っている。私たちには神に信頼することが求められている。私たち、キリスト教の医療機関が提供する「全人的ケア」によって、人々の魂、体、そして心の健康を目指すとき、これからも試練があるだろう。しかし、主に信頼することによって、それが可能であることに確信を持つべきである。
「急変する世界におけるキリスト教病院」
2日目午前のメインイベントは、「急変する世界におけるキリスト教病院」をテーマにした1つ目のシンポジウムだった。タイ、日本、台湾、韓国の代表者4人による発題が行われ、終末期ケアや植物状態の患者に対する対応、不妊治療や性同一性障害といった昨今の課題についても取り上げられた。
変化を求められる病院、変わってはいけない使命
最初のセッションは、マッケーン高齢者センター(タイ)のワリット・アヌチラチーワ所長が発題した。アヌチラチーワ氏は、急激な変化の例えとして、数世代前のiPhone5でさえ、その情報処理能力がアポロ11号の月着陸誘導コンピューターの1300倍以上に及ぶことを挙げた。その上で、私たちの病院の設備や環境が、30年、50年、あるいは100年前のものではないだろうかと、問いを突き付けた。
特にIT分野での変化は著しく、世界はこれまでにないほど急激に変わっている。その中で病院も変わらなければならない。しかし、私たちが忘れてはならないことは、神が私たちに託した使命、世界を変えるという変わらない目的である。私たちが目指すべきは、人情味ある病院、患者の不満ではなく満足、職員の厳しい労働環境ではなく成長、環境汚染ではなく地域開発である。私たちは、目的を見失わない心を大切にしなければならない。目的を見失わず、確信を持って行動しつつ、新しいことを受け入れる謙遜さを身に着けなければならない。
終末期ケアにおけるACP
2つ目のセッションでは、淀川キリスト教病院緩和医療内科・ホスピスの池永昌之部長が、終末期ケア、特にどのように最期を迎えたいかという本人の意志確認に関わる「アドバンス・ケア・プランニング」(ACP)について語った。
池永氏は、超高齢社会となった日本におけるACPの位置付け、終末期ケアの質向上という目的を説明し、現在の日本における理解の程度とこれからの課題を語った。終末期ケアについて話し合ったことのない人の割合は、一般人では50パーセント、医療者でも40パーセントとまだ高率であり、課題となっている。淀川キリスト教病院では医療者に対する教育プログラムを策定しており、それによる終末期ケアへの意識向上を見ることができる。
馬偕記念病院(台湾)チャプレンの陳景松(チェン・ジンソン)氏から、淀川キリスト教病院の指導を受けたACPが台湾で法制化されたというコメントがあり、セッション後に詳しく聞いた。陳氏によると、台湾ではアジア初の「患者自主権利法」が今年1月に施行された。同法により、医療の事前指示書(アドバンス・ディレクティブ=AD)に関する相談(アドバンス・ケア・プランニング=ACP)を通じて予めADを作成し、末期患者など対象になった場合、延命治療を受けるかどうかを自己決定できることになったという。一方、日本では最近、厚生労働省の啓発ポスターが物議を醸し配布が中止になったこともあり、ACPに関してさらなる理解を深める必要があるように感じられた。
私自身としては、ACPは、死の問題を解決するイエス・キリストの福音があって本当に意味があると考えている。私が理事長を務めさせていただいている沖縄のオリブ山病院では、1983年にホスピスケアを開始して以来、その信仰を持ってこれまで終末期ケアを実践してきた。しかし今や「死は人にとって自然なこと、死を受け入れる」ということが言われ、間違った「死」の概念が押し付けられ、まったく無責任な終末期ケアになっていると思える。罪の結果の死、しかしイエス・キリストにある罪と死の解決、そして永遠の命。それを伝え、実践するのがキリスト教主義に基づく全人医療であり、ACPの土台であると考えている。
真の神様に対して自分の罪を認め(告白して)神様に赦(ゆる)してしてもらい、神様を信じること。これは、究極的には、魂の救いである。永遠の世界の問題である。治療も、そこに向かって行けば良いのです。1983年にホスピスを始めましたが、死を目前にした人たちの死の問題の解決にはキリスト教しかない、ホスピスはキリスト教を標榜する病院にとっての使命だと考えたからです。(「社会医療法人葦の会・オリブ山病院ホスピス開設の意義」創設者・田頭政佐)
植物状態の患者への対応、不妊治療、性同一性障害
3つ目のセッションでは、羅東聖母病院(台湾)の馬漢光(マー・ハンクウォン)院長が自院の歴史からその始まりを語った。特にカミロ修道会による医療宣教の働きとして、1952年に台湾とタイで始まったことに言及し、ホスト国のタイとの関連性を語った。カミロ修道会は「病人を癒やし、福音を語れ」という理念を掲げ、全人医療を実践しており、病院の運営、山地移動診療、無料診療を行っている。また高齢者医療施設では、収支バランスが取れたところで献金の受け付けを終了。そして今は、「これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(マタイ25:40)の御言葉の通り、さらに必要のある事業として、知的障がい者のための「聖カミロセンター」設置を計画している。そこでも問われるのが、収支のバランスを取るマネジメント力である。そのための力量が問われ、より良く仕えるための良い管理能力が問われている。
馬氏はさらに、この激変する社会おける諸課題についても提議し、前述の患者自主権利法などについて語った。台湾ではアジアで初めて同法が施行されたが、課題として残っているのが、持続的植物状態にある患者に対して、どのような対応が正しいのかということである。人工的栄養水分補給で3~4年生きる患者は、それを中止すると14日以内に息を引き取ることになる。そこで、生命維持のための過剰な医療は止めるべきか、あるいは人工的栄養水分補給は基本的人権と考え継続するべきか、という議論がある。
また、同性婚に関しても対立する意見がある。馬氏によると、台湾カトリック司教協議会では、聖書に基づき同性婚の合法化に反対することを決議している。愛と生殖は切り離せないものと考えているのだ。また不妊治療においては、子宮と卵管の健康を考え、体外受精ではなく体内受精による治療を行う、あるいは養子縁組ができる。人工生殖として考えられるのは体内受精までとし、一方、試験管内の受精卵についてもすべていのちとして考えるべきであり、受精卵の選択や、その培養の中断には賛成しないと表明しているという。
社会が激変する中で、法律と信仰の間に対立がたびたび起こる。台湾においては、キリスト教会は信仰を堅持し、影響力のある人を通して人々を説得しようと啓蒙している。馬氏は、困難に直面するとき、私たちは祈り続け、問題が解決するまで対話しなければならないと述べ、最期には台湾のために祈ってほしいと参加者に求めた。
これらの課題について、日本のキリスト教病院と医療者も多くを学ばなければならないと強く思わされた。日本における不妊治療と性同一性障害に対するクリスチャンの対応はどうすべきであろうか。精神科を有するオリブ山病院においても、性同一性障害に対する対応が問われ始めている。オリブ山病院は、「キリスト教精神に基づき、科学的でかつ適正な医療、看護、介護、福祉を行う」という目的を持って法人化されている。客観的・科学的・医学的な根拠に基づく対応を常に求め、また霊的・倫理的な根拠となる聖書本来の教え、人の都合のよい読み込みではない、神様ご自身の愛に基づく対応を求めることを目指す中で、台湾からの発表は大きな示唆と励ましを受けるものとなった。
「人が一番、イエスが唯一」
最後のセッションでは、イエス病院(韓国)のチョ・ジンヌン副院長が、「人が一番、イエスが唯一」という題で、韓国全州市に1898年に開設され、多くの社会貢献をしてきた歴史あるイエス病院が、21世紀の激変する社会にどう応えているかを語った。まず患者を第一にし、医療、礼拝、伝道を行っている働きが紹介された。同病院では、毎朝の礼拝、医療宣教訓練プログラム、海外短期訪問、賛美集会などを行っている。一方、最近では、韓国で急増する外国人への対応が一つの課題となっているという。外国人労働者、留学生、脱北者などで、世界はより狭くなっている。同病院では1979年以来、医療宣教師を送り、イエメンにおいては内視鏡訓練を行っている。この医療宣教訓練プログラムには、同病院と姉妹提携をしているオリブ山病院における研修医受け入れも含まれている。
4人の発題内容から、「急変する世界におけるキリスト教病院」が問われている課題は、多種多様であり、対応も複雑であることが垣間見えた。同時にその解決は、私たちが神に信頼し、人々に愛をもって仕えていくならば、必ず与えられることも各国の事例から見ることができ、これからもそうであると確信することができた。まさに朝礼拝において語られた御言葉の通りである。
イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」 イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」 それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。人々は驚いてこう言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」(マタイ8:23~27)
次期総会は台湾で開催
シンポジウム終了後には、タイの代表者から、来年の総会開催国である台湾の代表者に聖書を手渡す「ハンドオーバーセレモニー(引き継ぎ式)」が行われた。次期総会は、来年11月5日(木)〜7日(土)に台湾の馬偕記念病院がホスト役となり、その発祥の地である新北市淡水で、「継承と革新:大宣教命令とテクノロジーの対話」をテーマに開催される。(続く)
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