X教の品々を断捨離し、心機一転、晴れてハレルヤ!イエス様と共に“クリスチャン”として生きる道を歩み始めたとき、マルセ先生から「クリスチャンは教会とつながり、その覆いの下で守られ歩むことが大切」と教えられました。群れ(教会)から迷い出た羊(神の子)は、狼(おおかみ、悪魔)の格好の獲物になってしまうからです。しかし、マルセ先生の教会は茅ヶ崎市にあり、当時住んでいた家から大変遠かったので、調布にあるS先生の教会につなげていただきました。
いよいよ本格的なクリスチャン生活が始まりました。日曜日は礼拝に行き、聖書の学び会にも参加し、「洗礼」を考え始めた頃、S先生から「(子宮筋腫のことで)病院に行っていますか?」と尋ねられました。「医療不信になって約3年間、怖くて行っていません」と伝えると、「現状を知るためにも、診ていただきましょう。恐れないで。イエス様が共におられます。きっと、愛ある病院、医師と出会わせてくださるから」と、お祈りをしてくださいました。
「“医学”も、神様が下さった“知恵”の一つ。必要に応じてうまく付き合うのも大切だ」と思いました。私以上に幾つものつらい病を経験し、乗り越えてこられたマルセ先生からも「愛のある、腕の良い先生と出会え、手術の際はイエス様ご自身が執刀医の手を取り行ってくださるから大丈夫!」と宣言して祈っていただきました。先生方の力強い祈りと励ましを得て、病院に行く決心をしました。
ネットや友人たちからの情報を得ながら、良い病院を探しました。すると、「腹腔鏡で筋腫の手術を行う名医」を見つけたのです。都内にある、大きな個人病院の副院長K先生で、テレビや雑誌でも取り上げられるほどの有名な方でした。
早速予約をして出向きました。残念ながら診察はK先生ではありませんでしたが、代診してくださったN先生はとても柔和な優しい方で、リラックスして受診することができました。医者によっては、「こんなに大きくなるまでなぜ来なかった?!」と怒鳴る人もいると聞いていたので、診察室に入るまで緊張していましたが、私の状態を一切責めず、それどころか「病院に来られなかった理由」を、一つ一つ優しく頷きながら気長に聞いてくださいました。
途中で涙が溢れ、言葉に詰まったときも、「ゆっくりでいいですよ」と落ち着くまで待ってくださったのです。「なんという違いだ!X信仰時代に出会った医師たちには、身も心もズタズタに傷付けられてばかりだったのに・・・。本当に、イエス様がそばにいて見守ってくださっている!」。神様の好意が、N先生を通して流れているのを感じました。「ハレルヤ!主よ感謝します!!」。心の中で叫びました。
しかし、MRI検査の結果、「腫瘍が大き過ぎて、腹腔鏡手術は不可」との診断が下ってしまい、開腹手術ができて、総合的にもケアできる、もっと大きな病院に行くことを勧められました。そこには提携先病院が無かったため、紹介状のみを書いていただき、再び病院を探すことになりました。
時間がかかるか?と思われましたが、祈りつつ探すとすぐに見つかりました。民間の総合病院で、産婦人科の評判も良い、女性医師の多い病院でした。診察前の問診をしてくださった女医先生もとても優しく、ここでもまた話しているうちに過去を思い出し、泣き出してしまった私を気遣い、速やかにカーテンを引いて隠してくださり、「大変な思いをされて来たんですね。つらかったこと、よく話してくださいました。ありがとうございます」と、労わり慰めてくださいました。
ですから、短い時間ながらも信頼関係が生まれ、その後の診察台に上がる恐怖もほとんどありませんでした。ここでも愛ある対応を受けた私は、「イエス様とつながっていれば大丈夫だ!」という安心感で満たされていきました。
しかし、診断結果はここでも「手術不可」・・・。「これだけ大きい腫瘍を摘出した場合、それまで滞っていた血液やリンパ液が一気に流れ出すので、万が一、足に血栓があったら、それが肺や心臓に送られてしまい、命の危険が伴う。さらに、“悪性”の可能性も考えると、あらゆるケースに対応できる、設備のしっかり整った“大学病院”に行った方が良い」ということでした。
あらためて、自分が相当大変な状態なのだ!と思い知らされました。大学病院には苦い経験があるので一瞬心が引きましたが、それでも「今の私はイエス様と一緒だから大丈夫!!」という安心感が、すぐに恐れを締め出しました。神様は、私の中にあった「医療への大きな恐れ」を、少しずつ抜き去ってくださいました。
愛のあるお医者さんたちに出会わせ、段階を踏ませていく中で、私の心を「恐れ」から「平安」へと変えていってくださったのです。「キリストに付く者と、そうでない者との違い」・・・それを、とても明確な形で体験できたことは、伝道に大いに役立つ「証し」となっています。「すべてのことを働かせて益としてくださる」(ローマ8:28)主に感謝致します。
そして、その紹介状を手に、都内にある大学病院に・・・。2013年初春の頃でした。
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