天の父の大きな愛に触れて信仰告白したものの、「本心で言ったのではないかも」という不安がよぎりました。が、「信仰告白は、神様が働かないとできない。また、聖書に『人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われる』(ローマ10:10)と書いてあるよ」と、みことばを用いてマルセ先生が教えてくださり、その不安は、いったんは払拭されました。
しかし、22年間に及ぶ洗脳はさすがに強く根深く、「イエス様を信じて出て行くか」VS「X神を信じて留まるか」・・・の激しい戦いが私の心の中で始まりました。そして、「Xに行けなくなったら、死ぬかもしれない」という“恐れ”が、再び私をXへ引き戻しました。
信仰告白したことを“負い目”に感じていた私は、「すべてを見透かされているのでは?私を見る目がきつい。今語ったことは、私に対してではないか?私を責めているのかもしれない」と、X教祖Y氏の表情や発言、その一つ一つにおびえました。そして、再び波動を受けてしまいました。しかし、波動を受けながらも、ずっと「イエス様の血潮」に思いを巡らす自分もいました。
そんな時、マルセ先生から小包が届きました。開くと、中から「新約聖書」が!!「聖書は危険!」と刷り込まれていた私は、思わず恐怖で落としてしまうほど驚きました。
あまり触れないように、そっと拾い上げると、一番奥の部屋の押し入れの、奥の奥へとしまい込みました。聖書を恐れていたのは私ではなく、私を縛っていた「悪魔・悪霊たち」だったのでしょう。
そうこうしていると、突然、家の電話が鳴り、それは「届いた?」とマルセ先生からの確認コールでした!「あ、はい・・・」と狼狽(ろうばい)しつつ答えると、「じゃあ、〇〇〇の〇章〇節、開けてみて」と、「いきなり!ステーキ」ならぬ「いきなり!バイブルスタディー」がスタート!イエス様が、マルセ先生を通して「キリストの道」を教え始めたのです。
そのパワフルな伝道に圧倒され、慌てて仕舞い込んだ聖書を取り出し、恐怖と戦いながらページをめくり、「読んでみて」との指示に一瞬ためらうも、相手は芸人時代の先輩、しかも、何とか私を助けようとの熱い思いが伝わってきたので、こっちも必死で開いたページを指先だけで押さえつつ、“命がけ”(^^;)で読み上げると、その聖句についての解説を受ける・・・という光景が繰り返されました。
マルセ先生ご自身、「カルト」や「ニューエイジ」などの洗脳によって霊的攻撃を受け、命の危険にも晒され、数々の苦難を経験された方でしたから、私の状態をとてもよく分かってくださり、いかに私の信仰が間違ったものか・・・を、聖書を通して根気よく、何度も何度も丁寧に説いてくださいました。
すると、私の根底にあった「偽りの土台」が、徐々に揺らぎ始めました。とはいうものの、Xをきっぱりやめることはできず、迷いながらも行ってしまう・・・という、まさに、“二心状態”が続きました。
が、そんな状況下、Xで特に親しかった数名の人に、まだよく理解もしていないのに「イエス様の血潮の偉大さ」を語ったことがありました。彼女たちは、不思議と否定も非難もせず聞いていました。世間話の一つとして聞いていただけだったかもしれません。が、彼女たちに「イエス様の救いの種が、確かに植え込まれた!」と信じます。
しばらくたった日曜日。マルセ先生と一緒に行った教会で、海外から来日された素晴らしいミニスターによる“特別礼拝”がある・・・と招待を受け、先生にご相談したところ、「行ってみるといいよ」と勧めていただいたので、初めて「礼拝」に参加することにしました。「これを機会に、自分の進むべき“道”を選択できるかもしれない!」と思ったからです。
そこで私は、今まで抱いていたイメージとまったく違う「教会」を体験することとなるのです!!
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