ロンドン出発
英国でのホスピス研修、病院見学、観光を終えて、5月3日にロンドンを出発し、最後の目的地、米国へ出発しました。英国から米国へ出発するときの思いは、まるで19世紀の新天地を目指しての旅をするかのような気持ちでした。というのも、世界最初の近代ホスピスといわれる英国のセントクリストファーホスピスでの研修を終えて、これまでの私自身の歩みを振り返り、一区切りついたところで、米国での名誉学位授与式への出席と、これからの自分自身の新しい歩みへの一歩を覚える旅だったからです。まさにこれまでの伝統のある英国、そして、その伝統を背負いつつも、開拓者魂を持って展開された米国文化。それが現代社会の変化を起こす起爆剤になったような近代史。大げさに思えるかもしれませんが、そんな流れに自分自身のこれまでの歩みを重ねて、私にも注がれている神様の恵みを感謝しました。
英国から米国への旅も、沖縄から中国へ向かったときと同じ、昔懐かしいジャンボジェットでした。日本以外ではまだまだ現役なのです。この旅のテーマとなった、オリブ山病院60周年記念と私自身の還暦を覚えてのテーマ「温故知新~創立の理念を胸に、踏み出そう新たな一歩~」そのものでした。
ニューヨーク到着
米国には、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港に到着しました。この空港には、インディアナ州サウスベンドへの乗り換え便はなく、ニューアーク・リバティー国際空港へ。電車では乗り継ぎ時間が十分ではなく、また直行バスもなく(途中乗り換え必須)、計算すると間に合わないので、不便と思いつつ、タクシーを利用することにしました。しかし案内板を見ると、タクシーの料金は100ドル以上。でも背に腹は代えられないので、タクシー乗り場へ。すでにタクシーは列をなして待っており、すぐに乗車しました。
そこは「移民の国」とばかり、タクシー運転手自身も移民の方でした。ところが何と、通常の経路であるはずにもかかわらず、行き方が分からない様子。途中、運転手のスマホのグーグルマップに空港名を入れてあげたり、私自身も自分のスマホで確認したりしながら目的地に向かいました。感謝なことに迷わずに空港に到着できましたが、これまでの長旅で一番気を遣い、不安になった区間でした。
しかし皆たくましく、新天地で生きようとしている姿を目の当たりにしました。私は30年前から11年間、米国に住んでいましたが、その時と変わらず、移民の活躍する国だとあらためて実感しました。しかし、同時に移民による問題を抱える国でもあります。昨今、難民問題に絡み、いまさらながら違法移民の問題が注目されていますが、それはずっと問われてきた問題です。センセーショナルなメディアの情報だけに踊らされていては、十分には理解できない根深い問題なのです。
ニューアーク・リバティー国際空港から国内線でサウスベンドへ出発し、到着したのは深夜12時を回った頃でした。地方の小さな空港は閑散とし、地域に住む人は家族の迎えで一人、また一人と空港を離れていきますが、私は、母校の用意してくれた宿泊ホテルにシャトルバスをお願いしようと電話しても通じず、再び困った状況に陥りました。
空港には1台のタクシーも止まっておらず、警備員にお願いしてもタクシーを呼べず、途方に暮れてしまいました。しかし、そこに乗ってきた便のクルーを迎えにタクシーが到着。すかさずその運転手に他のタクシーを呼んでくれないかとお願いすると、友人の運転手を呼ぶとのうれしい返事。待つこと半時間。その間に、私と同じような状況の人とも出会い、やっと来たタクシーに相乗り。相乗りした人を先に相手のホテルに送ってから、自分の泊まるホテルに到着したときには、もう午前2時になっていました。
しかし、フロントは米国らしい大きなチョコレートチップクッキーで歓迎してくれました。部屋に入ると、テーブルには母校からのウェルカムカードとギフトが。名誉学位授与式のための名札とラペルピン、そして米国お決まりの校章の入ったマグカップが置かれていました。
これまでの旅路でもらってきたラペルピンと並べてみると、あっという間の旅でも、これまでの人生を振り返るような思い出があふれ、感謝でいっぱいになりました。
振り返ってみると、中国への医療宣教は1980年代の父の時代からの働きでした。一度は中国でのホスピス建設も夢見た父でしたがかなわず、それが今、中国の貴港市人民病院との連携という形で、医療宣教につながっていることを覚えると、神様の計画の奇(くす)しさに驚かされます。
また、日本で最も早い時期にホスピスを始めたオリブ山病院の次世代育成を目的として行った英国のセントクリストファーホスピスでの研修は、オリブ山病院が取り組んできたホスピスの原点とこれからの課題を覚えるもので、身が引き締まる思いでした。
さらに、私の今の働きの土台となる研究の機会を与え、現在の「全人医療の啓蒙」という働きを評価して名誉学位を授与してくれた神学大学院基金。これまで注がれた神様の恵みをしっかりと心に刻むように示されているようでした。
名誉学位授与
名誉学位授与の理由となった「全人医療の啓蒙」は、私個人というよりも、オリブ山病院全体の働きといえます。そのため、7月14日に開催された創立60周年記念講演会では、この名誉博士号は、私個人にではなく、オリブ山病院に授与されたものであると紹介しました。
神学大学院基金の現在の学長は女性で、授与式当日の卒業講演は黒人のシスターでした。また学生の半数以上は白人以外の有色人種で、さらに女性も多く、現代の多様性を感じさせるものでした。
さかのぼると、神学大学院基金は第2バチカン公会議(1962〜65年)に端を発する、カトリックとプロテスタントのエキュメニカルな対話から始まっています。さらに、現在ではキリスト教のみならず、イスラム教をはじめとする他宗教との共同研究も行う神学校の合同機関となっています。また、英オックスフォード大学のクライストチャーチ(英国国教会)、イタリアの「一致推進センター(Centro Pro Unione)」(カトリック)との連携で単位取得ができるようになっています。
このようなエキュメニカルな研究には異論も多くあります。特に私の属する福音派の交わりでは大きな抵抗があり、私自身どう関わるか、常に自分自身が問われています。以前、神学大学院基金で客員教授の職を依頼されたときも、他宗教との合同であるということを認めるかどうかの確認がありました。その時は、それに対し「私自身は明確なキリスト教信仰を持っており、客観的な事実に基づいた上での他宗教との対話にはやぶさかではない」と考え返答し、私の立場を認めてもらえることで籍を置くことにしました。
次回はこの課題を掘り下げ、神学大学院基金の成り立ちから、エキュメニカル運動、授与式当日の晩に近くの劇場で観たハリウッドのミュージカル「キンキーブーツ」(男性が女性の姿で行うパフォーマンスをするドラァグクイーンの話)の鑑賞を含め、現代文化の多様性と聖書の教えを洞察し、このシリーズのまとめとしたいと思います。(続く)
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