中国から英国へ
中国での講演を終え、4月29日晩に中国を出発し、香港経由で英国に向かいました。合計14時間のフライトで、沖縄から中国までの快適だったビジネスクラスとは異なり、ロンドンへのフライトはエコノミークラスで満席。しかも、最後尾のど真ん中の席。しかし、中国で受けた恵みに感謝し、これから行く英国での祝福を期待しつつ、平安の内に過ごすことができました。
翌日早朝、到着したロンドンのヒースロー空港に降り立つと、気温30度の高温多湿な中国から一変、気温7度の小雨の降るロンドンらしい天候でした。その中を電車と徒歩で目的地へ向かいました。
さて、英国訪問の目的は、世界最初の近代ホスピスであるセントクリストファーホスピスでの研修です。今回、オリブ山病院からは、病院長、法人評議員、緩和ケア医師、緩和ケア病棟師長、そして私の5人が参加しました。私以外はすでに日本から直接英国入りをしており、セントクリストファーホスピスに到着すると、笑顔の歓迎を受けました。ほっと一息したのもつかの間、すぐに私たちのために準備してくれた1日研修セミナーが始まりました。
伝統が実を結ぶ世界最初の近代ホスピス
セミナーは講義、院内見学、質疑応答で構成され、内容も多岐にわたる充実したものでした。講義は次の5つのテーマで行われ、それぞれの専門職教育担当者が丁寧に説明をし、質問に答えてくださいました。
「ホスピス緩和ケアの歴史と原則」
「現在と未来への挑戦とビジョン」
「セントクリストファーホスピスにおけるスピリチュアルケア」
「入院患者と在宅ケアとの関係」
「セントクリストファーホスピスにおけるソーシャルワーク」
その中でも特に印象に残ったのが、緩和ケアが在宅中心で行われていることでした。また、地域に対する終末期医療の啓蒙活動においてもさまざまな工夫と努力をしており、「たとえ終末期にあっても、生きている限り人生そのものを支える」という前向きな考え方にも非常に学ばされました。
医療を在宅中心で行う考え方は、今の日本の医療全体の方向性でもあり、オリブ山病院でも常に問われている課題です。高齢化、医療費の増大、在宅を希望する患者の増加、在宅医療・看護・介護の課題をどうするかが、今の日本の医療における最重要課題です。その点においても本研修は、高齢期の在宅ケアや在宅医療について多くの示唆を受ける良い機会となりました。
以下、同行メンバーによる取材記事です。
セントクリストファーホスピスでは、ケアを行っているホスピス患者2500人(年間)のうち、入院を経験するのは700人(40床、平均滞在日数13日)だけで、支援を受けながら在宅で過ごし、自宅で看取られるのが主流です。その間、病院職員と各専門家、地域のボランティア人員が、チームを組んで患者・家族のケアに当たっているのです。
イギリスでも高齢化によりホスピスを必要とする人口が増えている問題は日本と同じで、より多くの地域のボランティア人員が必要だそうですが、すでにたくさんのボランティアグループができ、そのグループ間でも盛んに交流が行われ、誰かの具合が悪くなるとグループ間で助け合うなどの動きも出てきているそうです。
また、あるオンラインの支援サイトに自分の郵便番号を入力すると、近隣で支援を求めている人の情報が表示され、その人のために一食多く食事を作って届けるなどのボランティアが盛んに行われており、これらのボランテイア欲のある人と助けを必要としている患者・家族のマッチングをセントクリストファーホスピスが担っているのだそうです。
置かれた状況こそ違いますが、こうした、ホスピスや在宅ケアの現場でボランティアをしたい人と患者の条件をヒアリングし、マッチングするという役割を果たすことこそ、キリスト教的な奉仕の精神に基づく病院が目指す未来の姿なのかもしれません。
オリブ山病院の終末期医療における精神的ケアは、少なくとも日本国内では群を抜いて進んでいますが、それでも実際の現場では、次世代職員の育成や世代交代など、課題があることと思います。
イギリスの病院のように、どんなに先進的であっても、やはり、それぞれのステージで生じる問題を抱え、それに立ち向かっているのです。(法人評議員・上村雅代)
全人医療とその土台である「教育と研究」
セントクリストファーホスピスとそれに続く近代ホスピスを特徴付けるものは、「全人医療」あるいは「全人的ケア」といえます。すなわち、人は体と心と魂を持っている全人であるが故に、医療も、体のみならず、心も魂もケアし癒やすものでなければならないという考えです。人の身体的(肉体的)、精神的、社会的、そして霊的な痛みに応えてこそ、人は本当にケアされ、癒やされるという考えです。
それを実践しているのが、この流れをくむ世界中のホスピス、そして日本のキリスト教主義を掲げる病院――淀川キリスト教病院、聖隷三方原病院、オリブ山病院――などによって始められた緩和ケア病棟です。
この「全人医療」という考えが単なるお題目にならないために、セントクリストファーホスピスの創設者シシリー・ソンダース(1918〜2005)は、「教育と研究」が必要であると語っていたということです。すなわち「教育と研究」が土台になってこそ、その実践が継続され、充実していくというのです(下図)。
いみじくも、研修翌日に訪ねたロンドンの急性期病院、キングスカレッジホスピタル(ロンドン大学群キングスカレッジ医学部大学病院)のキャンパス内に、シシリー・ソンダース緩和ケア政策リハビリ研究所があるのを見て、ホスピスの全人医療の土台となっている「教育と研究」が脈々と続いているのを実感することができました。
スピリチュアルケアとホスピス
全人医療で忘れてならないのが、その重要な要素として含まれているスピリチュアルケアです。すなわち、オリブ山病院の理念に掲げられている「肉体的、精神的、社会的、さらに霊的ないやしを含めた全人医療」の「霊的ないやし」の実践です。
このスピリチュアルケアの理解をどうするかが、今問われているのです。日本においては、その土台であるキリスト教に対する理解がないために、どう実践していいのか分からないどころか、スピリチュアルケアが一体何であるかも理解されていない状況です。そのことを実際に見て学ぶためにも今回の研修は有益でした。
日本において、全人医療、そしてスピリチュアルケアが理解されてないという問題は、近代医療の移入において、その土台であったキリスト教世界観が切り離された、ということにさかのぼることができるといえるでしょう。
今でも緩和ケアは医療の敗北と考える医療者がいます。しかし欧米では、キリスト教の影響の下で、人は全人であるが故に、全人的なケアが必要であるという考えは、理解されやすく実践もされています。
病院でスピリチュアルケアを担当する専門的なチャプレンがいるのは、当然のこととして考えられています。キリスト教主義の病院だけでなく、公立病院にもチャプレンが配置されているのはまれなことではありません。
このような基本的な人間観の教育が緩和ケアの実践には必要です。特に日本においては、人が何であるか、医療とは何であるか、死とは何であるか、を考える土台を検証する必要があります。キリスト教世界観に基づく緩和ケアは、決して医療の敗北ではなく、治療の放棄でもないのです。(続く)
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