セントクリストファーの名前の由来
セントクリストファーというホスピスの名称の由来を研修中に聞かされたとき、創設者シシリー・ソンダースの信仰的決意を感じることができました。
「セントクリストファー」すなわち「聖クリストファー」は伝説の人物ですが、その名の原意はギリシア語の「キリストを背負う者」です。3世紀に殉教したといわれ、聖人とされています。
彼はある日、小さな男の子に頼まれ、その子を背負って川を渡るうちに、とても重くなっていくのを感じました。やっと対岸に着いたとき、その男の子がイエス・キリストであったというのです。イエスが全世界の人々の重荷と罪を背負っていたため、重かったのです。そこで「キリストを背負う者」という意味の「クリストフォロス」(クリストファー)と名乗るように命じられたといわれています。
まさに、すべての人の重荷を負ったイエス・キリストのように、このホスピスも人々の重荷を負っていきたいという思いが、その名に表されています。
創設者シシリー・ソンダース
シシリー・ソンダース(1918〜2005)は、末期の患者が身体的にも精神的にも、そして霊的にも苦しみながら死んでいくのを見て、ホスピスの働きに加わりました。
彼女は「死者の顔を変えた近代ホスピスの創始者」とまでいわれていますが、彼女自身は、“I did not found hospice; hospice found me.”(私がホスピスを創ったのではありません。ホスピスが私を見いだしてくれたのです)と語っています(found が found〔創る〕と find〔見いだす〕の過去型で同じスペルの掛詞)。ホスピスは彼女自身の人生の苦難と信仰の遍歴を通してたどり着いた場所だったのです。
まず、彼女は看護師を天職と感じ、大学を退学して看護師になるも、腰痛で仕事が続けられなくなりました。それでも患者と関わりたいという思いから、ソーシャルワーカーの仕事に就きます。その中で、ポーランド出身のユダヤ人末期がん患者、デイビッド・タスマに出会います。彼との語らいの中から、終末期における安らぎの切実性を知り、タスマから「私はあなたの家の窓となります」という遺言と500ポンドの遺産を受けました。それが後のセントクリストファーホスピスの礎石となったのです。
その後、33歳で医学部に入学。38歳で医師免許を取得し、就職したセントジョセフホスピスで、痛みのコントロールに心血を注ぎます。その中でも自分のホスピスを建てたいという夢を持ち続けました。
そしてある日、聖書を読んでいたとき、「準備をし、待つ年月は終わった。夢を実現するために、具体的に何かを始めなければならない時が来ている」という召しを受けたのです。彼女は「ついにその時が来た。今こそ前進するべきだ」と決意し、経済的、信仰的な困難に立ち向かいつつ、1967年、49歳の時にセントクリストファーホスピスを開設しました。
すべての人が持つ「Innate Spirituality(生来の霊性)」
セントクリストファーホスピスの研修では、ホスピスの根底に流れているスピリチュアルケアについて、まずは宗教宗派的なケアではなく、すべての人が持つ「Innate Spirituality(生来の霊性)」のケアが必要である、というチャプレンの話が印象的でした。キリスト教主義に基づく全人医療を、信仰の違いや有無にかかわらず提供する意味を考えました。
セントクリストファーホスピスはプロテスタントの教えに基づく病院ですが、現在このホスピスには、プロテスタントとカトリックの両方のチャプレンがいます(この場合、英国国教会はプロテスタントに含まれます)。それに加えて、移民を中心とする他宗教の信仰者へのスピリチュアルケアに関しても、まずは Innate Spirituality における必要に応じるという態度で臨んでいます。
スピリチュアルケアの実践
ソンダースの信仰は、福音派の熱心さと英国国教会の伝統的なキリスト教信仰に育まれました。彼女自身、明確なキリスト教信仰を持っていました。しかし、キリスト教信仰を患者に押し付けることなく、自らが神の召命に応えることに重きを置いたといわれています。
これは、デイビッド・タスマとの出会いと看取りから学んだことだといわれています。ユダヤ人で不可知論者であった彼の壮絶な絶望感を目の当たりにして、その全人的痛みからどのように解放され、平安を持って死を迎えるか、ソンダース自身が苦悩しました。その中で、体と心と魂の痛み全体がトータルにケアされることによって初めて、患者は死を受け入れることができ、その過程そのものに積極的な意味を見いだすことができると確信したのです。そのような背景を基に、現在のセントクリストファーホスピスにおけるスピリチュアルケアが実践されています。
以下、同行メンバーによる取材記事です。
イギリスでは信教の自由はありますが、公式宗教は英国国教会で、キリスト教に基づく病院が多くあり、セントクリストファーホスピスもその一つです。
チャプレンの常駐は当たり前で、セントクリストファーホスピスでは、プロテスタントとカトリックそれぞれに属するチャプレンが日々、死と向き合う患者やその家族の精神的サポートをしているといいます。
特徴的なのは、患者さんがどんな信仰を持っているかにかかわらず、信仰を超えて深く生死にまつわる不安や苦しみと向かい合うという姿勢です。こうした姿勢は沖縄土着の宗教、ユタによる教えを拠り所にしている患者・家族が一定数いるオリブ山病院においても取り入れることが有効なのではないかと思いました。
また、セントクリストファーホスピスでは、全人医療を機能させるためにはその土台として「教育と研究」が不可欠であると考えており、全人的なアプローチを、根拠に基づいて行うことを重視していました。
中でも霊的癒やしに対し、経験則や個人的心情だけに頼るのではなく、科学的な研究に基づいて行うという視点が、私にはことさら新しく思えました。
実は、医療の場で「祈る」「経典を読む」「信仰する」というような宗教的アプローチが、患者・家族の心の平穏とどのように結び付いているかという関連性を調査し、その結果を病院で霊的アプローチを行う上での根拠とする研究こそ、田頭真一理事長が長年、アメリカやオックスフォード(イギリス)で研究し、オリブ山病院に持ち帰って実践していること、そのものです。(法人評議員・上村雅代)
今回の研修では加えて、世俗的ヒューマニズムの影響と圧力を見聞きすることがありました。研修コーディネーターのジェニー・テイラー氏は、これまで長年勤め上げ、引退後ボランティアとして働いています。彼女が寂しそうに語っていたあることが印象的でした。
最近、他宗教への「配慮」からだと思いますが、セントクリストファーのロゴマークがキリスト教的だとして便箋から外されてしまったそうです。また、巡礼者の部屋に飾られていた、ソンダースの夫で画家のマリアン・ボフシュ=シシュコが描き残したイエス・キリストの三部作が、ソンダースの死後、2010年の改装の際に取り外されということも聞いています。
他宗教を受け入れ、信仰を押し付けることなく、ケアを続ける中で、なぜキリスト教的土台や歴史さえも失われていくのでしょうか。このような流れを大きな課題として突き付けられました。
ホスピスの背景、英国のキリスト教の歴史と伝統
ソンダースのたどった信仰の旅路は、一朝一夕に分かることではないのは明らかですが、その一端でも垣間見られればということで、私が英国に到着する前、他のメンバーはソンダースが最初に学んだオックスフォード大学を訪ね、クライストチャーチ大聖堂とセントアルデイツ教会の2つの礼拝に参加しました。
クライストチャーチ大聖堂は、英国国教会の伝統的な礼拝を行っており、セントアルデイツ教会は同じ英国国教会でも福音派・カリスマ派(以前はローチャーチという分類)で、現代的な礼拝を行っています。両教会の礼拝に参加することで、英国国教会内の多様性とソンダース自身の信仰の歩みを少しでも感じるきっかけとなったことを願っています。
ロンドンの街並みとテムズ川クルーズ
セントクリストファーホスピスと、翌日のキングスカレッジホスピタルでの研修を終えた後、メンバーでテムズ川のクルーズを楽しみました。絵葉書のような英国の街並みを眺めるとき、その美しさに感動すると同時に、キリスト教的な歴史と現代社会のひずみ、そして世俗的ヒューマニズムの台頭を抱える英国を垣間見、神様の前に私も一人の人間として、これからどう人と関わっていくか、深く思い巡らすことのできる旅でした。(続く)
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