世界的伝道者として知られるビリー・グラハム氏が現地時間21日午前7時46分(日本時間同日午後9時46分)、米ノースカロライナ州モントリートの自宅で死去した。99歳だった。ビリー・グラハム伝道協会(BGEA)が同日発表した。
米CNNなどによると、前立腺がんやパーキンソン病などを患っていたとされている。福音派を代表する大衆伝道者として、60年以上にわたって日本を含む世界各地を巡り、世界185の国と地域で2億1500万人近くに福音を伝えてきた。「クルセード」と呼ばれる伝道大会の開催数は400を超え、この他、テレビやラジオ、映画、近年ではインターネットを使って伝道し、著書は34冊に上る。
最後のクルセードは、2005年6月にニューヨークのフラッシング・メドウズ・コロナ・パークで開催したもので、グラハム氏は次のように語っている。
「私には、お伝えすべき1つのメッセージがあります。それは、イエス・キリストは(この地に)来られ、十字架の上で死なれ、(天に)再び上げられた。彼は、罪のためにわれわれに悔い改めるよう求めておられ、主として、また救い主としてご自身を受け入れるよう求めておられる。そして、もしわれわれがそうするのであれば、われわれのすべての罪を赦(ゆる)される、ということです」
福音を伝えることがグラハム氏の最優先事項だったが、米国の歴代大統領と親交を持ち「霊的な相談役」として支えたほか、人種差別撤廃などの活動にも尽力し、米同時多発テロが発生した01年には、首都ワシントンのワシントン大聖堂で講演し、米国と世界を慰め、希望のメッセージを伝えた。
現代の福音派に最も影響を与えたとされる「ローザンヌ誓約」を採択したローザンヌ世界伝道会議(1974年)の招集者でもあり、米福音派の老舗誌「クリスチャニティー・トゥデイ」の創刊などにも携わった。オランダ・アムステルダムで3度にわたる世界伝道者会議(83年、86年、2000年)を開催し、会議には208の国と地域から、2万3千人余りの伝道者が参加した。
日本では、1956年、67年、80年、94年の4回にわたって、大規模な伝道大会を開催。日本の諸教会も協力し、多くの魂が救われ、グラハム氏の大会を通して牧師の道を選ぶことを決めた者も多く出た。
歴代大統領との親交は、ハリー・トルーマン元大統領(在任45〜53年)からバラク・オバマ前大統領(同2009〜17年)までと、半世紀以上にわたる。また、ニクソン、レーガン、ブッシュ(父)、クリントンの各大統領の就任式では、祈祷を担当した。ブッシュ(子)元大統領は、グラハム氏のおかげで信仰心を取り戻したと話したこともあるという。
95歳の誕生日を迎えた13年には、米国とカナダのテレビ局480局以上を通して、最後のメッセージを伝えた。「マイ・ホープ(私の希望)」と名付けられたこのプロジェクトには、北米の2万6千以上の教会が参加し、BGEAが行った伝道イベントとしては、北米史上最大のものとなった。また95歳の誕生日に開かれた会合には、当時ビジネスマンだったドナルド・トランプ現大統領ら、各界の重鎮が参加した。
1918年、米ノースカロライナ州シャーロット生まれ。家は農場を営み、聖書を中心とした教育を受けた。16歳のときモルデカイ・ハムの伝道説教で信仰を持つ。フロリダ州テンプルテラスのフロリダ聖書学院(現トリニティー大学)、ホイートン大学卒業後、イリノイ州ウェスタンスプリングスの教会に赴任。以降、伝道者として米国内外で精力的に伝道集会を開催した。
97年出版の著書『Just As I AM』は、米ニューヨーク・タイムズ紙でベストセラー本として18週連続で掲載された。妻のルースさんは2007年に、87歳で先に他界している。2人の間には2男3女の子どもと19人の孫、また数多くのひ孫がいる。息子のフランクリン・グラハム氏、フランクリン氏の息子でビリー氏の孫に当たるウィル・グラハム氏は伝道者として活躍しており、日本でも伝道大会を多数開催している。
葬儀はシャーロットのビリー・グラハム図書館で、親近者のみで行われる予定。日程は未定。
■ ビリー・グラハム氏に関する過去の主な記事