米国の大衆伝道者ビリー・グラハム氏(98)は最近、「神はどれくらい大きな罪までなら赦(ゆる)されるのか」という質問に答え、赦されない罪が1つあると説明した。
ビリー・グラハム伝道協会(BGEA)のウェブサイト(英語)にある、グラハム氏が質問に答えるコーナーで、ある質問者は次のように尋ねた。
「神はどれくらい大きな罪までなら赦してくださるのでしょうか? 私は、自分が間違いなく、神が赦してくださる一線を越えたと恐れています。私は恐ろしいことを幾つもしてきて、多くの人たちを傷つけたからです」
この質問にグラハム氏は、赦されない罪がたった1つあり、それは「神の赦しを拒む罪」だと答えた。
「私たちが悔い改めと信仰をもって神に立ち帰るなら、私たちが誰であれ、何をしたのだとしても、神はなおも私たちを愛し、私たちをまったく、完全に赦すと約束してくださるのです」
「私たちにとって、これは受け入れるのが難しいでしょうか? そうです、難しいのです。それは、私たちが普通お互いを取り扱う仕方ではないからです。もし誰かが深く私たちを傷つけたり、だましたり、私たちについてうそをつくなら、私たちはそれを忘れたり、彼らを赦すことがいっそう困難になります」
グラハム氏は、人間は重大な間違いを赦すのが難しいが、「神はそうではありません」と強調。「そうです、私たちは自分たちの罪によって神を不快にさせています。実際、私たちは他の人を傷つけるよりもはるかに深く、神を傷つけているのです」と続けた。
「しかし、神はなおも私たちを愛しており、私たちが自分の行ったことを理解して、悔い改めと信仰をもって御自分の方に立ち帰ることをお望みになっておられるのです。神は私たちを赦そうと非常に真剣にお考えになられており、御子を私たちの罪のために死なせるために世にお送りになったのです」
どのような罪が赦されないかに関して、グラハム氏がコメントを求められたのは、今回が初めてではない。2004年にもBGEAのウェブサイト(英語)で、「赦されない罪は何ですか? それを犯してしまったのではないかと恐れています」という質問に回答している。
その中でグラハム氏は、マルコによる福音書3章28〜29節に記された、下記のイエスの言葉の意味について述べている。
はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒瀆(ぼうとく)の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。
グラハム氏は、赦されない罪とは「イエスが誰であり、何をしに来られたのかということに関する聖霊の証言を受け入れることの拒否」であると述べた。
「赦されない罪とは、クリスチャンがキリストを受け入れる前や後で犯すことのある、特に重大な幾つかの罪のことではなく、聖霊について何かひどく悪いことを考えたり、言ったりすることでもありません。むしろそれは、聖霊の証言とイエスに立ち帰るようにとの招きに対して、死がすべての機会を終わらせてしまうまで、故意に逆らうことなのです」